才能に援助することは必要だという論調が、リベラルで比較的良心的と思われる豊田泰光氏や二宮清純氏あたりからも出ていますが、OBや評論家など野球業界の方々は、成功例しか知らないのではないかという気がします。特待生にも光と影の部分があり、影の方といえば、怪我などで挫折して学校にもいられなくなった生徒たちの存在もその一つでしょう。現在の制度は、必ずしも退部=退学とはなっていないようですが、野球で入ったとなれば、野球を辞めたら肩身が狭いのは当然です。学費免除という特別待遇の拠って立つところが喪失したわけですから。そういう生徒にも他の可能性を示すなど、3年間きちんとフォローしていますか?ということを特待制度を導入していた学校に聞いてみたいです。
さて、この話題で評論家の玉木正之氏が、私が日頃思っていた通りのことをコメントしておられました。
「スポーツに金銭が伴うのは当たり前。特に甲子園というのはメディアの興行なのだから。さしずめNHKの中継を止めることあたりから始めたらどうか」
その通りです。たかが高校生の部活の全国大会を一回戦から全試合、しかも公共放送が完全中継するなんて、まったくどうかしているということに、日本人はそろそろ気付くべきではないでしょうか。巨人戦も中継数が削減されるご時世ですよ。今も昔も、地上波で試合をライブで完全中継してもらえるのは大相撲の幕内力士と甲子園球児だけでしょう。一スポーツでしかない野球が、なぜこんなに優遇されるのかといえば、新聞社の陰謀は措いておくとして、以前はプロまでつながっている全国ネットのスポーツといえば野球くらいしかなかったという事情があります。でも今やサッカー志望者は野球を上回ると聞きますし、バレーボールもバスケットボールもプロリーグができましたから、プロになる道は野球でなくても開かれているわけです。
斉藤さんも書かれておられるように、「東大か、甲子園か」の時代は終わろうとしているのに、なぜ越境入学や特待制度が絶えないかといえば、甲子園の広告効果が絶大だからです。「天下のNHK」が試合開始前に、結構な時間を割いて学校紹介の映像まで流してくれるんですよ。高校野球中継の視聴率は知りませんが、広告費に換算したら莫大な金額になるはずです。実際、新興の学校は甲子園出場の翌年の志願者数はグンと跳ね上がるようで、名を上げるためのてっとり早い手段として、「甲子園」が学校経営者の間では非常にポピュラーです。
せいぜい冬の高校サッカー程度の中継数でいいと思うんですよ。私も最近は、将来プロに行くような評判の好投手が出ている時はチェックしますが、それ以外は決勝戦も見ることはありません。去年のマー君対ハンカチ王子なんていうのは例外中の例外です。
長年にわたり、メディアに洗脳されていると、「夏の風物詩」などという意味のないフレーズに騙されて、夏は高校野球を見るのが当たり前とばかりに、漫然とチャンネルを合わせてしまいがちですが、「ひたむきさ」や「ドラマ」というのは、大新聞が自社の拡販のために針小棒大にフレームアップしてきた一種のフィクションです。ハンドボールだってチアリーディングだって柔道だって、高校生が一生懸命やっているものは他にもたくさんあるんですから。それに周知の通り、出場校の多くは「外人部隊」になってますから、地域色などはとっくに失われています。
甲子園大会というもの自体が壮大な虚構であり、現在噴出している問題の多くがそこに起因するのだとすれば、一度それを解体した方がよいのではないかと思うのです。主催者(朝日新聞・毎日新聞)自らそれはしないでしょうから、まずはNHKが中継やめろという玉木氏の意見に賛成です。全部やめろとまでは言いませんが、今の朝から晩まで1chと3chをやりくりして延々放送する合理性はないので、まあ数試合でよいのではないかと。注目カードは民放が勝手に放映するでしょうから、地上波はそんなもんで十分。
このことによる効果としては、メディアの取材が減ることです。知らないことが報じられているからスポーツ新聞買いたいという人はあまりいなくて、自分が見たものを確認したくて買うわけです。TV中継がなければ、つい観てしまったということもなくなりますから、関心を持つ人が確実に少なくなる。そうすればマスコミがこれまでのような取材陣容を敷かなくなるし、刊行物も減ります。今ほどチヤホヤされなくなれば、勘違いする監督や選手も徐々にいなくなっていくでしょう。そもそも「甲子園」という興行自体がメディアの儲け目的ゆえに、煽ってしまいがちですが、野球界の古色蒼然としたアマチュアリズムとは宿命的に相反するのです。
それから、今問題となっている日本学生野球憲章ですが、序文を読むとなかなか香ばしいものがあります。
われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。〈後略〉
たしかに憲章13条は金品の授受を禁じていますが、「学費、生活費その他の金品」ではない特典は、憲章の「野球は教育の一環」という精神からは問題ないのでしょうか。
kochikikaさんが、憲章違反となる特待制度を自己申告した学校のリストから漏れている(特待制度がないとされる)有力校をピックアップされています。私が子供の頃、住んでいた家のほど近くにあった古豪・松商学園の名前もあります。でも昔から松商の野球部員は授業中に居眠りしていても教師には注意されることは一切ないらしく、試験や進級もフリーパスだと当時聞いたことがあります。(レギュラーだけだったかもしれませんが) また、PL学園も載っていましたが、桑田はクラスメートの清原が3年間机で寝ていたことを後に明かしています。私立の野球学校は多かれ少なかれこんなもんでしょう。ゲゲゲの鬼太郎の歌ではありませんが、事実上「試験もなんにもないっ♪」状態です。「授業をまともに受けなくても進級・卒業できる権利」を野球部員が付与されているのであれば、これも立派な特別待遇でしょう。その意味で金品をもらって招聘されている特待生は、野球が仕事という一種のプロですからシンプルです。こっちの方がよっぽどすっきりしていませんか。本件によって、日本学生野球協会および高野連の欺瞞が表出してしまいましたね。
私は野球は好きですが、「高校野球」の特別扱いは諸悪の根元のような気がしてきたので、そろそろ終わりにしてほしいと願うものです。
さて、この話題で評論家の玉木正之氏が、私が日頃思っていた通りのことをコメントしておられました。
「スポーツに金銭が伴うのは当たり前。特に甲子園というのはメディアの興行なのだから。さしずめNHKの中継を止めることあたりから始めたらどうか」
その通りです。たかが高校生の部活の全国大会を一回戦から全試合、しかも公共放送が完全中継するなんて、まったくどうかしているということに、日本人はそろそろ気付くべきではないでしょうか。巨人戦も中継数が削減されるご時世ですよ。今も昔も、地上波で試合をライブで完全中継してもらえるのは大相撲の幕内力士と甲子園球児だけでしょう。一スポーツでしかない野球が、なぜこんなに優遇されるのかといえば、新聞社の陰謀は措いておくとして、以前はプロまでつながっている全国ネットのスポーツといえば野球くらいしかなかったという事情があります。でも今やサッカー志望者は野球を上回ると聞きますし、バレーボールもバスケットボールもプロリーグができましたから、プロになる道は野球でなくても開かれているわけです。
斉藤さんも書かれておられるように、「東大か、甲子園か」の時代は終わろうとしているのに、なぜ越境入学や特待制度が絶えないかといえば、甲子園の広告効果が絶大だからです。「天下のNHK」が試合開始前に、結構な時間を割いて学校紹介の映像まで流してくれるんですよ。高校野球中継の視聴率は知りませんが、広告費に換算したら莫大な金額になるはずです。実際、新興の学校は甲子園出場の翌年の志願者数はグンと跳ね上がるようで、名を上げるためのてっとり早い手段として、「甲子園」が学校経営者の間では非常にポピュラーです。
せいぜい冬の高校サッカー程度の中継数でいいと思うんですよ。私も最近は、将来プロに行くような評判の好投手が出ている時はチェックしますが、それ以外は決勝戦も見ることはありません。去年のマー君対ハンカチ王子なんていうのは例外中の例外です。
長年にわたり、メディアに洗脳されていると、「夏の風物詩」などという意味のないフレーズに騙されて、夏は高校野球を見るのが当たり前とばかりに、漫然とチャンネルを合わせてしまいがちですが、「ひたむきさ」や「ドラマ」というのは、大新聞が自社の拡販のために針小棒大にフレームアップしてきた一種のフィクションです。ハンドボールだってチアリーディングだって柔道だって、高校生が一生懸命やっているものは他にもたくさんあるんですから。それに周知の通り、出場校の多くは「外人部隊」になってますから、地域色などはとっくに失われています。
甲子園大会というもの自体が壮大な虚構であり、現在噴出している問題の多くがそこに起因するのだとすれば、一度それを解体した方がよいのではないかと思うのです。主催者(朝日新聞・毎日新聞)自らそれはしないでしょうから、まずはNHKが中継やめろという玉木氏の意見に賛成です。全部やめろとまでは言いませんが、今の朝から晩まで1chと3chをやりくりして延々放送する合理性はないので、まあ数試合でよいのではないかと。注目カードは民放が勝手に放映するでしょうから、地上波はそんなもんで十分。
このことによる効果としては、メディアの取材が減ることです。知らないことが報じられているからスポーツ新聞買いたいという人はあまりいなくて、自分が見たものを確認したくて買うわけです。TV中継がなければ、つい観てしまったということもなくなりますから、関心を持つ人が確実に少なくなる。そうすればマスコミがこれまでのような取材陣容を敷かなくなるし、刊行物も減ります。今ほどチヤホヤされなくなれば、勘違いする監督や選手も徐々にいなくなっていくでしょう。そもそも「甲子園」という興行自体がメディアの儲け目的ゆえに、煽ってしまいがちですが、野球界の古色蒼然としたアマチュアリズムとは宿命的に相反するのです。
それから、今問題となっている日本学生野球憲章ですが、序文を読むとなかなか香ばしいものがあります。
われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。〈後略〉
たしかに憲章13条は金品の授受を禁じていますが、「学費、生活費その他の金品」ではない特典は、憲章の「野球は教育の一環」という精神からは問題ないのでしょうか。
kochikikaさんが、憲章違反となる特待制度を自己申告した学校のリストから漏れている(特待制度がないとされる)有力校をピックアップされています。私が子供の頃、住んでいた家のほど近くにあった古豪・松商学園の名前もあります。でも昔から松商の野球部員は授業中に居眠りしていても教師には注意されることは一切ないらしく、試験や進級もフリーパスだと当時聞いたことがあります。(レギュラーだけだったかもしれませんが) また、PL学園も載っていましたが、桑田はクラスメートの清原が3年間机で寝ていたことを後に明かしています。私立の野球学校は多かれ少なかれこんなもんでしょう。ゲゲゲの鬼太郎の歌ではありませんが、事実上「試験もなんにもないっ♪」状態です。「授業をまともに受けなくても進級・卒業できる権利」を野球部員が付与されているのであれば、これも立派な特別待遇でしょう。その意味で金品をもらって招聘されている特待生は、野球が仕事という一種のプロですからシンプルです。こっちの方がよっぽどすっきりしていませんか。本件によって、日本学生野球協会および高野連の欺瞞が表出してしまいましたね。
私は野球は好きですが、「高校野球」の特別扱いは諸悪の根元のような気がしてきたので、そろそろ終わりにしてほしいと願うものです。
お元気にて 益々筆に意気高ければ
嬉しく存じ候
此が記事のまさに意を得たりの感あるはうれし
高体連が中に野球を新設する時期の到来なると見たり
ああやれんこうやれんとふ頑固さも古くしあればみな窮じたり 丹人
当方としては、メディアの異常もさることながら高野連の化石状態を何とかしたいなと。普通の人が見たらプロを頂点としたピラミッドで問題ないのに、野球界だけが頑なに連峰指向という。
社会人野球は廃部が相次いで今までじゃいかんという態度に変わりましたが、高校野球は人気が高いので化石でいられるという側面があるので、ご提案の線はアリかとは思います。
でも正直、玉木氏は好きじゃないんですよね(笑)。
今週の文春・新潮が高野連の胡散くささを暴いていますから、これ以上は書きませんが、スケート連盟しかり、ラグビー協会しかり、本来選手を陰でサポートするための組織が、権力・権益化している例は他にもありますよね。人気にあぐらをかいて利権を貪る連中が嫌ですね。