今日はちょっと難題について。
先天性の心臓病を患い闘病生活を続けている秋田市の中学生雲雀英行君(14)。
移植手術を受けるため米国に向けて出発。
手術費用を捻出するために「ひでゆき君を救う会」が結成され、費用6000万円を目標に
募金活動を続け、1億を超える募金が集まり、このたび渡米が実現した。
募金は秋田各地をはじめ、インターネットでの呼びかけ等で善意が集まった。
とここまでは美談。
それに対し、費用6000万もかかるのか、医師や看護婦の費用まで多めに入ってるんじゃ
ないのかなど陰口はある。
そしてそんな臓器移植のための渡米の話が聞こえるたびに出てくるのが、
なぜ日本でできないの?
臓器移植ということは生きている臓器を提供してもらうことであり、そうすると
提供する側は生きていないのかということになる。
日本では「脳死」というのがまだ確実には認められていない。
それを認めてしまえば日本でも臓器移植は可能なんだろう。
決して技術がないからできないわけじゃないんだ。
そこで「脳死」を認めるかどうかという議論になる。
脳が停止してる段階の植物状態を「生きてる」と言えるかどうか。
機械的に臓器を動かして、目を覚ますことの全くない状態を生きてると言えるか。
臓器提供を受ける側にしてみれば、それはすでに「死んでる状態」で、
そのまま飾り物にするくらいなら、体の一部でも他人に提供して生き続けさせてやったら
いいのではと言う。
ただ、家族としてどうだろう。
ただ眠ってるようにしか見えない自分の子供に対し、その場で人生の終止符を打たせる
ことができるだろうか。
どうやっても起き上がることがないと理解しても、大事な子供の体を切り裂いて
バラバラにして他人のために使ってくださいと言えるのか。
臓器移植費用はみんなの善意で集まっただろうけど、臓器提供者を募集したら
どんな結果になっていたんだろう。
先天性の心臓病を患い闘病生活を続けている秋田市の中学生雲雀英行君(14)。
移植手術を受けるため米国に向けて出発。
手術費用を捻出するために「ひでゆき君を救う会」が結成され、費用6000万円を目標に
募金活動を続け、1億を超える募金が集まり、このたび渡米が実現した。
募金は秋田各地をはじめ、インターネットでの呼びかけ等で善意が集まった。
とここまでは美談。
それに対し、費用6000万もかかるのか、医師や看護婦の費用まで多めに入ってるんじゃ
ないのかなど陰口はある。
そしてそんな臓器移植のための渡米の話が聞こえるたびに出てくるのが、
なぜ日本でできないの?
臓器移植ということは生きている臓器を提供してもらうことであり、そうすると
提供する側は生きていないのかということになる。
日本では「脳死」というのがまだ確実には認められていない。
それを認めてしまえば日本でも臓器移植は可能なんだろう。
決して技術がないからできないわけじゃないんだ。
そこで「脳死」を認めるかどうかという議論になる。
脳が停止してる段階の植物状態を「生きてる」と言えるかどうか。
機械的に臓器を動かして、目を覚ますことの全くない状態を生きてると言えるか。
臓器提供を受ける側にしてみれば、それはすでに「死んでる状態」で、
そのまま飾り物にするくらいなら、体の一部でも他人に提供して生き続けさせてやったら
いいのではと言う。
ただ、家族としてどうだろう。
ただ眠ってるようにしか見えない自分の子供に対し、その場で人生の終止符を打たせる
ことができるだろうか。
どうやっても起き上がることがないと理解しても、大事な子供の体を切り裂いて
バラバラにして他人のために使ってくださいと言えるのか。
臓器移植費用はみんなの善意で集まっただろうけど、臓器提供者を募集したら
どんな結果になっていたんだろう。
親や家族からすれば、「そんなことはない、生きてるよ」
場合によっては、死んだと分かっても認めたくない
俗に植物人間と言われるような人でも、「手を握り返してきた」だとかいろいろ聞く
周囲に言わせれば、「そんなことあるはずないだろう」で終わってしまうんだけど
まだ体は温かいのに、死んだって認めろってのは難しいだろう
もし、死んだのが自分の子供だったら? 絶対に出来ないよ
提供者があらわれるということは、「1人死ぬ」という現実があるワケですからね。
死んだのが、自分の子供だったら???
移植を受けるのが、自分の子供だったら???
私の親戚はお寺さんなんですが、心臓移植には反対していますね、そこの宗派は。
死んだのが、自分の子供だったら???
移植を受けるのが、自分の子供だったら???
私だったら、どうかなあ? 難しいなあ。募金は300円ぐらい、しておきました。
親じゃない、人間じゃない、と言われるかもしれませんが、一緒に会話したり、一緒に遊んだり、一緒に泣いたりできないなら楽しくないし、他の家族の肉体的、精神的、経済的負担を考えるとそうすると思います。
移植した臓器でその人が元気になるのが、せめてもの救いかと。
・・・・・でも、やっぱりホントにそんな状況になんないと分からないかもです。。
間違いなく0.1%でも生きる望み、生きているのなら「生かしてください」と言うのが家族です。
脳死っていうのが難しい問題なのか?
「100%助からない」って言われたらどうだろう?
それが我が子なら・・・
臓器は何処で生き延びる・・・選択がよく出来ないのが日本人なのかもしれない・・・
何度か馬鹿やって死んでいてもおかしくない私、「ドナーカードを持つ!」って言ったら母・妻に猛反対されて未だに持っていません
幹事さん、これは難しいよ・・・
自分の子供なら、なおさらです。
植物人間ならば「もしも」の可能性にすがるし、移植待ちの人間ならば「はやく」と思う。
だた、私個人の意見としては植物人間になっても生かしておく。という考えには反対なので、延命処置するより今生きてる人の一部になって生きてほしい。と思います。
人間として生きてる限り永遠のテーマだと思いますね。
提供者の立場を考えればもっとも悩むところでしょう。
たとえば親として自分の子が不治の心臓病で、自分の心臓を提供できるとしたら。
脳死まで判断できないにしても一生植物状態が続くと判断されたら。
脳死と判断された後に脳を再生する技術が確立しそうだと発表されたら。
いずれ心臓移植等でも助からないだろうと判断されたら、
その場で他の臓器を他人に提供できますか?