幹事さんのひとりごと

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愛のムチ

2013年02月01日 | ひとりごと
徐々に広がる体育系の体罰問題。
擁護するやつも多いようで。

「昔は殴られて当たり前」
「殴られて育った」
「暴力ではなくて愛のムチだ」

そもそも、目下を殴ることが日本の伝統になってることがおかしい。

牛馬じゃあるまいし・・

言葉を理解しないからムチで痛みを与え言うことを聞かせる。
そんな方法を人間に使うことが指導なのかと。

自分がやられて育ってきたから自分も同じように「指導」の名のもとに
同様の暴力を振るう。
うっぷんばらしか?

犬のしつけをみても、怒ったり叩いたりしたってしつけにはならない。
うまくできたときにほめることで理解するのがしつけ。
叩かれたら反抗するのは当然のことだ。
反抗心を活力にしろという昔の方針は今じゃ通用しない。

「愛のムチ」

ムチで痛めつけてどうするんだ?
指導される側は奴隷か?

「そこに愛がある」

愛する者を殴るか?
ムチで叩かれて喜ぶのはそっち系の方たちだけだな。
一般社会で通用しないだろ。
会社の上司が部下を毎日殴る。
それが指導だと言えるのか?
叱咤激励とビンタは違うはず。

猪木のビンタ。

あれも気合入れとして通用しちゃってるけど、本人は気合入れるために
始めたことじゃないし。
学生に腹筋を殴ってみろと身体を張ったとき、学生が本気で目いっぱい
殴ったから反射的に反撃のビンタしちゃっただけのこと。
それを「気合」と称して蔓延させちゃってるのもおかしいし。

「愛がある」

あのさぁ。
仮に自分の愛犬。
しつけするのに叩くか?
お座りできないって蹴飛ばすか?
自分の子や孫。
飯つぶ顔についてるって、食い方の失敗で頬殴る?

自分のペットや子・孫にやらないことを他人の子どもにやるって?
暴力を「愛のムチ」という呼び方で美化することは
「平和」の名の元に行う戦争と同じだな。

熱くなってつい手が出るというのはわからないでもない。
それなら熱い指導として見本を示せと。
自分でできないことを他人にやらせようとするのはどうかなと。
しかるならげんこつ「こっつん」とかおしりぺんぺんくらいにしとけ。


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2 コメント

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やりすぎなんですよ (るーと356)
2013-02-01 09:53:37
逆に
子供はほめて育てる
という風潮に
「うちの子はほめて育てるんですの~」とやりたい放題やらせっぱなし、叱らない、人に迷惑掛けといて注意すると逆切れするバカな親が増えちゃうんですよ・・

だからって
やる気出させるために暴力はないですよね
殴る蹴るは然り
言葉で「ブスだ、デブだ」とか言うのも暴力ですよ
身体の傷より心の傷の方がはるかに治りにくいですから
そんなんで強くなんかなれないです

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言葉のあや (幹事)
2013-02-02 08:59:30
虐待をしつけという。
いじめを遊びという。
暴力を愛のムチという。
痴漢行為をスキンシップという。
暴言を指導という。

境界線はむずかしいけどね。
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