原作の『朗読者』はまだ未読ですが、最近読んだ村上春樹の『1Q84』も極めて朗読シーンに富む物語でした。謎めいた少女ふかえりが諳んじていた『平家物語』の壇ノ浦の合戦のクライマックス、天吾がアルツハイマーの父を見舞った時に読んで聞かせた『猫の町』の話、そしてチェーホフの『サハリン島』のギリヤーク人のエピソードなどなど。この作家は自作の朗読会をやっているくらいですから、朗読の持つ不思議な力に意識的なんでしょうね。そういえば、この秀作映画にもチェーホフが出てきますが、こちらは『犬を連れた奥さん』という軽めの掌編です。
『愛を読むひと』は何も知らずに観ると、序盤は往年の「青い体験」とか「プライベートレッスン」といった所謂“お姉さま手ほどき系”かと勘違いしてしまいそうですが、実は非常にシリアスなテーマを内包している映画です。一説によると、本作は男性の観客が少ないそうなので、あえて男目線での感想を記しますと、濃厚な性愛の世界に嵌まった思春期の少年が、学校で生き生きしたり、級友に妙な優越感を持ったりするところが実にうまく描けていますね。スキップするような足どりで彼女のアパートに通い、朗読しないとヤラセテもらえないので、部屋に入ってくるなり速攻で本を開くのが可笑しい。
能天気な男の子であれば、ひと夏の経験を「ありゃあ美味しかったなあ」と甘い思い出として消化できるのでしょうが、このマイケルという少年は彼女が忽然と姿を消したことに深く傷つくほど繊細で、その後にうまく同年代の異性に心を開くことができず、結婚生活もうまくいかなかったことが暗示されています。裕福な家庭に育つ聡明なハイスクールボーイの人生をハンナは変えてしまったのですね。
毎日のように情事に耽りながら、「もしかしたら自分は相手にされていないのではないか」というマイケルの焦燥感が伝わってきます。そりゃあそうでしょう、ただでさえ女性は不可解な生き物なのに、加えてハンナは20歳年上で、非識字者という心の闇を抱え、さらに凄絶な過去を背負っているのですから、15歳の坊やにその複雑な心のうちを知ることなど到底できない相談でしょう。
彼はその感情を昔のままに引きずっているように思えました。だから、かつて唯一彼女からせがまれた朗読をひたすらテープに吹き込むほかなかったのです。もっと図太い神経の持ち主なら、恩讐の彼方で「性のメンター」ハンナの手紙に応えて気の利いた返事を出したでしょうし、彼女の出所直前にスタッフに乞われて刑務所に面会に行った際も「やあ、やあ、やあ」とハグなんかしたりして、あのような素っ気ない態度には出なかったかもしれません。
ハンナは知的好奇心旺盛なので、非識字者であるのは、幼少時に貧しくて学習の機会が与えられなかったからなのでしょう。でもマイケルの送ってくる朗読テープを頼りに、彼女は獄中で読み書きを覚えました。でも最後に、テキストである刑務所の図書室から借りた本を踏み台にして命を絶ったというシーンがとても哀しかった。
日本の識字運動で功績のあった天理大学の故内山一雄教授の報告によると、非識字者のそれを隠そうとする心情は、一般人の想像を絶するものがあるといいます。絶えず自分自身みじめな思いで暮らさざるを得ず、役所へ行けば自分の住所、氏名を書けと言われるのではないかなと怯えて、「いや、手を怪我してますんで」と言い訳するために、始めから右手に包帯巻いていくとか、公の場へ出た途端にもう心臓がどきどきして、体が震え、識字学級で練習したときはちゃんと書けたのに、そこに行ったら途端に鉛筆が震えて書けなくなったということがあるそうです。
良い映画や小説は説明的ではないものです。受け手に考えさせるという意味で、『愛を読むひと』(この邦題は評判悪いですが)は心に残る作品でした。抑圧を余儀なくされた一人の女性の人生を演じきった、名優ケイト・ウィンスレットに感服です。
『愛を読むひと』は何も知らずに観ると、序盤は往年の「青い体験」とか「プライベートレッスン」といった所謂“お姉さま手ほどき系”かと勘違いしてしまいそうですが、実は非常にシリアスなテーマを内包している映画です。一説によると、本作は男性の観客が少ないそうなので、あえて男目線での感想を記しますと、濃厚な性愛の世界に嵌まった思春期の少年が、学校で生き生きしたり、級友に妙な優越感を持ったりするところが実にうまく描けていますね。スキップするような足どりで彼女のアパートに通い、朗読しないとヤラセテもらえないので、部屋に入ってくるなり速攻で本を開くのが可笑しい。
能天気な男の子であれば、ひと夏の経験を「ありゃあ美味しかったなあ」と甘い思い出として消化できるのでしょうが、このマイケルという少年は彼女が忽然と姿を消したことに深く傷つくほど繊細で、その後にうまく同年代の異性に心を開くことができず、結婚生活もうまくいかなかったことが暗示されています。裕福な家庭に育つ聡明なハイスクールボーイの人生をハンナは変えてしまったのですね。
毎日のように情事に耽りながら、「もしかしたら自分は相手にされていないのではないか」というマイケルの焦燥感が伝わってきます。そりゃあそうでしょう、ただでさえ女性は不可解な生き物なのに、加えてハンナは20歳年上で、非識字者という心の闇を抱え、さらに凄絶な過去を背負っているのですから、15歳の坊やにその複雑な心のうちを知ることなど到底できない相談でしょう。
彼はその感情を昔のままに引きずっているように思えました。だから、かつて唯一彼女からせがまれた朗読をひたすらテープに吹き込むほかなかったのです。もっと図太い神経の持ち主なら、恩讐の彼方で「性のメンター」ハンナの手紙に応えて気の利いた返事を出したでしょうし、彼女の出所直前にスタッフに乞われて刑務所に面会に行った際も「やあ、やあ、やあ」とハグなんかしたりして、あのような素っ気ない態度には出なかったかもしれません。
ハンナは知的好奇心旺盛なので、非識字者であるのは、幼少時に貧しくて学習の機会が与えられなかったからなのでしょう。でもマイケルの送ってくる朗読テープを頼りに、彼女は獄中で読み書きを覚えました。でも最後に、テキストである刑務所の図書室から借りた本を踏み台にして命を絶ったというシーンがとても哀しかった。
日本の識字運動で功績のあった天理大学の故内山一雄教授の報告によると、非識字者のそれを隠そうとする心情は、一般人の想像を絶するものがあるといいます。絶えず自分自身みじめな思いで暮らさざるを得ず、役所へ行けば自分の住所、氏名を書けと言われるのではないかなと怯えて、「いや、手を怪我してますんで」と言い訳するために、始めから右手に包帯巻いていくとか、公の場へ出た途端にもう心臓がどきどきして、体が震え、識字学級で練習したときはちゃんと書けたのに、そこに行ったら途端に鉛筆が震えて書けなくなったということがあるそうです。
良い映画や小説は説明的ではないものです。受け手に考えさせるという意味で、『愛を読むひと』(この邦題は評判悪いですが)は心に残る作品でした。抑圧を余儀なくされた一人の女性の人生を演じきった、名優ケイト・ウィンスレットに感服です。
生憎と当方よりgoo様へのTBは通りませんが
記事は大切に反映させて頂きます。
として解釈すれば悲哀的という感想になりますが、
ホロコーストという史実を背景におもうと、そんな
「悲哀」だけでは評価できない映画作品でした。
ハンナという女性を生み出した当時のドイツの貧しさなども理解しますが、彼女の生き方はやはり悪です。
最後に、刑期も恩赦のうちに「美しい思い出がたみ」
に会えたとき、その存在から現実的に自分の悪に恐れ
たとき彼女は自らの命を断つ選択をしましたが、彼女はホロコーストにかかわったとき、選択の自由もなく
死んでいった多くのユダヤ人の方々はどうなのでしょうか・・・私にはとらえ難い映画であり、アカデミー賞で高く評価されたことが・・・歴史の、時の流れを感じました・・・。