昨年末に出版された矢口以文さんの詩文集『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』(コールサック社、2010)を片桐ユズルさんから送ってもらった。
冒頭の「戦争中僕らの町に海軍航空基地があった」に収められた詩を読んで、いきなり何十年か前にタイムスリップしたような感覚に襲われる。日本の戦争体験を描いたこのような詩を読まなくなって久しい。矢口さんが自らの経験を通して戦争を見据える目は鋭く、今もこのような詩を書き続けておられることに身が引き締まる。だが、矢口さんを「反戦詩人」と呼ぶのはあまりにも表面的だろう。「神の心」と「故郷の言葉で」では、その感受性の背景となっている生い立ちや誕生以前にまでさかのぼって自らの存在の根源を深く見つめておられる。矢口さんの故郷である宮城は、私にとって幼いころに離別した母の故郷であり、空襲で焼け出された家族の疎開先でもあった。その方言は、もう何十年も聞いていなくてすっかり忘れていたはずなのに、意外にもよく分かる。そして、自分がはるか遠くに追いやっていたさまざまな記憶が、もつれた糸が解けるようによみがえってきた。
「詩と散文」まで読み進んでいくと、矢口さんのことばがますます圧倒的な力でせまってくる。矢口さんは、アメリカ文学の研究者にして詩人、非暴力平和主義の立場に立つキリスト者として自らの生を全うしようとされている。最後の文章の「どうしますか?」という問いかけに、私なりに何らかの応答をしなくてはならないだろう。
矢口さんより10年遅れてこの世に生を受けた私にもまた、自らの生い立ちにかかわる戦争体験がある。敗戦直前の空襲で家を焼かれ、目の前で遊び友だちを失い、荒廃した都会で過ごした少年時代。青年期に入ってからは安保やベトナム戦争、関連して起こるさまざまな社会の出来事にも敏感に反応した。活動のよりどころにしていたのは非暴力直接行動だった。岩国の米軍基地や広島にも何度か赴き、米兵の支援を手伝ったりもした。過去のことではない。戦争を回避するために私たち一人一人が、どのように思考し行動するか? それは、持続可能な社会を構築するための、きわめて現代的で切実な課題ではないか。まず戦争を起こさないことを最優先にして生きるという強い意志を共有しなくてはならない。それには、戦争を起こす社会のシステムや私たち一人ひとりの心性にも目を向けなくてはならないし、これまでに積み上げてきたさまざまな前提を問い直すことも必要だ。真の意味で私たちの知性のありようが問われている。私たちは、いま、人間性の成熟にいたる進化の門口に立っているのかもしれない。
矢口さんは、2月6日(日)、片桐ユズルさんの傘寿のお祝いの会にゲストとしてこられることになっている。朗読を聞くのが楽しみだ。
片桐ユズルさん、傘壽お祝いの詩の会
2月6日(日)14:00~17:00
ザ・パレスサイドホテル(地下鉄丸太町駅下車)
ゲスト:
秋山基夫さん(岡山在住の詩人)
中川五郎さん(東京在住の歌手)
矢口以文さん(札幌在住の詩人)
片桐ユズルさんの話:「戦争と意味論」(仮題)
途中、ティータイム・歓談の時間も設けます。
費用:一人5000円/+お祝い金
(関心のある方は、連絡をください。)
詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと―矢口以文詩集 | |
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