『人間というもの 司馬遼太郎』(PHP文芸文庫)より。
谷沢永一さんがその『余白』でこのように言う。「司馬さんは日本歴史の急所となっている問題をあまねく解明してゆくのだが、我が国にのみ独自に発生した宗教意識をはじめて明快に解きあかした」とし、『尻くらえ孫市』の一節を取り上げる。
「…弥陀の本願によってたれでも救われるのでございますから、南無阿弥陀仏をとなえる者だけが極楽に生まれるというものではございませぬ。たれでも、生まれさせて頂けます。お念仏は、そういうありがたさを感謝する賛仏のことばにすぎませぬ」
極楽往生のためではなく、あくまでも感謝のことばなのである。
谷沢永一さんがその『余白』でこのように言う。「司馬さんは日本歴史の急所となっている問題をあまねく解明してゆくのだが、我が国にのみ独自に発生した宗教意識をはじめて明快に解きあかした」とし、『尻くらえ孫市』の一節を取り上げる。
「…弥陀の本願によってたれでも救われるのでございますから、南無阿弥陀仏をとなえる者だけが極楽に生まれるというものではございませぬ。たれでも、生まれさせて頂けます。お念仏は、そういうありがたさを感謝する賛仏のことばにすぎませぬ」
極楽往生のためではなく、あくまでも感謝のことばなのである。