無事に、終わったら、それはそれで、寂しい~
でも、終わりがあっての始まりがあるのですから、ネ
ということで、今頃、今年初めの仕事を無事終えたジュリーは、猫ちゃんと遊んだりしながら、
ちょっと風邪っぽい?って言ったりして、クシャミでもしてるんでしょうかね。
また、お身体をメンテナンスして、また一段と、グレードアップして(お○かじゃありませんよ)
元気な、お姿を見せて欲しいです
それまで、おとなしく待っておりますので、、。
さて、今日は何を書こうかな?なんて思ってたら、
そうそう、先日の写真の、記事でも、なんて思って、、あれやこれやしていたら、
実は先日の写真は「開き直りの人生や」と題して、
雑誌Can Canに10回連載されたうちの5回目の記事の写真なんですけど、
この1回目から、4回目までが、どこを探しても見当たりません。
買ったはずなんですけどねえ、、
ということで、記事を、切り抜いてありますので、確かな日付は確認できませんが
1982年ではないかと思います。
その五回目の記事から、丁度ステージについてでした。
沢田研二の連載も5回目。今回は彼にとって一年の大きなヤマ場であるサマーコンサートに同行、
四国でのインタビューとなった。
ーコンサートの始まる直前の楽屋での沢田さんには、どこか、まわりの人が近寄りがたい雰囲気がありますね。
じっと鏡を覗き込んだり、、、。
J「ハハハ、そうかな?実際は幕が開いて1曲目が終わらないと実感がわかないよね。
その拍手とかの感じで、あァ、今回はチョッと重そうだなとか、、、。
そういうので、それに順応するように心構えをするというふうな感じかなァ、、。
それとまァ、音合わせをするでしょ。化粧をしたりする前に、
もう音合わせの段階で、精神的にはスタンバイするみたいやね」
ーその、今回はちょっと重そうというのは?
J「うん、自分のことより、相手のことやね」
ーお客のノリということですか?
J「というか、、、。僕はこのサマーコンサートをすごく楽しみにしてるわけ。
全国あちこちで、どんなお客に会えるのかなってドキドキした気分でね。
だからノリがいいとか悪いとかは、そんなに問題じゃない。
ところがやねェ(笑)たとでば高知のコンサートで幕が上がるでしょ、
すると最前列にズラーッと東京のコがおったりするでしょ(笑)
もうええかげんにせい!みたいな気分になりますよ。
そりゃ、東京のコが、高知のコンサートの最前列を手に入れる努力というか情熱というか
それには感心しますけどね(笑)
でも、それじゃあ「わしが高知まできてコンサートをやる意味がないじゃないの!」って気分になってしまうねェ。
そういう常連は、まわりの客のノリが遅かったりすると勝手にイライラして立ち上がって拍手したりするでしょ。
まわりの地元の人たちは「何や、あのアホは?!みたいな目つきになるし、親切はありがたいんやけども(笑)
そこだけ妙に浮き上がってしまうのよね」
ーエネルギッシュに、時にはセクシーに歌いまくる彼の額に汗が浮かび、
テレビでは見られないナマの沢田研二の魅力に、観客は次第にひき込まれていくーー。
コンサートの前半が終わり、沢田研二は全身から汗を流しながら、幕の脇に下がってきた。
用意されたコップを手に、強いうがいを2回
「ぬるま湯に塩を入れただけ、おまじないみたいなもんやね」と笑い、呼吸を整え再びステージへーー。
そんなしぐさにも、ゆるぎない自信と、男のセクシーさが漂っている、、。
ーラストのスローな曲、間奏が長いけど、その間なんて何を考えているのかな?
J「、、、うーん、わりと何も考えてないね。その歌の世界に入りこんでるみたいよ(笑)」
ーコンサートの魅力って何でしょう?
J「ラジオやテレビとは気分が全然違うね。とにかく会場へ足を運んでくれたぶんだけ、何ちゅうか、、、
いわば僕の味方ばかりだから、それだけ最初から楽しく出来る環境なわけ
よく、ナマのステージはこわいっていう人がいるけど、僕は逆や。テレビの方がこわいね。
テレビは僕を嫌いな人もいるから、、半分以上は敵と思ってるからね(笑)」
ーコンサートって麻薬みたいなもの?
J「レコードだけの歌手っていうのはあかんね。コンサートはやめられない。
直接っていうのが一番好きやねん。LPに入れる曲でも、コンサートでナマでやるとぴう前提がないと
ちっとも面白くないし、コレはたぶんコンサートではやらないだろうというのはちっとものらんものね(笑)」
ー高知城から歌番組のナマのテレビ中継があった夜、沢田研二は険しい表情でスタッフを叱った。
観衆が集まり過ぎて現場が混乱しバンドのメンバーがファンにもみくちゃにされたのだ。
「人が集まるのはわかりきってるやないか!オレの人気やなしに、番組の人気で人は集まるんだから
気をつけろって昼間あれだけいったろ!」
ー周囲はシーンとなった。
その雰囲気をパッと変えたのも彼だった。
ビールの入ったコップを高く上げ
「さァ、みんな忘れて、なごもう、なごもう、」とニッコリ。
その後繰り広げられた、メンバー全員とスタッフの大フィーバーの間中、
彼はノリにノッて先頭に立って騒いでいた。
彼のけじめのつけかたの見事さに、またまた沢田研二の、大きさ、を見た思いだった。
J「しばらくは、はめちゃめちゃ路線(笑)ジュリーって予想がつかないって、そういわれたいね。」
ー沢田研二はファンやスタッフを巻き込んで、イルミネーションのように明るい。
いかがでしょうか?
やはり、30年前もそれから30年経った今も、全く変わらぬ、まわりのスタッフへの、気遣い、、
何だかとっても胸が熱くなりました。
追記
1月24日は、タイガースの解散記念の日
それを、と思いましたが、
何だか、イロイロ思い出して、、
まとめられませんでした。
それで、あえて、そのことには本日は触れませんでした。
という事で、、、、
でも、終わりがあっての始まりがあるのですから、ネ
ということで、今頃、今年初めの仕事を無事終えたジュリーは、猫ちゃんと遊んだりしながら、
ちょっと風邪っぽい?って言ったりして、クシャミでもしてるんでしょうかね。
また、お身体をメンテナンスして、また一段と、グレードアップして(お○かじゃありませんよ)
元気な、お姿を見せて欲しいです
それまで、おとなしく待っておりますので、、。
さて、今日は何を書こうかな?なんて思ってたら、
そうそう、先日の写真の、記事でも、なんて思って、、あれやこれやしていたら、
実は先日の写真は「開き直りの人生や」と題して、
雑誌Can Canに10回連載されたうちの5回目の記事の写真なんですけど、
この1回目から、4回目までが、どこを探しても見当たりません。
買ったはずなんですけどねえ、、
ということで、記事を、切り抜いてありますので、確かな日付は確認できませんが
1982年ではないかと思います。
その五回目の記事から、丁度ステージについてでした。
沢田研二の連載も5回目。今回は彼にとって一年の大きなヤマ場であるサマーコンサートに同行、
四国でのインタビューとなった。
ーコンサートの始まる直前の楽屋での沢田さんには、どこか、まわりの人が近寄りがたい雰囲気がありますね。
じっと鏡を覗き込んだり、、、。
J「ハハハ、そうかな?実際は幕が開いて1曲目が終わらないと実感がわかないよね。
その拍手とかの感じで、あァ、今回はチョッと重そうだなとか、、、。
そういうので、それに順応するように心構えをするというふうな感じかなァ、、。
それとまァ、音合わせをするでしょ。化粧をしたりする前に、
もう音合わせの段階で、精神的にはスタンバイするみたいやね」
ーその、今回はちょっと重そうというのは?
J「うん、自分のことより、相手のことやね」
ーお客のノリということですか?
J「というか、、、。僕はこのサマーコンサートをすごく楽しみにしてるわけ。
全国あちこちで、どんなお客に会えるのかなってドキドキした気分でね。
だからノリがいいとか悪いとかは、そんなに問題じゃない。
ところがやねェ(笑)たとでば高知のコンサートで幕が上がるでしょ、
すると最前列にズラーッと東京のコがおったりするでしょ(笑)
もうええかげんにせい!みたいな気分になりますよ。
そりゃ、東京のコが、高知のコンサートの最前列を手に入れる努力というか情熱というか
それには感心しますけどね(笑)
でも、それじゃあ「わしが高知まできてコンサートをやる意味がないじゃないの!」って気分になってしまうねェ。
そういう常連は、まわりの客のノリが遅かったりすると勝手にイライラして立ち上がって拍手したりするでしょ。
まわりの地元の人たちは「何や、あのアホは?!みたいな目つきになるし、親切はありがたいんやけども(笑)
そこだけ妙に浮き上がってしまうのよね」
ーエネルギッシュに、時にはセクシーに歌いまくる彼の額に汗が浮かび、
テレビでは見られないナマの沢田研二の魅力に、観客は次第にひき込まれていくーー。
コンサートの前半が終わり、沢田研二は全身から汗を流しながら、幕の脇に下がってきた。
用意されたコップを手に、強いうがいを2回
「ぬるま湯に塩を入れただけ、おまじないみたいなもんやね」と笑い、呼吸を整え再びステージへーー。
そんなしぐさにも、ゆるぎない自信と、男のセクシーさが漂っている、、。
ーラストのスローな曲、間奏が長いけど、その間なんて何を考えているのかな?
J「、、、うーん、わりと何も考えてないね。その歌の世界に入りこんでるみたいよ(笑)」
ーコンサートの魅力って何でしょう?
J「ラジオやテレビとは気分が全然違うね。とにかく会場へ足を運んでくれたぶんだけ、何ちゅうか、、、
いわば僕の味方ばかりだから、それだけ最初から楽しく出来る環境なわけ
よく、ナマのステージはこわいっていう人がいるけど、僕は逆や。テレビの方がこわいね。
テレビは僕を嫌いな人もいるから、、半分以上は敵と思ってるからね(笑)」
ーコンサートって麻薬みたいなもの?
J「レコードだけの歌手っていうのはあかんね。コンサートはやめられない。
直接っていうのが一番好きやねん。LPに入れる曲でも、コンサートでナマでやるとぴう前提がないと
ちっとも面白くないし、コレはたぶんコンサートではやらないだろうというのはちっとものらんものね(笑)」
ー高知城から歌番組のナマのテレビ中継があった夜、沢田研二は険しい表情でスタッフを叱った。
観衆が集まり過ぎて現場が混乱しバンドのメンバーがファンにもみくちゃにされたのだ。
「人が集まるのはわかりきってるやないか!オレの人気やなしに、番組の人気で人は集まるんだから
気をつけろって昼間あれだけいったろ!」
ー周囲はシーンとなった。
その雰囲気をパッと変えたのも彼だった。
ビールの入ったコップを高く上げ
「さァ、みんな忘れて、なごもう、なごもう、」とニッコリ。
その後繰り広げられた、メンバー全員とスタッフの大フィーバーの間中、
彼はノリにノッて先頭に立って騒いでいた。
彼のけじめのつけかたの見事さに、またまた沢田研二の、大きさ、を見た思いだった。
J「しばらくは、はめちゃめちゃ路線(笑)ジュリーって予想がつかないって、そういわれたいね。」
ー沢田研二はファンやスタッフを巻き込んで、イルミネーションのように明るい。
いかがでしょうか?
やはり、30年前もそれから30年経った今も、全く変わらぬ、まわりのスタッフへの、気遣い、、
何だかとっても胸が熱くなりました。
追記
1月24日は、タイガースの解散記念の日
それを、と思いましたが、
何だか、イロイロ思い出して、、
まとめられませんでした。
それで、あえて、そのことには本日は触れませんでした。
という事で、、、、
「1982年6月24日にジュリーが、ここで『おまえにチェックイン』をやった時に、聴衆に追手門が壊されて大事件になった」
って、このときのことでしょうか?
82年のジュリーをリアルタイムで知らない私でも、1言1言に納得しました。ジュリーは、本当にライブが好きなんですよね(^_^) 今年の正月ライブで、それを再確認しました。
コンサート終了後、コンサート会場からベストテンの中継がある高知城まで大通りの信号を無視して走って行きました。(ジュリーに叱られそう~)
ちなみに、私はもみくちゃにはしていませんよぉ~、、、。
普段運動嫌いの私が先頭をきって走って行ったので、友達がびっくりして今でも語り草になっています。
そして、1982.6.24 EXOTICS も一緒のジュリーのサイン色紙が手元にあります。
これは最近、私がジュリーを好きなことを知った職場の先輩がくださったものです。
なんでもお父様がコンサート会場だった県民文化ホールに勤めていて、いただいたものだそうです。
30年たっても全く変わらないジュリー、今でも大好き!
いえ、30年前よりもっと好き!
良く分かりました。大きなココロ、考えの深い人だな~って・・・。益々好きになってしまうやろ~!!
そりゃあ、あれだけの人気だったんですから、
いろんな事があったでしょうねえ、
ジブンで種をまいたこともあったしね
(アッ、それこ、もう時効ですよね)
そんなことを聞く度に、よくぞここまで、と思わずにはいられません。
そして私たちファンもライブのジュリーがやっぱり一番好き
これからもナマのライブのジュリーを観続けて行(生)きたいですネ
出来るだけ長い間、、、、
なんて素晴らしい偶然、
高知でのインタビュー高知へのファンの人たちの心遣いが熱く感じられるインタビューでしたものね、興奮させてしまってドキドキさせて、、、
良かったね。
こうやって一つずつ、想い出を共有できるなんて、ジュリーファンは幸せですね。
って、これ以上好きになれるんやろか
なんて、最近は毎日
「好き、マックス」感を感じている
オバかで、幸せなヤツです。アハハ
でも、本当にそうなっちゃいますね、このmaronさんの記事の書きおこしを読ませていただいて、ますます大好きになちゃいました
厳しく怒るお姿も美しいんだろうな~とか、不謹慎にも思ってしまいましたよ あぁ、ジュリーに怒られたい~
PS. 東京ドームのキルトショー、日本にいた時に2回程行った事があります。でもこのジュリーキルトは知らなかったです~。と同時に「あ、先超されちゃった~」って思っちゃいました 細かい細部まで見てみたいですね~あのキルト
も~感動です~~
私もジュリーテーマでなんか作りたくなっちゃいました