29日の土曜日、顔を洗っていたら突然めまいが発生。洗面台の縁をつかんでぶっ倒れるのを避けた。一回は経験のあることなので、1日過ごしていたが、日曜日は大変で、結局、今日9時前に池田クリニックへ駆け込んだ。点滴をやってもらい、薬は吐き気を改善する『ナウゼリン』と、めまいを止める『メリスロン』を処方してもらった。タイトルの病は、耳石が三半規管で作用しているため、とのことだが、いずれは自然に消滅するらしく、それまでに『メリスロン』は効果があるらしい(パソコンで調べた)。ちょっと遠い耳鼻科に行かねばならんかと思っていたが、池田先生に感謝。また、この病は20分くらいは歩いたほうが良いらしく、じっと寝ていたのは不正解みたかった。
何度目かのこの本。
儒教について。「儒教国家というものは自然のままの人間というものをみとめない。人間は秩序原理(礼)」でもって飼い馴らしてはじめて人間になる。そうなっている。…一原理によってぼう大な数の人間を飼い馴らすというのか中国古来の国家の仕事であり、専制皇帝もまたこの飼い馴らしから自由ではなく、みずから礼教の範をたれるというのが人君たるものの理想とされている。…国家的に飼い馴らしてきた歴史をもつ西洋人ならばよく理解できるのにちがいない。ただ西洋の場合は神父と官僚は機能として分離されているが、中国の官僚は儒教の牧師であるとともに行政者であるという徹底した点でわずかにちがっていた」とある。歴史の重みを感じさせる。
儒教について。「儒教国家というものは自然のままの人間というものをみとめない。人間は秩序原理(礼)」でもって飼い馴らしてはじめて人間になる。そうなっている。…一原理によってぼう大な数の人間を飼い馴らすというのか中国古来の国家の仕事であり、専制皇帝もまたこの飼い馴らしから自由ではなく、みずから礼教の範をたれるというのが人君たるものの理想とされている。…国家的に飼い馴らしてきた歴史をもつ西洋人ならばよく理解できるのにちがいない。ただ西洋の場合は神父と官僚は機能として分離されているが、中国の官僚は儒教の牧師であるとともに行政者であるという徹底した点でわずかにちがっていた」とある。歴史の重みを感じさせる。