YouTubeの「とくダネ!」独占映像は、フジテレビに削除されてしまったようですが、ネット上では安全地帯復活を知ったファンたちの喜びの声で溢れています。大阪の安地フリークにして日本有数の矢萩渉ウォッチャーであるくりきんとんさんの興奮ぶりも伝わってきます。意外にも熱烈な男性ファンの多いことに気づかされますが、再評価の気運が高まっているのかもしれません。
新曲「蒼いバラ」は今までの安全地帯および玉置ソロにはなかったパターンの曲調かと。ポップス色が強かった02-03年再結成時の2枚のアルバムよりもブルージーな感じがします。小倉さんの前で披露したアコギヴァージョンを聴きましたが、過去のナンバーから強いて似た雰囲気のものを挙げるとするならば、1stアルバム『REMEMBER TO REMEMBER』収録の「アイ・ニード・ユー」と「エイジ」でしょうか。洗練の度合いはまるで違うものの、これはギターバンドとしての原点回帰なんですかね。
それよりも嬉しかったのは、カップリングの「ワインレッドの心 2010」がオリジナルのトラックをベースにボーカルとリズム隊を再録音したということです。新たな編曲を施すのでなく、原曲のアレンジを活かしてリマスターというのが素晴らしい。そうこなくっちゃ。歌入れシーンを見るに、玉置浩二は26年前のキーを落とさず、サビでも完璧に声が出ていました。
彼らの代名詞ともいえるこの曲は、その後の玉置ソロでも欠かさずに歌われていますから、ほとんどのライブ盤に収録されています。枯れた弾き語り風、またはボサノヴァ風と各種ありましたが、いずれも少々スローで厚みにかけます。本来この曲はイメージ以上にミディアムテンポであり、矢萩渉のチョーキングに武沢豊の美しいアルペジオが絡み、星勝の幻想的なストリングスアレンジをバックに、それまで誰も耳にしたことがなかった個性的な声とヴォーカルワークが冴えをみせるというのが最大の魅力なのです。だから私にとって、金字塔的作品である83年の「ワインレッドの心」が一番好きです。
「ワインレッドの心」は、これまでの人生で一番聴いた曲であり、おそらく3千回は下らないと思います。15歳で安全地帯を知った後、プリンスにハマり、マーヴィン・ゲイに耽溺し、ドゥービーブラザーズやスティーリー・ダンに惹かれた時期もあり、近年はiPodの中身の7割がジャズに占められていますが、いつも座右には安全地帯および玉置浩二がありました。
リリースから四半世紀以上経つのに、いまだにナイトソングの定番として歌い継がれ、また井上陽水、美空ひばり、布施明、高橋真梨子、大橋純子、杏里など錚々たるシンガーたちが好んでカバーしている事実からも、この曲が玄人からも大衆からも高い評価を得ていることがわかります。昔ギターの上手い邦楽をほとんど知らない友人にコード分析してもらったのですが、「シンプルだけど自然な進行で素晴らしい」と唸っていました。80年代のみならず日本のポップスの歴史に残る名曲といっていいでしょう。
しかし、送り手当人の思いは複雑だったようで、玉置浩二は「ワインレッドは破滅の始まりだった」と述懐しています。もともと西海岸風ロックバンドとして、上京前の旭川ではちょっとしたローカルヒーローだった安全地帯も、デビュー後はレコードセールスがさっぱりで、鳴かず飛ばずの状況が続きました。売り出しの方策として、あのブロンドメイクにデザイナーズキャラクターのスーツという出で立ちで、妖艶な歌謡ロックを歌ったところ、それが大当たりしてしまったのです。その成功の度合いが半端でなかったため、定着したパブリックイメージを覆すことができなくなったというわけです。一世を風靡した一連のロマンチックなラブソング路線は、本来自分たちがやりたいものではなかったのです。
それまでに自分たちがやってきたサウンドで世に出ていれば、その後もバンドが維持できたかもしれないという思いは、87年の活動休止や90年代初頭に起こった事務所やメンバーとの確執、そして精神を病んで入院→実家で静養という軌跡を歩んだ玉置浩二本人の偽らざる実感かもしれません。でも志田歩著の評伝『幸せになるためになるために生まれてきたんだから』の中で、当時の安全地帯をプロデュースした中心人物の一人であるアレンジャーの星勝はこのように語っています。
「<ワインレッド>は“届いた”って思ったんですよね。新しくて良い、懐かしくて良い、時代性も含めて、いろんな要素が全部良い。僕は、あれ以外には安全地帯に注目してもらえる形を考えられなかった。ただ、玉置自身が安全地帯をできればああいう形じゃなくやりたかった、と思っていて、いまでもそれをひきずってるとしたら、半分謝ろうかな、と思う。だけど半分は、これでよかった、と言うしかないですね」
謝らなくていいです。キティレコードの多賀社長、金子ディレクター、星勝プロデューサーに心からお礼を云いたい。
「安全地帯を届けてくれてありがとう」と。
「熟成したワインのように」とは玉置の表現ですが、長い年月が経って、今こそ往年の曲が歌えると、これまでの屈折を吹っ切ってレコーディングに臨んでいるのは本当に感涙モノですよ。
次回の「中篇」は、なぜ安全地帯が爆発的に売れたのかを考察してみたいと思っています。
(つづく)
新曲「蒼いバラ」は今までの安全地帯および玉置ソロにはなかったパターンの曲調かと。ポップス色が強かった02-03年再結成時の2枚のアルバムよりもブルージーな感じがします。小倉さんの前で披露したアコギヴァージョンを聴きましたが、過去のナンバーから強いて似た雰囲気のものを挙げるとするならば、1stアルバム『REMEMBER TO REMEMBER』収録の「アイ・ニード・ユー」と「エイジ」でしょうか。洗練の度合いはまるで違うものの、これはギターバンドとしての原点回帰なんですかね。
それよりも嬉しかったのは、カップリングの「ワインレッドの心 2010」がオリジナルのトラックをベースにボーカルとリズム隊を再録音したということです。新たな編曲を施すのでなく、原曲のアレンジを活かしてリマスターというのが素晴らしい。そうこなくっちゃ。歌入れシーンを見るに、玉置浩二は26年前のキーを落とさず、サビでも完璧に声が出ていました。
彼らの代名詞ともいえるこの曲は、その後の玉置ソロでも欠かさずに歌われていますから、ほとんどのライブ盤に収録されています。枯れた弾き語り風、またはボサノヴァ風と各種ありましたが、いずれも少々スローで厚みにかけます。本来この曲はイメージ以上にミディアムテンポであり、矢萩渉のチョーキングに武沢豊の美しいアルペジオが絡み、星勝の幻想的なストリングスアレンジをバックに、それまで誰も耳にしたことがなかった個性的な声とヴォーカルワークが冴えをみせるというのが最大の魅力なのです。だから私にとって、金字塔的作品である83年の「ワインレッドの心」が一番好きです。
「ワインレッドの心」は、これまでの人生で一番聴いた曲であり、おそらく3千回は下らないと思います。15歳で安全地帯を知った後、プリンスにハマり、マーヴィン・ゲイに耽溺し、ドゥービーブラザーズやスティーリー・ダンに惹かれた時期もあり、近年はiPodの中身の7割がジャズに占められていますが、いつも座右には安全地帯および玉置浩二がありました。
リリースから四半世紀以上経つのに、いまだにナイトソングの定番として歌い継がれ、また井上陽水、美空ひばり、布施明、高橋真梨子、大橋純子、杏里など錚々たるシンガーたちが好んでカバーしている事実からも、この曲が玄人からも大衆からも高い評価を得ていることがわかります。昔ギターの上手い邦楽をほとんど知らない友人にコード分析してもらったのですが、「シンプルだけど自然な進行で素晴らしい」と唸っていました。80年代のみならず日本のポップスの歴史に残る名曲といっていいでしょう。
しかし、送り手当人の思いは複雑だったようで、玉置浩二は「ワインレッドは破滅の始まりだった」と述懐しています。もともと西海岸風ロックバンドとして、上京前の旭川ではちょっとしたローカルヒーローだった安全地帯も、デビュー後はレコードセールスがさっぱりで、鳴かず飛ばずの状況が続きました。売り出しの方策として、あのブロンドメイクにデザイナーズキャラクターのスーツという出で立ちで、妖艶な歌謡ロックを歌ったところ、それが大当たりしてしまったのです。その成功の度合いが半端でなかったため、定着したパブリックイメージを覆すことができなくなったというわけです。一世を風靡した一連のロマンチックなラブソング路線は、本来自分たちがやりたいものではなかったのです。
それまでに自分たちがやってきたサウンドで世に出ていれば、その後もバンドが維持できたかもしれないという思いは、87年の活動休止や90年代初頭に起こった事務所やメンバーとの確執、そして精神を病んで入院→実家で静養という軌跡を歩んだ玉置浩二本人の偽らざる実感かもしれません。でも志田歩著の評伝『幸せになるためになるために生まれてきたんだから』の中で、当時の安全地帯をプロデュースした中心人物の一人であるアレンジャーの星勝はこのように語っています。
「<ワインレッド>は“届いた”って思ったんですよね。新しくて良い、懐かしくて良い、時代性も含めて、いろんな要素が全部良い。僕は、あれ以外には安全地帯に注目してもらえる形を考えられなかった。ただ、玉置自身が安全地帯をできればああいう形じゃなくやりたかった、と思っていて、いまでもそれをひきずってるとしたら、半分謝ろうかな、と思う。だけど半分は、これでよかった、と言うしかないですね」
謝らなくていいです。キティレコードの多賀社長、金子ディレクター、星勝プロデューサーに心からお礼を云いたい。
「安全地帯を届けてくれてありがとう」と。
「熟成したワインのように」とは玉置の表現ですが、長い年月が経って、今こそ往年の曲が歌えると、これまでの屈折を吹っ切ってレコーディングに臨んでいるのは本当に感涙モノですよ。
次回の「中篇」は、なぜ安全地帯が爆発的に売れたのかを考察してみたいと思っています。
(つづく)
私も若かりし日に「ワインレッドの心」を聞いて以来、この曲に夢中になりました。
あの曲の何処に魅力を感じるのか、実はあまり考えたことがなかったのですが、今回、音次郎さんにこうして考察いただくことで、納得できそうです。
中篇も楽しみに待ってます。
>くりきんとんさん
ちょくちょくお邪魔してます。いつも貴重な情報をありがとうございますです。
ライヴはLiveだからこの表記で正しいようです、しかしlaもraも「ラ」と書かれます、発音は違うのにね。