音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

大学院生の悲劇

2009-05-16 23:06:16 | 事件
大変痛ましい事件です。旧帝大の一つである東北大学の男子大学院生(29)が指導教官(52)の不適切な指導により自殺に追い込まれたというニュースに考えさせられました。これは絵に描いたようなアカデミックハラスメント事例であり、大学にとっては相当なイメージダウンになる不祥事ですが、内部調査の結果を公表したことに驚きました。過去に同様のケースは山ほどあれど「ノイローゼによる自殺」ということにして、真実はことごとく隠蔽されてきたのでしょうから。

論文は審査に足る水準 院生自殺で東北大内部調査

日本全体の自殺率は0.024%(WHO 2004年発表)
日本の大学院博士課程修了者で「死亡・不詳の者」の割合は11.45%(文科省 2004発表)

日本の大学、短期大学及び高等専門学校の就職率は96.8%(厚労省発表)
日本の大学院博士課程修了者で任期なしの常勤職を得る者は推定50%弱

若い学徒が理不尽な扱いを受けて道半ばで命を絶ったというのが悲劇なのは勿論ですが、仮に論文が正当に審査を受け念願の博士号というライセンスを手にしたとしても、現在のこの国では定職につけない大量の博士難民が巷にあふれている状況にあり、深刻な社会問題になっていることを忘れてはなりますまい。今後も大学淘汰時代を迎えていますから、もともと空きが出ないアカデミックポストはさらに減っていくわけで、大学院生が研究者の道だけを目指した場合、過酷な運命が待っていいます。

報道される内容が限定的なので、上記のようなことを漠然と思っていたのですが、ネットに上がっている周辺情報(真偽のほどは不明)を見るに、どうも微妙に事情が違うようです。

亡くなった院生は21世紀COEプログラムをとるなど優秀で、業績がパッとしなかった万年准教授が嫉妬してサボタージュしたんだとか、学位とったら院生がどこかに就職してしまうので、もう少し自分の手足にしてこき使いたかったのだ等々、諸説紛々です。でも企業みたいに、この二人の立場が逆転することは永遠にないわけだし、こんな事態になって、強固な終身雇用が保証されている旧帝大のポストを失ったのですから、いじめても割に合わないでしょう。指導教官である准教授が院生の生殺与奪の権利を握っていたみたいですが、教授は何してたの? という素朴な疑問とともに、この辺の事情や機微は、大学にいる人じゃないとわからないところが多い。

日頃から積極的にポスドクや博士の問題を取り上げておられる大学人ブロガーのコチラ様も、いち早くエントリーをUPしていらっしゃいますが、このような構造的な問題は、件の准教授が辞職したからといって一件落着というものではありません。こうなったら院生協議会でもつくって連帯するかというコメントも寄せられていましたが、たしかに院生の立場が弱すぎます。大学業界というところは徒弟制度のようで、理不尽な下積みに長期間耐えなきゃならないし、もし研究室や指導者と合わなくても(事実上)移籍ができない閉鎖的なところなど、相撲部屋も真っ青です。会社員の私が、民間企業の方がはるかにマシだと思うのは、以下の経験的理由からです。

個人商店的オーナー企業やブラック企業など、パワハラが日常茶飯事だという組織もあるでしょうが、名の通ったマトモな企業であれば、よっぽど酷い上司は各方面から苦情や悪い評判が漏れてきますから、淘汰されることが多いものです。あまりに常軌を逸したのを放置すると、現場のモチベーションや生産性が下がるし、大きな問題が起こったら厄介ですから(現在は内部統制に神経質)、人事や部門の偉い人が大概手を打つものなんですよ。組合が機能している会社であれば、そちらにSOSも出すことも可能でしょう。職場が合わずに腐っているのが有能な人間であれば、元の上司などが「俺のとこで引きとってやる」と救いの手を伸ばしてくれるケースもあります。でも大学にはこういうセーフティネットが皆無に等しい。大学事務も教員寄りなので頼りにならないのです。

ちょっと前に読んでいた光文社新書の『高学歴ワーキングプア』は非常に興味深い本でした。(光文社新書はコンスタントに良書を出すのでエライ) 大学院は関係ないと思っている方でも、一読をお薦めします。

「フリーター生産工場としての大学院」という刺激的なサブタイトルがつけられた同書は、博士課程修了者の多くが定職につけず野良犬同然に社会の底辺を漂うことになる実態をレポートして衝撃的です。なぜこんな悲惨な状況が生まれるに至ったのかを鋭く分析し、ページをめくるごとにホラーサスペンスを読んでいるような気にさせられます。城繁幸氏いうところの「社会システム維持のために既得権者が若者を犠牲にする陰謀」という言葉通り、これは国策であり個人の資質や自己責任という言葉ですり替えられる問題ではありません。大量の派遣労働者がネットカフェ難民と化した問題、すでに制度破綻して大量の「三振法務博士」を生み出そうとしている法科大学院、古くは中国残留孤児やシベリア抑留者につながった満蒙開拓団、戦後最悪の棄民政策といわれたブラジル移民計画などなど、今も昔もすべて構造は同じなのです。

一般に大学の先生とか研究者は世間知らずとかコミュニケーション能力が低いというイメージを持つ人がいますが、同書を読むと、要求される世渡り術は下手なサラリーマンの比じゃないほど高いことがわかります。

付いて行っても大丈夫かどうか良さそげな師匠を見極め、各方面に気を遣い、研究室では後輩の面倒もみなきゃならない。30歳すぎて博士号持っていても、学会の際に呼び鈴チ―ンと鳴らす係や、登壇発表者の水差し取替え係などを、内心の懊悩を隠して如才なく務めなきゃならんという。(こんな雑用は企業だったら3年生以上はほとんどやらないんですが・・)

とてつもない狭き門である任期なしの専任職は、公募していても実は学閥による八百長人事も横行しています。時給の低い肉体労働で生計を立てながら、論文を書きまくり、また非常勤先の授業準備もしなきゃならない。そんな砂を噛むような状況にもめげない不屈の精神力と、強靭な肉体が必要とされるようです。

つまり年齢の問題さえなければ、企業の営業部がほしがるような人材じゃないですか。でも私はこれはちょっと違うんじゃないかと思うのです。沈思黙考して周囲に惑わされず独創的な発明をしたり画期的な研究をする資質というのは、上の者に擦り寄ってうまく立ち回るものとは違うのですから、後者の方が職が得やすく、前者が自殺したり行方不明になるという構造はどうなのかなと。

前掲の書でも、後半は博士が大学以外の道で活躍し、社会に貢献するための提案がなされていて希望が持てます。税金を使っているのだし、知的で長年の思考訓練を経た人材を腐らせて活用しないのは日本社会全体の損失です。

亡くなられた院生の方のご冥福をお祈りします。



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2 コメント

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TBありがとうございました。 (5号館のつぶやき)
2009-05-17 21:52:35
 おっしゃるように、再発防止は難しいと言わざるを得ませんが、山ほどある同様の事例の中で、公式に調査され、その結果が公表されたことは評価されるべきことだと思います。

 少しずつ状況は変わってきているとはいえ、研究の世界では、研究室(教員)単位で業績が評価されてキャリアもその評価で個別に動くため、大学全体として利害関係を共有するひとつの組織とはなっていないので、企業のように組織を守るための自浄作用がきわめて働きにくい状況にあります。法人化で大学も変わってきているように思われているかもしれませんが、それは外からの見た目だけで、研究室という最小単位で動く仕組みはほとんど変わっておりません。東北大学でも複数教員指導体制があったそうですが、機能していなかったと思われます。

 大学や大学院「改革」がいくら行われたとしても、それが学生のためではなく何か別のもののために行われる限り、いつまでたっても学生は救われないということになります。もっとも、これは大学に限ったことではなく、日本全体で起こっていることの一部にすぎないので、大学だけが良くなるということを期待することはできないのですが・・・。

 今後とも、よろしくお願いします。
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コメントありがとうございます。 (音次郎)
2009-05-17 22:50:54
>5号館のつぶやき様
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。考えるうえでヒントをいただきました。

こと博士課程に関しては、高度に専門的なわけですから、研究室(教員)単位で動くのは、ある意味で仕方がないわけですよね。誰でも簡単にジャッジできるものではないということは、東北大学における複数教員指導体制というのも有名無実化せざるをえなかったのだと思います。とても難しい問題だと思います。
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