前回紹介した
では高木貞治に関する記述に関して,その恩師や明治初期の日本の数学事情が詳しく書かれていますが,その他の高木の記述に関しては
に網羅されていると思われます.この年になると,読んだ本の内容は言うに及ばず,読んだことも覚えてない状況です.しかし,それにはもう一度読み返すことで,新たな感動も覚えるという点では,また愉しからずやです.まあ最近はそんな考え方もしています.
を日本語訳した
の第2巻の方にも高木貞治のことは書かれています.尤もこの原著の高木の記述内容に関しては,昔,数学セミナーに立教大の本田先生が書かれた高木貞治の内容をそのまま英語訳したのではと思われるのですが.この本を訳された蟹江先生には,そのことも翻訳されるときにお話しして,数学セミナーの記事のコピーもお渡ししました.意外なことに,数学者の逸話なども史実を確かめなく,言い伝えだとか,誰かが書いたことを引用することからいつの間にやら定説になったりすることがある様です.例えば,数学者ガロアに関しても
では,そうした史実とは違う点に自ら確かめて書かれたことがあり,梅村先生の人柄がにじみ出た名著だと感心しました.
高木の後の世界的な数学者の岡潔についても
が同じように岩波から出ていて同じ著者の呼吸が感じられます.そこで,高瀬先生とはどんな人かと思う人は
に青春期が書かれています.私より少しだけ年上ですが,時代背景も同じで,自分の青春期を思い出す気分になります.岡潔に関して,高校時代自分が確か角川文庫で,
を読んだ記憶があります(写真は角川文庫ではありませんが).その後
を読んで感動した思いは今も忘れることはありません.そしてその後にこの本の後続として
があります.
私の世代の数学のヒーローは当時広中平祐
でしたが,後者の本は,日本に帰って来た広中平祐が,京大で行った集中講義を森重文がノートに書いたのを製本化したものです.
東京の神田の書店,書泉グランデにはこの本の森重文のサイン本が置かれてあり,驚いたことがありました.この書店は,数学に関して,売り場の担当者もいろいろ勉強されていて,その様子は日本数学協会の会誌の「数学文化」でも紹介されていました.
岡潔に関しては,私には,伝説的な数学者とも言えそうでした.私が大学生になった頃には,すでに高木貞治はなくなっていましたが,岡潔は奈良女子大を定年退官して,京都産業大学で講義(数学ではなく日本文化みたいな内容)を行っていました.知り合いが,京都産業大学で,彼は英米科でしたが,理系科目で岡潔の講義を採っていましたが,岡潔を偉大な数学者と知らないことにびっくりしました.しかも説明してもピンとこないことに二度びっくりしました.入学式も制服で出席するというような変わった大学としか思っていませんでしたが,京都では右寄りの大学で,上賀茂にあり,左京区の大学からすると???という目で見ていましたが,いまはそんな気配すらないのでしょうね.