ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

社会を正気に保つ学びとは? powered by masaharu's own brand of life style!

「文化アニメーター」としての図書館員(アントネッラ・アンニョリさんの講演を振り返る)

2013年06月17日 | 知のアフォーダンス

 

 少し前の話で恐縮ですが、先々週の木曜日(6月6日)に母校の京都外国語大学でアントネッラ・アンニョリさんの講演「知の広場 新しい時代の図書館の姿」(イタリア語学科主催)がおこなわれると聞いて、出かけてきました。そのときのメモと記憶を頼りにまとめた講演の要旨は、すでにネット上にアップロードしてありますが、忘れないうちに、わたしがこの講演をどう受けとめたかを記しておきたいと思います。

 この日、用意された大教室はほぼ満席で、図書館関係者はもちろん、研究者や学生、一般市民など、さまざまな方が参加しておられたようです。わたしは現職教員のときに、しばらく学校図書館の仕事をしていたことはありますが、もともと図書館専門職でも研究者でもありません。ただ、定年退職後に時間的な余裕ができたこともあって地域の図書館を利用することが多くなったことから、地域の文化・情報基盤としての公共図書館のあり方にも関心を寄せるようになりました。そんなわたしが、いまアンニョリさんのお話をふりかえって印象に残っているのは、以下のように語っておられたところです。

「これからは新しい能力をもった図書館員が必要。それは役人であるより文化アニメーターの能力である。イタリアでは難しい状況にあるが、図書館員が自分たちで変えていかなくてはならない。図書館員は、人と本、人と情報の間に入ってファシリテーターの役割を果たすべきだと思う」(要旨)

 「文化アニメーター」というのは、そのとき通訳されたままの表現ですが、イタリア語ではanimatore(アニマトーレ)。ここでは、もちろんアニメの原画や動画をつくる技術者のことではなくて、社会文化アニマシオンを推進する専門職のことです。このことばをアンニョリさんは、burocrateつまり「役人、官僚」ということばと対比して使っておられました。社会文化アニマシオンというのは、早稲田大学の増山均さん(人間発達とアニマシオン)によると、第二次世界大戦後、経済成長に偏った社会の中で人々の人間性を回復することをめざしてフランスから始まった国民の余暇権・文化権を保障する取り組みのことで、その後「スペインやイタリアなどの近隣諸国をはじめ、中南米各国にも広がり、社会改革の原理として影響をもたらしている」といいます。その基本理念は、文字どおり「魂を活性化すること」(=アニマシオン)で、人間本来の主体性と創造的な内的活力を活性化させることを意味します。スペインで生まれた「読書のアニマシオン」やフランスの「公共図書館におけるアニマシオン」も、この理念にもとづく取り組みと言えるでしょう。

 しかし、そのような背景をもたないわたしたちは、日頃から余暇や文化、ゆとりといったものを、それほど切実に求めていないように思えます。文化とは、経済生活に余裕があったうえで教養や嗜みとして楽しむものだと考えがちではないでしょうか。でも少し考えてみれば、わたしたちがどんな状況にあるときにも、というより、むしろ苦境に立たされ精神的なゆとりがないときにこそ、活力をもってイキイキと生き抜くために文化の力が欠かせないことがわかります。音楽や絵画に元気づけられたり、一冊の本によって世界の見方が変わったり、一服のお茶が冷静な判断をとりもどしてくれたり・・・そんなことを想いながら、アンニョリさんのお話の中に出てきた図書館の事例を思い出してみました。

 ふだんは図書館に来ない人を呼び込む。「文盲を減らす」と表現された情報格差解消の取り組み。十代の若者と一緒につくる図書館。失業者や家が狭い人がやってきて職を探したり仕事をしたりできる図書館。共同作業や討論をする場所としての図書館。ホームレスも排除しないで、だれもが一日中快適に過ごすことのできる図書館、などなど。そういった仕事を「官僚的なお役所仕事」としてではなく「文化アニメーター」としてやることのできる資質や能力が、これからの図書館員に求められるとアンニョリさんはおっしゃるのです。

 快適な居住空間に地域の人々を講師に迎えて、さまざまな講座をひらいて、図書の利用に結びつけている「アイデアストア」の事例も話してくださいましたが、それは、ただ老人に生きがいを与えるだけでなく、働き盛りの人たちが新しいアイディア生み出し、問題や課題を抱えた人たちがブレークスルーを見つける場所にもなるでしょう。

 こうしたアンニョリさんの話から浮かび上がってくる公共図書館の姿は、社会のインフラというより、むしろライフラインと言った方がいいかもしれません。「第三の場所」、とアンニョリさんはおっしゃいました。米国の社会学者レイ・オルデンバーグ(Ray Oldenburg)は著書“The Great Good Place”で家庭(第一の場所)や仕事場(第二の場所)だけでなくカフェやサロンのような「第三の場所」が社会的に重要な機能を担っていることを指摘し、スターバックスもそのコンセプトにもとづいて設計されていることは知られています。しかし、講演から数日たって中島岳志さんの『秋葉原事件―加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)を読んだとき、わたしは考え込んでしまいました。この本に描かれているのは、まわりに善意の人や友だちがいても孤独や孤立から抜け出せなかった被告の姿です。そんな状況が誰にでもおこりうる社会に暮らしているのだとしたら、わたしたちは現代社会に求められるライフラインとしての「第三の場所」はどういうものかを、あらためて考えてみる必要があるでしょう。そういえば、かつて雑誌『世界』(2005年8月号)に虫賀宗博さんの「自殺したくなったら、図書館へいこう」という記事が掲載されて話題になったことがありましたが、「第三の場所」におけるコミュニケーションについて何らかの手がかりが得られるかもしれません。

 お話の最後にアンニョリさんは、あるアメリカの図書館の看板をスライドで見せてくださいましたが、そこにはこんなことが書かれていました。(この看板の写真は、図書館のホームページに掲載されています)

GILPIN COUNTY PUBLIC LIBRARY

Free Coffee, Internet  無料のコーヒーとインターネット

Notary, Phone, Smiles 公証人と電話と笑顔

Restrooms & Ideas トイレとアイディア

 公共図書館で公証人(notaryあるいはnotary public)を提供するというのは、なかなかイメージしにくいかもしれませんが、アメリカではごく普通のことのようです。公証とは重要な文書を公に証明をしてもらうことを言いますが、たとえば日本だったら役所に行って印鑑証明を取ったりするようなときに、アメリカでは郵便局や銀行、図書館などに行って、重要書類にサインをするのを見届けて、本人のものであることを証明してもらうのです。パスポートなどの書類をコピーして提出する場合にも、たしかに原本のコピーであることを証明してもらえます。そんなアメリカの公証人は日本の公証人のような法律家ではありません。ライセンスをもった社会的信用のある立場の人で、図書館員や郵便局員、地元の名士だったりするのです。

 少し脱線してしまいましたが、アンニョリさんは、この看板をわたしたちに見せながら、公共図書館では、とくに「スマイル」と「アイディア」を提供することが大切だとおっしゃいました。それは、単に図書館員は愛想が良くて親切であるべきだということではなくて、図書館を利用する人々が笑顔をとりもどし、知的な充実感を味わう経験をするために図書館(員)は何をすべきかを問うておられるのでしょう。

 講演後の質疑応答でもアンニョリさんの図書館像は一貫していました。すべての人々に平等な情報環境を提供する図書館。社会的弱者とされる人たちを排除しないで迎え入れる図書館。そういった図書館は、情報格差の拡大や人々の分断をくいとめて社会を安定的に維持するために不可欠であり、そこに市場原理における淘汰の原理を適用するべきではない。アンニョリさんのお話しをとおして、わたしなりにそんなことを考えました。

知の広場――図書館と自由

アントネッラ・アンニョリ, 柳 与志夫[解説], 萱野 有美

 

みすず書房

<アニマシオン>を知りたい人には、下記の本をお勧めします。

アニマシオンが子どもを育てる―新版 ゆとり・楽しみ・アニマシオン
増山均著、2000年
旬報社
アニマトゥール フランスの社会教育・生涯学習の担い手たち

ジュヌヴィエーヴ・ブジョル、ジャン=マリー・ミニヨン著/岩橋恵子監訳、

2007年

明石書店
フランスの公共図書館60のアニマシオン
ドミニク アラミシェル著、辻由美訳、2010年
教育史料出版会

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 続・学校文化の変容を目指す... | トップ | 第3回大人のための絵本サロン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

知のアフォーダンス」カテゴリの最新記事