音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

八百長問題とアントニオ猪木

2011-02-09 06:51:33 | 時事問題
先週、アントニオ猪木が大相撲の八百長問題でコメントしたことが報じられました。

猪木が角界の特殊な体質などに苦言(日刊スポーツ)

集客に言及しているのが、いかにも稀代の興行師らしいですが、八百長問題で猪木がコメントするのが何故感慨深かったかというと、大相撲がスポーツなのかショーなのかということを考える時に、いつもこの人のことを思い浮かべていたからです。

私は小学生の頃、『相撲』誌に投稿が掲載されるほどの熱心な相撲ファンであり、また同時代の少年の多くがそうであったように、プロレスも夢中になって観ていたクチでした。あるとき、父親に尋ねました。

「どうして新聞に昨日のプロレスの試合結果が出ていないの?」

「プロレスはショーだから、スポーツとして認められていないんだ」

というのがその答えでした。たしかに今に至るまで、東スポ以外のメジャー媒体は、プロレスを報じることはありません。しかし、あの「事件」は唯一といっていい例外でした。

新日本プロレスがぶち上げたIWGP構想は、折からの新日ブームによって大いに盛り上がり、第一回大会は猪木とホーガンがリーグ戦の勝ち点で並ぶという最高の展開を見せていました。1983年6月2日、場所は東京の蔵前国技館で行われた決勝戦「アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン」は、今でも語り草になる伝説の試合でした。なぜ伝説となったかというと、優勝が既定路線だと思われた猪木が、新鋭ホーガンの必殺アックスボンバーをくらって場外に吹っ飛び、ノックアウトされたからです。世にいう「ベロ出し失神」事件です。このとき、無垢な(?)少年だった私は、大好きな猪木が死んでしまうのではないかと本気で心配し、激しく動揺したのを覚えています。そして全日本プロレスの放映権を持つライバルの日本テレビでさえもニュースで速報を流し、翌朝の一般各紙にも記事が出ていました。このときの古館若いな!

猪木はいったん病院に運ばれるも、すぐにどこかに移動していた(ピンピンしていた)ことが、後にレフリーのミスター高橋の暴露本で明かされるのですが、試合前に猪木は高橋に「何があってもうろたえるな」と、意味深なことを告げていたそうです。それ以前から猪木は、プロレスが市民権を得る方策について色々と思いを巡らしていたらしく、「一般紙が取り上げるには、結果だけじゃ駄目だ、“事件”にすることが必要なんだ」と力説していたそうです。しかし、この芝居についてはブッカー(*ブック:台本を書く人)の坂口征二をはじめ新日の関係者が事前に知らされていなかった。敵を欺くにはまず味方をとの喩え通りですが、だから泡食ってみんなでリングの上に持ち上げたり右往左往したわけです。副社長の坂口征二は、この件で「人間不信」という書き置きを残して数日間失踪したほどです。

一方、昔から相撲に対するメディアの扱いは、他のマイナー競技からすると目のくらむような厚遇です。私はかねがね、甲子園大会と大相撲の「完全放送」はやり過ぎだと当ブログでも書いてきましたが、全期間の全取組(時に見習いである幕下上位まで)を公共放送が延々と放送し、場所中は基本的に主要メディア各社が張り付き、スポーツニュースでは結果が必ず報じられ、新聞もスポーツ欄に小さくないスペースをとっています。相撲関係者はその既得権をいつしか当たり前のように思い、それに甘えてきたのではないでしょうか。

だいたい延々とTV放送するから暇な人が習慣性でチャンネルを合わせるだけの話なのです。昔、多くの田舎が巨人ファンの大票田だった時代(自民党と似てる?)、TVで巨人戦しかやらないので応援することになるのと一緒です。その代表格だった北海道の人たちも、今やハムやコンサドーレに熱狂しているわけで、他の選択肢がないことで錯覚するというパターンでしょう。昨年、不祥事により1場所相撲中継がありませんでしたが、なければないで何の痛痒を感じない人が大多数で、不満に思ってNHKに電話をかけちゃうような人は、全体からするとごく一握りです。

相撲が国技だから、神事だから、日本古来からの伝統を守るために特別扱いして保護するんだという理屈を全否定はしません。メディアのスポットライトがなくなれば、途端に華やかさを失い、大相撲観戦を外国人VIPの接待にも使えなくなるかもしれない。でもスポーツ面やスポーツ紙に掲載されるのは芸能やショーではなく、あくまでも(真剣勝負の)スポーツなのだと定義があるのなら、大相撲の扱いを相対的に小さくして、バスケットボールやアイスホッケー、空手などの試合などをもっと取り上げてほしいと思います。

『週刊現代』の一連のキャンペーンの記事を読むと、番記者たちは相撲が注射まみれなのは知っていて、見て見ぬふりをしているんだといいます。不祥事があるとワイドショーに登場する元NHKの実況アナの杉山邦博氏などは、今回の件で「信じられない」とか「泣きたい気持ち」とコメントしていて、私などは「いまさら何をカマトトぶってるんだ!」と心中で突っ込みをいれているのですが、相撲界のインサイダーたちにはとっくに周知されている暗部を隠ぺいして、よってたかって体裁を整えることに加担してきたといえます。スポーツ紙も含めて、最近の相撲記事に「熱」が感じられないのは、仕事とはいえ、長らく茶番を取り巻いて冷やかに見てきたツケがまわってきていて、良記事が書ける記者がいなくなっているのではないかとも思います。東西の支度部屋を中盆(仲介)力士が往来しているのを舞台裏から見ていれば、そりゃあ競技への愛情が湧いてこないのもわかりますが。

そんなこんなで、元春日錦がトカゲのしっぽ切りに甘んじずに、道連れのための暴露をする構えを見せていますが、追放力士たちで起ち上げる「相撲レスラー協会」(?)とやらを、やってみればいいじゃないかと思います。

元春日錦が逆襲予告「八百長他に何十人もいる」(夕刊フジ)

自分たちで興行手配し、お客さんを喜ばせ、金のとれるパフォーマンスや肉体美を磨くことになったとき、十両にしがみつこうとして星の回しっこをしていたサラリーマン力士たちも、自分たちの給料は協会から払われていたのではなく、ファンのなけなしの木戸銭だったことにようやく気付くかもしれません。

そして、素でメディアや大衆のアテンションを引き付けるのがいかに大変なことなのか痛感するでしょう。本流のG・馬場に比べて傍流を歩み、「箒相手でも試合ができる」と謳われた天才的な演出テクニックで対抗したアントニオ猪木が、新日が絶頂期であったにもかかわらず、尚も体を張ってメディアを振り向かせようとした執念の意味を、彼らは思い知らされることになるはずです。



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