数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

高木貞治,岡潔,ガロア,広中平祐・・・

2023-06-06 10:40:26 | 読書
 前回紹介した

では高木貞治に関する記述に関して,その恩師や明治初期の日本の数学事情が詳しく書かれていますが,その他の高木の記述に関しては
に網羅されていると思われます.この年になると,読んだ本の内容は言うに及ばず,読んだことも覚えてない状況です.しかし,それにはもう一度読み返すことで,新たな感動も覚えるという点では,また愉しからずやです.まあ最近はそんな考え方もしています.
を日本語訳した
の第2巻の方にも高木貞治のことは書かれています.尤もこの原著の高木の記述内容に関しては,昔,数学セミナーに立教大の本田先生が書かれた高木貞治の内容をそのまま英語訳したのではと思われるのですが.この本を訳された蟹江先生には,そのことも翻訳されるときにお話しして,数学セミナーの記事のコピーもお渡ししました.意外なことに,数学者の逸話なども史実を確かめなく,言い伝えだとか,誰かが書いたことを引用することからいつの間にやら定説になったりすることがある様です.例えば,数学者ガロアに関しても
では,そうした史実とは違う点に自ら確かめて書かれたことがあり,梅村先生の人柄がにじみ出た名著だと感心しました.
 高木の後の世界的な数学者の岡潔についても
が同じように岩波から出ていて同じ著者の呼吸が感じられます.そこで,高瀬先生とはどんな人かと思う人は

に青春期が書かれています.私より少しだけ年上ですが,時代背景も同じで,自分の青春期を思い出す気分になります.岡潔に関して,高校時代自分が確か角川文庫で,
を読んだ記憶があります(写真は角川文庫ではありませんが).その後
を読んで感動した思いは今も忘れることはありません.そしてその後にこの本の後続として
があります.
 私の世代の数学のヒーローは当時広中平祐



でしたが,後者の本は,日本に帰って来た広中平祐が,京大で行った集中講義を森重文がノートに書いたのを製本化したものです.
 東京の神田の書店,書泉グランデにはこの本の森重文のサイン本が置かれてあり,驚いたことがありました.この書店は,数学に関して,売り場の担当者もいろいろ勉強されていて,その様子は日本数学協会の会誌の「数学文化」でも紹介されていました.

 岡潔に関しては,私には,伝説的な数学者とも言えそうでした.私が大学生になった頃には,すでに高木貞治はなくなっていましたが,岡潔は奈良女子大を定年退官して,京都産業大学で講義(数学ではなく日本文化みたいな内容)を行っていました.知り合いが,京都産業大学で,彼は英米科でしたが,理系科目で岡潔の講義を採っていましたが,岡潔を偉大な数学者と知らないことにびっくりしました.しかも説明してもピンとこないことに二度びっくりしました.入学式も制服で出席するというような変わった大学としか思っていませんでしたが,京都では右寄りの大学で,上賀茂にあり,左京区の大学からすると???という目で見ていましたが,いまはそんな気配すらないのでしょうね.

読みやすい本

2022-09-03 05:44:59 | 読書
 前回は、「なかなか読み進めない本」でしたが、今回はそれとは正反対で、一気に読み終える本です。あくまで私にとってですが。
 藤原正彦の本は、「若き数学者のアメリカ」
以来全部読んでいるので、表現の仕方にも慣れているし、知っている人から話を聞いている感じで読めるものです。

 さて、今回の「日本人の真価」は雑誌のコラムを寄せ集めたもので、適度な短さが、落語の小話を聞くような感覚で読めます。もっとも内容は多義に渡っていますが、最後のオチも落語のオチを意識して書かれている感じで、どうオチに来るかと楽しみながら読めるのも読み方の一つかもしれません。まあ、そんな読み方をしては作者に申し訳ないのですが。
 教養や学問的な見識に裏付けされた、コメントは説得力が違います。昨今の首相には窺い知れないものを感じます。本の中でも、国家観や政治哲学が感じられない最近の首相たちへの厳しい姿勢も伺い知れます。また、いかにも数学者らしいというニュアンスにも他の著者には感じられない気持ちの良い切れ味があるので、どうしても読んでしまう自分があるのでしょう。
 20代で書いた「若き数学者のアメリカ」からすでに50年の歳月が流れ、デビュー50周年でも企画して欲しいですね。父親の新田次郎が卒後された電波講習所が現在の電気通信大学の前身で、私の父も同じ学校の卒業生であることからも妙に近親感を覚えたものです。まあ、私も50年にも渡ってその現役の著者の作品を読み続けているというのも珍しいかもしれません。
 いつまでもその舌鋒鋭い語り口とユーモアを含んだその表現を楽しめることを楽しみにしたいです。そういえば、10年ほど前に三重県に来られて講演された時は直接話を聞く機会がありましたが、全く著作からの印象と変わらない感じで、ホッとした思いを懐かしく思い出しました。


なかなか読み進めない本

2022-08-29 21:13:20 | 読書
 数学書は、なかなか読み進めないものですが、最近は、とにかく易しい本を読んで大まかに理解してから、本格的な本を読むことを進める数学者もいます。
 私の学生時代は、本格的な本を読まないといけないというか、それしか方法はないと思っていたのでしたが、確かに易しい本を読むことで挫折することなく勉強できることは大切ですね。生徒に教える立場になると、そのことはよく理解できるのですが、難しいものを理解することが大事みたいな、そんなやり方ではやはり挫折だけが待っているのでしょう。最近そういう視点で数学書を読み始めています。
 今回紹介するのは、数学書ではなく、読むのに時間がかかった本です。
 興味がある分野ですが、とにかく読みにくいというのがこの本です。400ページほどの文庫本ですが、引用文献が400ほどあるので、1ページに半分くらいが引用文であったりして、読み続けていくことが苦痛になるくらいでした。確かに文献を引用しながらの実証的な内容の本ですが、まあ、文庫本になるとは予想しないで、純粋な学術書として意識された本でしょうが、でもねと言いたくなります。
同じ内容の本でも下の本は読みやすく、全く印象が違います。読みやすいということも本として大事な要素だとつくづく感じた今回の本ですが、みなさんはどう思いますか。


甲子園は清原のためにあるのか

2022-08-08 19:32:04 | 読書
 このフレーズが思い起こさせる季節がきました。甲子園の中継の合間に過去の名勝負をハイライトで紹介してくれていますが、私にとっては、やはり箕島対星稜戦ですね。また、当時は阪神より強いと言われたくらい桑田清原のPL学園の強さも印象的でした。
 そんな当時の清原と対戦した投手達のその後と清原との対戦の思いを取材した本が、
です。今の清原を描いた以前の本より読みやすく、1時間で読める内容とインパクトの強さがあります。また、清原との対戦が投手に与えた影響をリアルに取材からうかがい知れる本です。スポーツの魅力、そして人生に与える影響を伝えてくれる本です。それぞれの年代の人に自分なりに読める本ではないでしょうか。スポーツに打ち込んだ人なら共感できる内容です。思い当たる節がある人いると思います、スポーツに高校時代打ち込んだ人なら。

夏になると2

2022-08-07 11:04:12 | 読書
 第1次世界大戦は今から約100年前の出来事ですが、この3年間ほどのコロナ禍に関しても、100年前のスペイン風邪のことがよく話題になりますが、第1次世界大戦でアメリカの兵士がヨーロッパに持ち込んだとも言われています。その時代は日本では、大正デモクラシーの時代で、思想統制なども行われていた時代であり、米騒動を始め、普通選挙制度要求や、それに続く恐慌から戦争への流れ、そんなことを思い巡らしている。こんな時に、管政権時に行われた日本学術会議任命拒否問題に関する本として
を読んでみました。
 学問と政治に関して、今、戦前との比較で考える人が多いのではないか、少なくとも私の世代より上の世代の人では。
 年代的には、菅、安倍元首相なども世代的には、学問と政治に関しては高校時代には勉強していたら、つまり、滝川事件等などを日本史で勉強していたら、こんなことはしないだろうと思われることが少なからずある。そう考える人も私より上の世代では多いのではないか。
 もっとも、滝川事件当時の文部大臣は鳩山一郎で、鳩山由紀夫の祖父であるし、戦後京大の総長にもなった瀧川幸辰は、意外にも高圧的なというか、管理的な総長らしかったとも言われているが。
 私の学生時代は、時計台には白いペンキで、「竹本処分粉砕」と書かれていたのが、日常でした。たまに時計台の前で、学生側と教授とで断交が行われていたし、教養部の1回生2回生の時はストで定期試験がなくなっていたし、授業料値上げ闘争もあったそんな時代でした。ストが可決されるのか心配で、代議員大会に出ていたこともありました。可決された翌日の朝には、綺麗にバリケードストになっていました。いつ椅子など積み上げたのかと思いました。もっとも、「竹本処分粉砕」も大学当局が消すと、翌日にはまたその特徴的は書体で書き上げられているという噂でした。
 授業料が値上げされるようになったのは、国会審議をしないで、文部省通達で値上げが可能に法令改正が行われて、その後一気に授業料の値上げが毎年のように行われていったのです。ちなみに私の時の授業料は年間3万6千円でした。月3千円です。一日バイトすれば、1ヶ月の授業料は稼げたものです。自動販売機の缶ジュースなども100円で今と変わらなかったです。授業料はいま国立大学で50万ほどですね。15倍ですね。
 70年代から80年代にかけては授業料も上がり、国立大学の医学部が新設され、浜松医科大、旭川医科大、宮崎医科大学が始まりで、南から琉球大学医学部、大分医科大、佐賀医科大学、島根医科大、高知医科大、香川医科大、福井医科大、山梨医科大学などが新設され、その後地元の国立大学の医学部に合併されたりもしました。それと並行するように、90年代にかけて教養部が廃止され、総合人間学部や、情報文化学部などの学祭的な学部へと変わって行きました。さらに、90年代から大学改革が行われ、独立法人化が進み、改正学校教育法や大学院重点化などとともに、国立大学には民間的発想の経営手法や第三者評価による競争原理の導入、資金の選択と集中、運営交付金の毎年1%の削減と競争的資金の拡充、中期目標中期計画の策定などによって、そのあり方を一変させることになる。
 最近の30年間の日本の成長率の減衰と上記のような大学を取り巻く環境の変化は同期しているように思えます。ときを同じくして、日本製とか、日本のもの作りとか、日本の技術力とかを賛美することが多くなってきたのもですが、それは現実には日本の技術の進歩の鈍化を逆説的に示してきたのではないかと考えます。大学生の政治意識も低下して、学問を学ぶ真っただ中にある学生から学問の自由を論じることで、学術会議の任命拒否を考えることもなく、我々の世代からすると学生は何してるんだと思えなくもない。歴史を紐解くことで、今からの将来に不安を覚える昨今の日本の状況に情けなさを憶えてしまう自分がある。