『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

円浄寺(ゑんじゃうじ)

2020-03-21 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
円浄寺(ゑんじゃうじ)

<現代仮名遣い>えんじょうじ


源七。相撲取り。

1578年2月安土信長の御前での相撲で、優れた

    相撲を取った23人のうちの一人。信長

    から扇を下される。

1578年8月信長主催の安土の大相撲で、三番勝

    ち。優れた相撲をとったものに選ばれ、

    のし付きの太刀・脇差・服かみしも・知行

    百石・私宅まで下される。

1580年6月不行き届きがあり信長から勘気をこう

    むり、安土から退出する。


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