
私の弟は葬儀会社に勤務しておりまして、1級葬祭ディレクターという厚労省認定資格ホルダーでもあります。だからこの映画、「笑って泣ける」と大評判になる前から気になってはいたものの、なかなか観に行く時間がありませんでした。
主演のモックンが納棺師の世界に惹かれ原案を担当したということでしたが、役者が思い入れたっぷりに持ち込んだ企画というのは面白かったためしがない・・・。それに脚本が小山薫堂というのも少々微妙かなあと。「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」を手がけた放送作家として著名ですが、その秋元康チックな経歴と男性ファッション誌やグルメ誌で連載を持つ氏に、最先端を装う軽薄なギョーカイ人という偏見を持っていたのです。
しかし、『おくりびと』泣けました。映画を観て泣いたのは久しぶりでしたが、後半はずっと眼鏡を外していたほどです。この作品はイイ!! 舞台となる庄内平野の自然と、東北弁が効果的だし、親子の物語という私の涙腺の一番弱いところも突いてきているのです。
楽団が解散になって路頭に迷ったチェロ奏者の主人公の大悟(本木雅弘)は、WEBデザイナーの妻(広末涼子)を伴って郷里の山形に戻ります。好条件の求人広告につられて応募したNKエージェントという怪しげな会社に面接即採用されるが、それは遺体を納棺する仕事で・・・というお話。
皆が絶賛するように、冒頭からモックンが美しい所作を魅せてくれます。故人の肌を決して晒すことなく身体を拭き清め、神業のように手際よく白装束に着替えさせ、死後硬直した手を優しくほぐしながら数珠をかけ、死に化粧を施します。納棺の儀はその静謐さと流麗さから、つい茶道師匠のお手前を想起してしまうほどですが、ほうほう、納棺師とはなかなか素敵な職業ぢゃわいと思わせておいて、その後に観客を恐怖のどん底に突き落とすのです。
納棺師見習いとなった大悟はデビュー戦に向かう車の中で、ベテラン納棺師にしてNKエージェントの社長(山崎努)に「それで今日僕は何をすればいいんでしょう」と問いますが、「今日は見てるだけでいいよ」と言いながらも、社長は何やら浮かない顔です。それもそのはず、到着した現場は刑事ドラマの犯人役が住んでいるような安アパートで、遺体は死後二週間経っている独居老人です。うわーっ!! 私ならゴメンナサイと逃げ出したくなる状況ですが、案の定スクリーンからも匂い立つような臭気と、蛆やハエがたかる室内で、強烈な吐き気にのたうちまわりながら、大悟は社長に一喝され死体の脚を持たされる羽目に。いまどきの田舎では、水商売であっても「年齢不問、高額保証、実質労働時間わずか」という仕事のクチはありませんから、やはり月収50万円には理由があるということです。
染み付いた臭気が気になって、帰りに飛び込んだ町の銭湯は幼なじみ(杉本哲太)の実家で、そこで出会う人たち(吉行和子、笹野高史)が重要な役回りとなっており、巧みなストーリー展開といえます。夫が隠していた仕事内容を知って「触らないで! 汚らわしい」とまで言って実家に帰ってしまった妻の美香は、子を身篭ったと判って帰宅した時でさえ、「子どものいじめの要因になる」と暗に転職を求めていたほどですが、彼女が大悟の仕事ぶりを見て感動し、その職業をリスペクトしていく・・・という前宣伝がよくわかんなかったのです。そもそも納棺とは、昔は身内で行っていたほど超プライベートなものであり、路上でライブやるわけじゃないんだから、どうやって見たんかなと。でもそういうことだったんですね。
ストリームの「ブラボーシネマ」で小西克哉氏は、この映画を伊丹映画へのオマージュ的な要素が詰まっていると評しましたが、その意見には禿同です。
ご存知伊丹十三監督のデビュー作『お葬式』は、当初は大手映画会社に軒並み配給を断られたそうです。縁起でもないということなのか、この作品はヒットするまでそんな扱いだったのです。伊丹監督が実際に義父の葬式で、まるで自分が小津映画の中にいるような錯覚を覚えるほど、告別式というものの芝居がかった段取りを経験して、この傑作を着想したというのはあまりに有名です。映画評論家の白井佳夫も常々「映画とは祭りである」と言っていますが、冠婚葬祭というのはまさに祭りなので、葬儀という人間ドラマはもっと映画の題材になってもおかしくないのですが、四半世紀を経て『おくりびと』も名作の仲間入りです。
モックンが前述の腐乱死体の作業を終え悄然として帰宅すると、その日の晩ご飯の食卓はなんと鳥鍋・・・。思わず吐き気を堪えきれずに台所へ走るのですが、そこでムラムラと欲情して広末の肌にむしゃぶりつくんですね。ニットから広末の白い肩がむき出しになっていく様は、『お葬式』で山崎努(!)演じる主人公が、お葬式の最中に愛人とセックスするところと重なりました。野外で喪服をたくし上げられて露になる高瀬春奈の真っ白なお尻のシークエンスは今でも目に焼きついています。「死」に触れて「生」を確認したくなるといいますか、エロスとタナトスというやつですかね。
また、『おくりびと』は食べるシーンが満載で、フライドチキンや干し柿、そしてフグの白子(精巣)といった意味深なものばかり食べるんですが、これは嫌でも『タンポポ』を思い出させます。こちらは「食」と「性」がテーマであり、役所広司と黒田福美が卵の黄身を口移しし合うこのエロいシーンが有名ですが、私は白い服の男(役所広司)が海女(洞口依子)の掌のひらに口を寄せ、カキ(貝ですよ。。)をすするところの方が、より卑猥さを感じ興奮したものです。このオムライスもいかにも美味そうでしたしね。まあ伊丹十三も小山薫堂もともに食通ですから、この辺りはらしさとセンスを感じるところです。
久石譲の音楽も素晴らしいので、サントラもダウンロードしたくなります。
(追記)
先ほど、俳優の峰岸徹さん死去のニュースが。肺がんだったらしい。この映画では主人公の蒸発した父親を演じたが、これが遺作となるのだろうか。この人は昔、岡田有希子の愛人として騒がれたことがあった。しかし、ある芸能界のインサイダーの話によると、実は岡田有希子のお相手は神田正輝だったらしく、同じサンミュージックの大先輩・松田聖子の夫との道ならぬ恋に悩んだ挙句、飛び降り自殺したんたとか。石原プロが神田のイメージダウンを怖れて、峰岸に因果を含めて身代わりを演じてもらったというのが真相らしい。ご冥福をお祈りします。
主演のモックンが納棺師の世界に惹かれ原案を担当したということでしたが、役者が思い入れたっぷりに持ち込んだ企画というのは面白かったためしがない・・・。それに脚本が小山薫堂というのも少々微妙かなあと。「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」を手がけた放送作家として著名ですが、その秋元康チックな経歴と男性ファッション誌やグルメ誌で連載を持つ氏に、最先端を装う軽薄なギョーカイ人という偏見を持っていたのです。
しかし、『おくりびと』泣けました。映画を観て泣いたのは久しぶりでしたが、後半はずっと眼鏡を外していたほどです。この作品はイイ!! 舞台となる庄内平野の自然と、東北弁が効果的だし、親子の物語という私の涙腺の一番弱いところも突いてきているのです。
楽団が解散になって路頭に迷ったチェロ奏者の主人公の大悟(本木雅弘)は、WEBデザイナーの妻(広末涼子)を伴って郷里の山形に戻ります。好条件の求人広告につられて応募したNKエージェントという怪しげな会社に面接即採用されるが、それは遺体を納棺する仕事で・・・というお話。
皆が絶賛するように、冒頭からモックンが美しい所作を魅せてくれます。故人の肌を決して晒すことなく身体を拭き清め、神業のように手際よく白装束に着替えさせ、死後硬直した手を優しくほぐしながら数珠をかけ、死に化粧を施します。納棺の儀はその静謐さと流麗さから、つい茶道師匠のお手前を想起してしまうほどですが、ほうほう、納棺師とはなかなか素敵な職業ぢゃわいと思わせておいて、その後に観客を恐怖のどん底に突き落とすのです。
納棺師見習いとなった大悟はデビュー戦に向かう車の中で、ベテラン納棺師にしてNKエージェントの社長(山崎努)に「それで今日僕は何をすればいいんでしょう」と問いますが、「今日は見てるだけでいいよ」と言いながらも、社長は何やら浮かない顔です。それもそのはず、到着した現場は刑事ドラマの犯人役が住んでいるような安アパートで、遺体は死後二週間経っている独居老人です。うわーっ!! 私ならゴメンナサイと逃げ出したくなる状況ですが、案の定スクリーンからも匂い立つような臭気と、蛆やハエがたかる室内で、強烈な吐き気にのたうちまわりながら、大悟は社長に一喝され死体の脚を持たされる羽目に。いまどきの田舎では、水商売であっても「年齢不問、高額保証、実質労働時間わずか」という仕事のクチはありませんから、やはり月収50万円には理由があるということです。
染み付いた臭気が気になって、帰りに飛び込んだ町の銭湯は幼なじみ(杉本哲太)の実家で、そこで出会う人たち(吉行和子、笹野高史)が重要な役回りとなっており、巧みなストーリー展開といえます。夫が隠していた仕事内容を知って「触らないで! 汚らわしい」とまで言って実家に帰ってしまった妻の美香は、子を身篭ったと判って帰宅した時でさえ、「子どものいじめの要因になる」と暗に転職を求めていたほどですが、彼女が大悟の仕事ぶりを見て感動し、その職業をリスペクトしていく・・・という前宣伝がよくわかんなかったのです。そもそも納棺とは、昔は身内で行っていたほど超プライベートなものであり、路上でライブやるわけじゃないんだから、どうやって見たんかなと。でもそういうことだったんですね。
ストリームの「ブラボーシネマ」で小西克哉氏は、この映画を伊丹映画へのオマージュ的な要素が詰まっていると評しましたが、その意見には禿同です。
ご存知伊丹十三監督のデビュー作『お葬式』は、当初は大手映画会社に軒並み配給を断られたそうです。縁起でもないということなのか、この作品はヒットするまでそんな扱いだったのです。伊丹監督が実際に義父の葬式で、まるで自分が小津映画の中にいるような錯覚を覚えるほど、告別式というものの芝居がかった段取りを経験して、この傑作を着想したというのはあまりに有名です。映画評論家の白井佳夫も常々「映画とは祭りである」と言っていますが、冠婚葬祭というのはまさに祭りなので、葬儀という人間ドラマはもっと映画の題材になってもおかしくないのですが、四半世紀を経て『おくりびと』も名作の仲間入りです。
モックンが前述の腐乱死体の作業を終え悄然として帰宅すると、その日の晩ご飯の食卓はなんと鳥鍋・・・。思わず吐き気を堪えきれずに台所へ走るのですが、そこでムラムラと欲情して広末の肌にむしゃぶりつくんですね。ニットから広末の白い肩がむき出しになっていく様は、『お葬式』で山崎努(!)演じる主人公が、お葬式の最中に愛人とセックスするところと重なりました。野外で喪服をたくし上げられて露になる高瀬春奈の真っ白なお尻のシークエンスは今でも目に焼きついています。「死」に触れて「生」を確認したくなるといいますか、エロスとタナトスというやつですかね。
また、『おくりびと』は食べるシーンが満載で、フライドチキンや干し柿、そしてフグの白子(精巣)といった意味深なものばかり食べるんですが、これは嫌でも『タンポポ』を思い出させます。こちらは「食」と「性」がテーマであり、役所広司と黒田福美が卵の黄身を口移しし合うこのエロいシーンが有名ですが、私は白い服の男(役所広司)が海女(洞口依子)の掌のひらに口を寄せ、カキ(貝ですよ。。)をすするところの方が、より卑猥さを感じ興奮したものです。このオムライスもいかにも美味そうでしたしね。まあ伊丹十三も小山薫堂もともに食通ですから、この辺りはらしさとセンスを感じるところです。
久石譲の音楽も素晴らしいので、サントラもダウンロードしたくなります。
(追記)
先ほど、俳優の峰岸徹さん死去のニュースが。肺がんだったらしい。この映画では主人公の蒸発した父親を演じたが、これが遺作となるのだろうか。この人は昔、岡田有希子の愛人として騒がれたことがあった。しかし、ある芸能界のインサイダーの話によると、実は岡田有希子のお相手は神田正輝だったらしく、同じサンミュージックの大先輩・松田聖子の夫との道ならぬ恋に悩んだ挙句、飛び降り自殺したんたとか。石原プロが神田のイメージダウンを怖れて、峰岸に因果を含めて身代わりを演じてもらったというのが真相らしい。ご冥福をお祈りします。
ある意味、主人公の成長物語ですが、
最初に納棺の儀の様式美、形式美を見せることで、
観客に儀式の厳かさを印象付ける演出は秀逸です。
日本的様式美だと思いますが、
故人との別れを尊厳あるものと見ることが、
カナダで評価されたことをうれしく思います。
音楽はマーラーの5番からアダージェットですね。
ヴィスコンティのベニスに死すでも使われていました。
>マルセルさん、お詳しいんですねー。私はクラシックは全然知識がありませんので、ご指導いただければ幸いです。
先日映画を見たばかりだったので、峰岸さんの訃報には驚きました。
岡田有希子の自殺は随分マスコミを騒がしたので記憶に残っていますが、峰岸さんは替え玉だったというのを始めて知りました。酷い話です。ご冥福をお祈りいたします。
妻の「汚らわしい」発言には驚いてしまいました。
「みんないつかはおくりびと、おくられびと」なのに・・・女性3人からキッスでおくられた爺ちゃんは良い人生を送られたのでしょうね。
時事問題の記事、いろいろ勉強させていただきました。またうががわせていただきます。
最後の峰岸さんのお話に反応。。。 あの事件って当時衝撃的でしたよね。
なので今回の訃報を伺った時も真っ先に思い出してしまいました。というか、彼=あの事件、という図式って、知っている世代なら浮かんでしまいませんか?
この記事で仰せのことが本当ならすごい話ですよね。
しかしよくそんな「役」を引き受けたなと。もっとも、引き受けざるを得なかった事情があったのなら話は別ですが。
・・・そんな彼も、「おくられびと」になってしまいました。安らかに送られていかれたのでしょうと思いますが、ご冥福をお祈りします。
http://jp.youtube.com/watch?v=n3pOn_qymIw
1971年の映画と言いますから、37年前の映画です。
実は俺の親戚も元葬儀屋でした。
葬儀費用の心配も必要なかったのに、今では不安でしょうがないです・・・
峰岸氏の訃報を聞いたとき、同じく岡田有希子を思い出してしまいました。そういえば裏話も聞いたことがあったのに、記憶に残るのは峰岸さんの名ばかり・・・
『お葬式』の高瀬春奈はなぜだかフサフサとした脇毛が強烈に焼き付いています(偽物かもしれませんが)。
TBありがとうございました。
かなり食べてましたね!
フライドチキンはむさぼってました(笑)
死を扱いながら生きることを描いているからなのかなぁと思いました。
緒形拳さんについで峰岸徹さんも亡くなってしまいましたね・・・。
この映画でモックンが父親の顔を覚えていなくて、
回想シーンでは霞がかかってました。
でも、シルエットで峰岸徹だな! と思っていました。
当たっていてうれしかったのですが・・・。
遺作は「その日の前に」だったんですね。あのスキャンダルにより、どこか陰のイメージを引きずりましたが、こうして死ぬまで公開映画が途切れなかったのを見ると、演出者には評価される役者だったんでしょう。
「汚らわしい」発言ですが、ああいうエモーショナルなセリフを云わせるとしたら、身内(妻)しかいないわけで仕方ないかなと。今のご時世、あのバイク事故で死んだ娘の親族が放った職業差別発言はレッドカードぎりぎりですからね。
芸能界における貸借関係の精算は、政界のそれよりも外からはわかりにくく、石原プロと峰岸徹がどのように「握った」のかは不明ですが、当時併せて聞いたのが、聖子が裕次郎最晩年の愛人だったということです。裕次郎が亡くなった際に、聖子が単なる旦那のボスというのにはあまりに不自然なほどの異常な取り乱し方をしたらしく、芸能界のドロドロぶりに驚いた記憶があります。