ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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真実を知ることの意味(石巻市立大川小学校の父母にとって)

2012年04月03日 | マミム・メモ

  

 3.11以後、私はブログや勉強会などで「釜石の奇跡」を生んだ防災教育を紹介してきた。「自分の命は自分で守る」という、片田敏孝(群馬大学大学院教授)の指導の下にすすめられた釜石市教育委員会の取り組みは、単に防災のためばかりでなく、主体的に生きる力を育むという教育の基を考えるにあたって示唆に富む。

「釜石の奇跡」を語るとき、私の脳裏にはつねに「大川小学校の悲劇」があった。あの日、石巻市の大川小学校では児童108人のうち74人(教職員を合わせると84人)が死亡あるいは行方不明になった。同じように津波に襲われた近隣の小学校では犠牲者が出なかったのに、どうしてこのような事態に至ったのか? 真相を求める保護者らにたいして学校も教育委員会もこれまでのところ納得のいく説明をしていない。そんな事後の対応もふくめて、言葉で言いつくせないほど悲しく、腹立たしい。悔しく、どうにもやりきれない思いがつのる。子どもを亡くした父母の悲しみを想うと、私には何も語れなかった。

 そんなとき、3.11以後、犠牲になった子どもたちの父母に寄り添って子どもたちの捜索と真相究明の経過を見てこられた二瓶龍彦さんのことを知った。二瓶さんは、現在発売中の『週刊金曜日』(3月30日号、講談社)に「真相究明を求める父母たち」という文章を寄稿しておられるが、記事に盛り込めなかった多くの事実をtwitterでも発信しておられる。この問題をみんなで語り、考えるきっかけになることを願って、以下にその一端を転載させていただく。

週刊 金曜日 2012年 3/30号 [雑誌]
クリエーター情報なし
金曜日

・生徒74人、教職員10人の犠牲を出した石巻市立大川小学校。学校管理下で起きたこの悲劇が、人災であったということを認識している人が意外と少ないのに驚く。地元以外はまだあまり知られていないのか。そこからまた丁寧に書かなければならない。

・大川小学校の子どもたちが、校庭で過ごした津波が来るまでの恐怖の50分間。泣いている子も、立っていられない子も、気分を悪くして吐いていた子も。中には「こんなところで死んでたまるか」と友だちと励ましあっていた子も。津波が来た瞬間、子どもたちはいったい何を見たのだろうか。

・石巻市立大川小学校の保護者たちは、震災翌日の12日からわが子を自ら捜しはじめた。学校にいたから助かっていると信じていた父や母たち。わが子を捜す彼らの手。その手を思うと、今も胸をえぐられる。

・ある遺族は、わが子を発見して抱き上げたとき、その子の目からひと筋涙が零れ落ちたのを見た。そう話す父の目からも涙が零れ落ちていた

・ある遺族は「どうして学校からあんな姿で帰ってこなければならなかったのか。ビニールシートに包まれて、裸にされて、目や鼻や耳には泥が詰まって」と涙した。そして「これから学校は入学の際は、子どもの命は守らないということを保護者に伝えるべき」と怒りに身を震わせた

・あの日、大川小学校にはスクールバスも来ていた。学校の指示待ちとして待機。そしてバスの運転手も犠牲となる。高学年の子たちは裏山に逃げ、小さな子や非難してきた高齢者たちはこのバスで逃げていれば、全員が助かったのではないか。同じような条件下の近隣の学校は犠牲を出していない。

・石巻市教育委員会は、大川小の遺族から猛烈な抗議を受けてからしか動いてこなかった。自ら遺族に対して何かをすることは一切なかった。終わったこととして、当たり前のようにうやむやにしようとしてきた。東電と同じ体質。遺族のだれがそれを許すか。遺族はがんばった。水俣の二の舞にならないよう。

・自らの手でわが子を捜し出さなければならなかった大川小の父や母たちは、その悲しみのなかでなぜわが子が犠牲にならなければならなかったのかの理由も捜さなければならなかった。事実を隠された遺族たち

・石巻市立大川小学校の失われた74人の子どもたちは、いったい今なにを見ているだろうか。私たち大人たちを見て、何を思っているだろう。

・大川小の父や母たちは、わが子を見つけてみな同じことをつぶやいた。「ごめんね、ごめんね、ごめんね……」

「避難訓練さえしていればずいぶん事態は変わっていたと思います」と二瓶さんはおっしゃる。「ただ、そういった体質と、その後の遺族に対する校長、市教委の態度から見る体質は同じだと感じています。いつも子どもたちの命が真ん中にない」。

 大川小学校だけの問題ではない。今後、二度と類似の悲劇を起こさないためにも、学校や教師、教委の姿勢と責任の在り方、学校教育の在り方そのものを根本から問い直す必要があるだろう。

追伸:二瓶さんの昨夜のつぶやきから。

・大川小学校の遺族の方から電話が入る。「週刊金曜日」を読んだとのこと。「今までこういう記事はなかった」「丁寧に書いていただいた」と、とても喜んでいただけた。ホッとした。

・またとんでもない話をきく。大川小の遺族たちは、宮城県知事へ直接「ひきつづき行方不明者の捜索」「石巻市教委の人事異動をしない」ことなどを嘆願。そのため知事は大川小に花を手向けに来た。その記事を石巻市広報に職員が書いた。だが、市長がそれをカット。なぜそうしなければならなかったのか。

・大川小学校の生存した子どもたちなどに聞き取り調査をし報告書を作った市教委のひとりは、そのときのメモを廃棄している。常識では考えられない。その人は責任をとることもなく、今回の人事異動で市教委を去り、ある学校の校長となった。責任をとることなく依願退職した柏葉校長につづいた。

 ところで、大川小学校のことを中心に描いた森元修一監督の映画「大津波のあとで」が、震災前後の岩手県大槌町の映像を構成した大久保愉伊監督の「槌音」とともに、4月7日から13日まで神戸アートビレッジセンターで上映される。

上映日時

4月7~9日は午後5時20分から(8日は上映前に森元監督の舞台あいさつがある)

4月12、13日は午後3時40分から(10、11日は休み)

 

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1 コメント

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ご参考にしてください♪ (ひたすら♪)
2012-04-24 13:28:43
きっと心が納得してくれるおもってご紹介させていただきます。
「伊勢白山道」というブログです。
生きていることに感謝すること
ご先祖供養すること

これだけのブログですが、それ以外のトンデモ話にもきっと興味を持っていただけるかと思います。
子どもたちの未来は私たちの日々の思いで決まる♪
そう考えると頑張らねばと思います。
「ただ ひたすら」というgooのブログも是非覗いてみてください♪

ゴールデンウィークに東北の実家に帰るときに石巻に立ち寄ってみようと計画していて、その中で大川小学校の検索でこちらにお邪魔させていただきました。
何かのご縁ですね♪
情報の共有ができれば幸いです。
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