maronのJulie日記

日々の生活日記と
大好きな沢田研二さんのこと、
ペットのシーズー犬、りくの事など、
つれづれなるままに

忘れじのグローリア

2011-06-07 13:28:53 | つべ系
先日来、噂に上っていた「忘れじのグローリア

40年も前の映像が、こうして今観られること自体、奇跡

録画していた方がいらっしゃるのですねえ、、

つべからの、共有で、貼り付けさせていただきました

アップ主さん、本当に観せて頂けて、ありがとうございます

何せ昔のものなので、音が、なところもございましたので、

音源だけ別にアップしようか?と思っておりましたら、そちらもありました

ここでの会話を、まるで聞いていらしたかのように

二日前ににあのアルバムから、つべにアップになっておりました

こちらも、アップ主さん、ありがとうございます

と言う訳で、二つ並べて貼ってみました

今日も一日、これ観てファイティン



忘れじのグローリア


沢田研二 忘れじのグローリア



先日Rスズキさんのところにも書かれてありましたが

上の映像は1972年10月13日(土曜日)午後8時から30分
NHKで、沢田研二ワンマンショー「シンフォニー・ジュリー」と、題して放映されたものの一部です。

その記述が、例のワタシのラジオ書き起しノートにありましたので、
ご参考までに書き添えておきますネ

なお他の曲も全部つべで観る事が出来ます

序章・忘れじのグローリア(訳詩、沢田研二)

1章(アレグロ・コンブリオ)青春
  ・君だけに愛を
  ・モナリザの微笑み、シーサイドバウンド

2章(アレグロ・ア・パッショナート)自由
  ・ブルーべりヒル、トラベリンバンド

3章(アンダンテ・カンタービレ)愛
  ・あなただけでいい
  ・許されない愛
  ・危険な二人
  ・胸いっぱいの悲しみ

終楽章(グラーヴィエ・グンディオーソ)明日へ
  ・心の友


以上です。


今、又観ると、この時代の番組作りの丁寧さに、

歌手を大事にして、歌を大切に扱ってくれていたんだなあと

改めて頭が下がります。

あの頃はそれが当たり前で、まだ子供だった私は、それでもジュリーをもっともっとと

贅沢な欲張りばかりを言っていたような気がします。

そしてアレから40年、、

今のマスメディアでの歌手の方の扱いや居場所を、嘆くのは、

やはり昭和の時代を懐かしんで

懐古しているだけのオバチャンになってしまったからでしょうか?

実は昨日、○ひろみさんのデビュー40周年記念とか銘打った

某[Hey,Hey,Hey]を、見ました。
(某になっとらへんがな)by julie

Hiromi Goを持ち上げ盛り上げる、太○モチのゲストをずらっと並べて、

歴代の衣装を並べて、チャチャいれてんだか、持ち上げてるんだかのおちゃらけトークで、、

本当に、彼を称え、心からおめでとうと

良くここまで頑張りましたよね

と思ってるゲストが果たしてあの中に何人いたのか?

と思ったときに、

ジュリーのNHKでの25周年記念番組のことを思い出して、、「天上にとどく樹」の詩を思い

有難いなあと、思うと共に、


昨日の番組を、それと比べて、
(そやから、比べるなって)by julie

他人事ながら、何だかとっても切なくなったのは私だけなのでしょうか?

そして、「自分の居場所がマスの中には無くなった」と言われた

先日のトークショウでのジュリーを、唐突に思い出しておりました

これからますます、歌手は使い捨てにされ、売れたといわれる歌も

一般人は、全く知らないという現象に、拍車が掛かかっていくのでしょうね

CDも、オマケをつけるとかしないと売れなくなって、

音楽はまもなくダウンロードで手に入れることがほとんどになっていくのでしょうネ

でも、

兎に角、

私達は、あの良い時代を知ってる

その宝物たちを大事にしながら

「ミニ」を大事にするジュリーと共に

将来へ、

そして、まだまだ続くジュリーの独自の道へと

前人未到の「歌唄い」の旅は続いて行きます。

そんなジュリーと一緒に歩いていけること、観護れること

その喜びをかみ締めながら、、

今一度、忘れじのグローリアを、聴いている本日です

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする