「真田信繁殿でござるか?」
「いかにも、して、その方はどちらのご家中か?」
「越前松平でござる」
「手向かいは致さぬゆえ、お手柄になさいませ」
「”いざ」
こんな会話が交わされた・・・か、どうか?
そんな場面を想定し、彫りました。(最新作”未完成)
下は、当時の安居神社
私の「赤備え」軍団、最後の作です、幸村の横のあたりに、太刀、兜などを置いて完成に・・・
回りはすべて徳川軍・・・
手前に西の階段、とても急です。
飛鳥時代、この地は船着き場でした、
「難波の宮」近くでは、浅瀬が進み、以後はここを主要に行き来していたそうです、その当時は、小さい祠を祭っていて、船客の休憩場所でも、あったそうです。
「安居神社」の名の由来です。
・手前の道は、「下寺町筋」秀吉が築城時に寺を寄せた道
・対して、奥の高い所が「上町筋」四天王寺、愛染さん、生玉社、などが
並んでいます・・・
・右の道は現在の国道25号線、その右に「一心寺」急な「逢坂」を挟んで
幸村の本陣「茶臼山」です。
・敵本陣(現松虫通り?あたりか?)の家康に迫るも、押し返され・・・
この時、家康は8キロ南の「あびこ観音」まで逃げたとか・・・
住職に世話になったお礼にと、後に本殿寄進をしています。
ここの屋根瓦は、今も「三つ葉葵」が・・・。
・下の真田丸(動画あります)
大坂の陣2道明寺
下は大坂の陣3「天王寺合戦」
・大坂の陣4 大坂城
と続けてきましたが、
「幸村の最後」で一応の完結です、
展示は季節、場所に合わせて続けます、また貸し出し展示も依頼があれば
お受けします。(無料”)