ですが、、それとはまったく関係なく、
ジブンの出来ることを。コツコツと、なんてね
(昨日の続き)すすめま~す。
この写真は、昨日の記事の扉の部分の写真です
では、続きから
もっと乱暴に言えば、それこそCDなんか出さなくてもいいわけです。出さないほうが楽なの。ところが僕は、売れるとか売れてないとかそういうことじゃなくて、現役だという事にこだわりたいし、沢田研二というブランドをある程度の人が評価をしてくれえるうちは、絶対に歌は捨てたくないし、ひとつの証として、それこそ「レコード」という意味で、毎年、今自分はこういうものを作りたいんだという、そういうものを作りつづけたいと思ってやっているんですね。
売り上げのこととか、そういうことを考えれば、非常にシビアな状態で、普通の人ならお金のかかるレコードはしばらく見合わせようかというようなことになると思うね。
でも一回それをやると、みんながそうであったように(新作を)出さなくなって、何かの時に企画もので出ちゃう。
もし誰か若い人が僕の曲を取り上げてーーー最近、「自由に歩いて愛して」っていう曲のカバーを、誰か女のコたちがやっているでしょう?たとえばそういうのが当たった時に、本家本元で出しましょう、みたいに。
そういう時に便乗するみたいなことだとか、それこそ植木等さんを大滝詠一さんが引っ張り出してきて成功したみたいなこととか、誰かが声をかけてくれるのを待っているのは嫌なんです。
続けていって、絶対に網に引っ掛かってやるぞという根性でやっているんですよ。
僕の場合は、誰とも違う方法でやりたいし、リスクのないところに大きな喜びはないと思っているから。出してあげるよというときに、お金も使わないで出せるという、そういうことだけじゃなくて、自分でお金を出して、自分で作って、売れなかったらまた違う方法でやるというようにやっていくのが筋だと思うから。これは舞台の仕事があるとか、いろんな仕事がないとできないことなんですね。
仕事がなくなっちゃうとレコードが出せないという単純なことで、その時はもう仕事がないんだからしょうがないと諦めがつくから、自分でやる以上は好きなことをしたい。
好きなことっていっても、それが人にとって素敵かどうかというのは別問題で、自分はこれでいいと。そのうち人にもいいと言ってもらえばいい、ということでやっているんです。
お前の人生は終わり?
「自分たちの聴ける音楽がない」とみんな良く言うけど、それどころじゃなくなっいてるんだろうと思うんだね。
音楽を聴く比重が少なくなって、仕事の比重が増えたりとか、音楽よりもレーザーディスクやビデオで映画を観るとかになっているのかもしれないし、それは聴きたい歌がないからそうなのか、どっちが先なのかわからないですけど、かといって、井上陽水や矢沢永吉をみんな聴いているのかというと、決してそうじゃないだろうし。
「あれだけ僕の歌が好きだった人たちはどこへ行っちゃったの?」という感じがあるとして、その人たちが確かにいるとしても、今さら新しい歌を出して、ヒットしたらヒットしたで飛びつくけど、ヒットするまでは手を出さない。応援するわけでもない。ただ、どこかで「勝手にしやがれ」が鳴っていたり、「TOKIO」が鳴っていたりすると「俺、これ知ってるんだよ。ジュリーのファンだよ」なんて言ってる。そういうのは何なんだと言いたいところがあって。
「懐かしんでるだけなのかよ、おまえら」と。現に、コンサートなんかでも、そういう曲というのは不可欠なわけで、それをやると確かに食いついてくれるんですね。
曲が終わる頃には「だから何なの?」って、俺は感じるわけよ。
だから(新しい作品を)出す気になると思うんだ。売れちゃえば戻って来るんだろうけど、それこそ「沢田研二のレコードはありますか」とレコード屋さんで聞くことすらしないと思うんだ。新作が出ているという事を知らない人もいっぱいいると思うよ、僕を知っている人で。
そういう状況中で、僕らのテレビの出方というのは、本当に慎重にしないといけないと思う。昔の歌を歌ってくれって、絶対に言われるわけ。どこの番組に出たって言われるし、それは分かるんだけど、こっちは新曲を歌いたい。どう考えたってインパクトは昔の歌のほうがあるわけよ。「最近の曲よりも昔のやつのほうがいいね」・・・・・
簡単にこの判断を下されに(テレビに)出ていくことはないなと思ったりするんですね。
じゃあ、出る機会がないじゃないかとなるんだけれども、エバーグリーンミュージックだとか言って、十把一絡げにして、フォークも何も、僕らが歌ってきたものまで全部エバーグリーンで「いつまでも色褪せませんよね」なんて言われて、テレビの番組なんかで誰かと誰かが会えば、必ずその頃の歌を歌わされて・・・そういうのは僕はすごく嫌なんだよね。「あの頃は良かった」でいいのって。「おまえの人生は終わりなの?」って言いたいところがあって。
僕なんかも、歌手として終わりだと思ったら、レコードは出してないだろうし、そうじゃないと思ってる。そして企画ものみたいなものじゃなくて、新作を出すというやり方を、僕は続けたい。もがき苦しんでいるようなものなんですけどね。
ーー「企画ものじゃなくて」という言葉の裏に込められた強烈な誇りと、安直な懐古趣味得の侮蔑。懐に秘めた二本の刃が現在のジュリーを支えているのは確かだった。歌謡曲の定義を「大衆をつなぐもの」と仮定すると、マスコミが報道する「人気アーティスト」のCD売上枚数だけは一見増え続けてはいるものの、彼らの「ヒット曲」で、他人と、まして不特定多数の老若男女がつながれているという、少なからずロマンティックな同時代意識を送り手や聴き手が持ちえているかといえば、答えは寒々と風に吹かれて宙に舞うばかり。
洋楽はどうだろう?折りしもローリングストーンズの最新シングルは、ディランのカバー、しかも「ライク・ア・ローリング・ストーン」これはストーンズが全世界に送るメッセージなのか、それとも彼らの一流のセンス・オブ・ヒューモアととるか、「おまえらのほしいモノはこれだろ?」的確信犯と邪推するか。あるいはこの90年代において大衆をつなぐには、何をどうすべきか熟慮した結果がこれなのか、、、
ジュリーあなたはどう思いますか?
ずいぶん前から、クラプトンがMTVでアコースティックセットで昔の名曲演ったのがきっかけで、猫も杓子もアンプラグドみたいになって、それこそ日本でもそんなような番組が出てきたけど、まず僕が思ったのは、要するに人数少なくやりたいだけの話でしょうと。出演料を安くしたいだけじゃないか。僕もピアノ一本とか、ギター一本ぐらいで演ってほしいってさんざん言われたのね。でも僕は絶対にエレキのほうがいいに決まってるじゃないのというほうだし。だからクランプトンがそれでグラミー賞を取ったなら、それはひとつの成功例としても、ストーンズはそれをやらないほうがいいと思うんだよ。
ニュースだけを聞いたときに「柳の下に何匹もドジョウがいると思ってんのかな、こいつら」と思ったね。ミックジャガーというのは経済学を学んでた人ですから(笑)商売のやり方を見ていても、コンサートの選曲見ても、新曲演るのは3曲か4曲でしょう。全部みんなが知ってる曲で、そんなのいつまでもつと思ってるのって。僕だって最初(ストーンズ初来日時)は東京ドームのアリーナ席の一番前で、こーんなになって一緒に歌っていたんだけど(笑)、ライブが終わったら、やっぱり自分のことを思うし、自分ならそうしないよなと言う。新しいアルバム出したらそこから全曲俺は演るよ。笑う人はおるだろうけど、笑われてもいいんです。(しばし沈黙)
そのへんが商売人と商売人じゃない者の、、、違いだと思うんだけど。やつら{アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」も「テル・ミー」も演ってるの?
ーーーいいえ、そこまでは。むしろヒット曲の陰に埋もれた佳作をわざと選んでます。
(少し見直したという感じで)
あの人たちは、若者に向けてやっているんだね。当時聴いた人はそんなに評価しなかったけれど、今のやつはいいと思うかもしれない、というやり方なんだね。
ーーーPYGも同じだと思うんです。「自由に歩いて愛して」という曲は、90年代の今だからこそ、多くの人の心の扉を開けるような気がしますが。
PYGの頃は、、、すごく燃えてたんです。
実質的には1年もやってないんですけど、自分たちの力で、自分たちのできることをやろうという、、、ちょうど今の僕が思っているのと、同じような気持ちでやっていたんです。
以上
何だか、まだあるような展開で終わっていますが、、
紙面の都合上でしょうか
最後の質問に対するジュリーの答えが未消化の様なんですが、、
一様これで本文は全文でした。
長々とお付き合いくださりありがとうございました。
最後に、記事共の写真を2枚ほどアップしておきますネ。
逆さではありません。
身体は、まあるくなったけど
、60超えても、相変わらず、ちっともぶれず、
尖がり続けてくれている、ジュリーさんでした。
最後に、久しぶりにジュリワン、参戦の皆様、
多いに、盛り上げて、楽しんでいらして下さいね
いってらっしゃ~い