「出羽」と書いて一般的には「でわ」と呼ばれるけど、
本来は「いではの国」だろう。
新潟の「越の国」から北にあたる山形から秋田にかけて
「出羽」とされた。
越後の国の北部に突き出た「出端(いではし)」が語源だとか、
允恭天皇に鳥の羽を土地の産物として献上したからとか、
i (夷) te (人) ba (地方、領土) すなわち、「夷人の領土」とか
諸説あるみたいだけどね。
当初は越後国所属として現在の山形秋田の小坂までを「出羽郡」として
設置されたのが708年。
712年に出羽国に昇格。
今じゃ「出羽」と言えば山形を連想する人が多いだろうな。
「出羽三山」とか霊峰として有名だし。
その霊峰と言われるようになった由縁。
「蜂子皇子(はちこのおうじ)」という皇族が羽黒山から羽黒権現を感得し、
出羽三山を開いたということのようだ。
崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺され、その崇峻天皇の三男
蜂子皇子は馬子から逃れるべく丹後国由良から船で北へと向い、
出羽国(現在の山形県鶴岡市)にたどり着いた。
そこが由良という地名なのも、丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)
からきてるのだろうか。
その鶴岡に舞台岩と呼ばれる岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて
踊っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸した。
現在は地名を八乙女浦という。
皇子はこの後、海岸から三本足の烏(ヤタガラス)に導かれ、
羽黒山に登った。
人々の面倒をよく見て、人々の多くの苦悩を取り除いた事から、
能除大師と呼ばれる様になった。
断食や焚身などの苦行を経て山の持つ霊力と感応し、仙人や聖など
と呼ばれた山中修行者となる。
山の神の化身とされることから本来色黒だった皇子の姿は獣的に
描かれたんだろうと。
天狗・カラス天狗などの原型にも見えるけどね。
阿倍比羅夫が越後国から蝦夷討伐のために船で北上した際に、
山形を跳び越して秋田の能代まで来たのかは、蜂子皇子のいた
山形で争いを起こしたくなかったからでは、とも言われてるようで。
蜂子皇子ってなんかおかしな名前だよな・・・
天狗のような鼻。
もしかして蜂に刺されて鼻が腫れたとか?
それで蜂子皇子と呼ばれるようになったとか?
そんなことはどこにも書いてないけどね。
本来は「いではの国」だろう。
新潟の「越の国」から北にあたる山形から秋田にかけて
「出羽」とされた。
越後の国の北部に突き出た「出端(いではし)」が語源だとか、
允恭天皇に鳥の羽を土地の産物として献上したからとか、
i (夷) te (人) ba (地方、領土) すなわち、「夷人の領土」とか
諸説あるみたいだけどね。
当初は越後国所属として現在の山形秋田の小坂までを「出羽郡」として
設置されたのが708年。
712年に出羽国に昇格。
今じゃ「出羽」と言えば山形を連想する人が多いだろうな。
「出羽三山」とか霊峰として有名だし。
その霊峰と言われるようになった由縁。
「蜂子皇子(はちこのおうじ)」という皇族が羽黒山から羽黒権現を感得し、
出羽三山を開いたということのようだ。
崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺され、その崇峻天皇の三男
蜂子皇子は馬子から逃れるべく丹後国由良から船で北へと向い、
出羽国(現在の山形県鶴岡市)にたどり着いた。
そこが由良という地名なのも、丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)
からきてるのだろうか。
その鶴岡に舞台岩と呼ばれる岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて
踊っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸した。
現在は地名を八乙女浦という。
皇子はこの後、海岸から三本足の烏(ヤタガラス)に導かれ、
羽黒山に登った。
人々の面倒をよく見て、人々の多くの苦悩を取り除いた事から、
能除大師と呼ばれる様になった。
断食や焚身などの苦行を経て山の持つ霊力と感応し、仙人や聖など
と呼ばれた山中修行者となる。
山の神の化身とされることから本来色黒だった皇子の姿は獣的に
描かれたんだろうと。
天狗・カラス天狗などの原型にも見えるけどね。
阿倍比羅夫が越後国から蝦夷討伐のために船で北上した際に、
山形を跳び越して秋田の能代まで来たのかは、蜂子皇子のいた
山形で争いを起こしたくなかったからでは、とも言われてるようで。
蜂子皇子ってなんかおかしな名前だよな・・・
天狗のような鼻。
もしかして蜂に刺されて鼻が腫れたとか?
それで蜂子皇子と呼ばれるようになったとか?
そんなことはどこにも書いてないけどね。
カリスマ性のある人だけには見えるとか?(笑)
そういう匂いを感じ取るのかもしれないですね。
それにしても、舞台岩って、曳山みたいですね。
良い事なんて、なぁ~んも無かったような
それとも あったけど、気付いてないのかな?
巫女の浦安の舞は4人だっけ?
8人で盆踊りだったら笑っちゃうな。
雲板さん。
平穏無事これ幸なりっすよ。