『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

野間佐吉(のまさきち)

2018-10-03 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
野間佐吉(のまさきち)

〔現代仮名遣い〕のまさきち

※下線部は信長公記以外の記事によります。


三好義継の家老。

1573年11月若江城中で多羅尾右近・池田丹後守・

    野間左吉が背反し、城中一の重臣金山駿

    河を殺害のうえ、信長方佐久間信盛を呼

    び入れる。天主まで追い詰められた義継

    は女房・子息を刺し殺した後、腹十文字

    に掻き切って果てる。のち多羅尾・池田・

    野間の三名が若江城の経営を任される。

1580年津田宗及・山上宗二らの茶会を催した。ま

た信長から「燕絵」を拝領した。



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