こちらが、「あなたとテラスで」の三日目だったのですが、
アップする時に、何故かこちらの三日目だけが、何度やってもうまくいかずに
エラーになってしまって、最後に上げたもので、
そそっかしい私は、こちらを後に貼り付けてしまいました
。
んで、本日で「あなたとテラスで」の動画は、終了で~す
。
ホントに、目の保養の
、お目目の正月気分の
、4日間でした
。
terasude,4.
それにしても、今更ですが、カレーをフォークで食べるって、???じゃないでしょうか?
&カレー皿の空いてるところの半分じゃなく、あえてライスの上にカレーをかけちゃう、ロミさん
お家で、あんまりお料理をなさらないのかな?なんて、思ったのでした~
そして、こちらは今朝ほどJ友さんからいただきました、ブログの一文なのですが、
どなたのものかは、そのJ友さんも頂き物で、定かではないそうです
。
素敵なブログだったので、、ということで、
下に、貼り付けさせていただきました
。
阿久悠さんのことを書いている、ブログだそうです。
と書いたら、検索上手のお友達から
こちらですよと、教えて下さいました
【阿久悠。あんたの時代はよかった】
阿久悠の歌が、もっとも冴えた歌手は、誰であっただろうか。
筆者は沢田研二を推したい。
沢田は、阿久劇場で演ずる主役の一人である以上に、いわば、阿久悠の分身であった。
阿久が、自らの抱く男の理想を投影したその姿こそが、沢田研二だった。
筆者はそのように見たい。
沢田研二には、ふたつの全盛期がある。まず、輝く流星のようなグループサウンズ・アイドルの時代、
さらに、無類の歌唱力と美貌と派手なビジュアル・マーチャンダイジングで、日本の歌謡シーンに革命を起こした、70年代末から80年代初頭にかけてである。
沢田は前者にあってはグループメンバーのひとり、後者にあってはソロ・シンガーとして活躍したが、阿久悠とのコンビネーションは、概ね後者の時期に実現した。
なお、概ね――とする理由は、沢田のファンならば、誰もが知っている。
グループサウンズ時代と第二次全盛期の間のちょうど谷間といっていい75年、阿久は沢田に「時の過ぎゆくままに」を与えて90万枚を超えるヒットをとばしているのである。
実はこの作品こそが、沢田研二最大のセールスを記録する、まるで独立峰のような記念碑となっている。
(沢田の独立峰はもうひと つある。73年の「危険な ふたり」。 作詞は安井かずみ)
それはともあれ、
沢田研二がシンガー、パフォーマーとしてわれわれの社会にもっとも熱狂を与え、影響をあたえた70年代終盤から80年代初頭、
振り返れば、阿久は、11作におよぶシングルを沢田に提供、内、7作を連続して担当するなど、
その美学のすべてを沢田研二という男に注ぎ込んでいる。
(具体的に筆者の頭にあるのは、「さよならをいう気もない 」(77年)から「麗人」(82年)までである)
阿久が沢田に託した美学をひと言に表せば、それは、「男のやせ我慢」に、ほかならない。
譲れぬプライドのために、doing his bestをこころみる男の姿を阿久は、沢田という、不思議な中性的風貌をもった男に、あえて表現させた。
また、同時に、愛によってプライドを砕かれ、あわれにひざまづいて「信仰告白」する男の姿も、阿久は、沢田に演じさせている。
どちらの男の姿も、間違いなく、その正体は阿久自身である。
苦い酒に酔おうとして酔いきれぬ、優しく、気障で、小さな男の姿を阿久自身がもしも演ずれば、それは、渥美清の寅さん(男はつらいよ・映画)にならざるをえない。
しかしながら阿久は、その歌詞を与えることによって沢田研二を自らの分身とし、
自らは持たない甘い官能美と退廃美とをそなえた魅惑的なこの男に、理想の美を語らせることで、
創作家としての存分たる開放とエクスタシーを味わったのに相違ない。
まさに、酔うほどに。
以上で~す。
そんな素敵な時代を、沢田研二と、生きてこられたこと
沢田研二という人を観ながら、今日まで、人生を続けてこられたことを
改めて、感謝した本日でした。