インナーチャイルドセラピーの「卒業セレモニー」。
本当はこのことだけでもっと長―いブログを書けるほど
それはそれは意味深い、パワフルなものでした。
これまでに何度も「卒業式」なんて経験してるのにねー
セレモニーの進行する中で。またそれを終えて。
私は 徐々に徐々に 自分が強くなっていくのを感じています。
それは 頑丈なもので自分を固めるという強さではなく
内面が満ちていく、と言ったらいいでしょうか・・・
何かを終えるということは 何かの始まりでもあった。
今日の私であるためには、卒業というプロセスを踏む必要があったのです。
あっ、このセラピーにご興味のない方には 今日はあまりに長く
退屈な日記かと思います。
あらかじめ、ご承知おきください。
また、読者さんの方でこれから卒業される方々のために、
セレモニーの詳細は秘密とさせて戴きますね
生きていく過程で生まれた、自分の中の様々なキャラクター(チャイルド)たち。
その中でも特に大きな、自分にとって重要なキャラクター達と
セラピストさんの誘導のもと、最後に改めて対面。
彼女・彼等の持つ資質を確認していきました
(不思議だけど、ちゃ~~んとわかるんですねえ)。
6人のチャイルドちゃんが現れました。
☆「行っちゃうの??」と、目にいっぱい涙をためて 私にすがりついてきた
保育園~幼稚園児くらいの女の子。
それは、私がずっと「なかったことにしたい」と思っていた、
過去の辛かったことの「象徴」である傷だらけの子供。
でもその子は、人間としての、女性としての私の深みを増すために、
なくてはならない存在なのでした。
対話をするうちに、マゼンタというなんとも女性らしい色に
その姿を変えていきました。
☆ 一見アフリカ系に見える、やはり幼稚園児くらいに見える、じっと黙って
指しゃぶりをしながらこちらを上目遣いで見上げる男の子。
(実は、私も小さい頃よく指しゃぶりをしたものでした)
くすんだ感じであまり幸せそうでないその子は、実はとても明るくて
クリエイティブな子供です。
☆ 始め、人物像ではなく子供の落書きのような絵として現れたのは、
小学校低学年くらいの、元気いっぱいなおかっぱ頭の女の子。
腕を腰に当て仁王立ちで「この絵、あたしが描いたのよ。凄いでしょ?」と
自信満々です。なんとも頼もしい!
☆ やはり人物像ではなく、はじめ湖畔の風景として現れたのは、
そこに住む人魚・・・中学生か高校生くらいの女の子。
水中をのびやかに自由に泳ぎ回るその子は、一人で静かに過ごすことや、
自分のスペースを自由に動き回ることをとても楽しんでいます。
☆ 少年向けのアニメに出てきそうなそのキャラクターは、
大きな盾を手にし、金色に輝く鎧を身に付けた、小学校高学年くらいの
男気のある元気な男の子。
見ていると、「不動明王」という言葉が浮かびました。
この子の役割は「守護」・・自分を守ること、NO!という勇気、
また強い決意を表しているように感じました。
☆ 最後に現れたのは、白い布にくるまれて、すやすやと眠る
幸せそうな赤ちゃん。
「無垢」「無邪気」という言葉がぴったりの・・・
私は、「この子にずっと会いたかったんだ・・」とわかりました。
その子達が、私の中に存在することを感じれば感じるほど
私自身がどんどん強められていくように思えたのです。
それは、「私は 私自身のすべてを“喜んで”引き受ける」という意識・・・
まさに「親が子供に育てられる」感覚です。
そんな感じで、
多くのクライアントさんが 涙ながらに終えたというセレモニーを
私はほとんど涙なく終えました。
チャイルドちゃんたちは、何度も言うように
不快な形をとって現れることがあります。
親である私が感じ取っていない子供達の思いは、必ず他者へ向かう・・・
そういう癖が、私は多い。
事実、卒業式の翌日はいつものように 周囲に悪態をつく自分が
フルスロットル(笑)
でも、今ではその声が イコール
「もっと幸せになっていいんだよ!」
という訴えであることが理解出来たので、自分を責めることなく
その声と痛みを感じながらも穏やかな気持ちでいます。
感じつつ、あとは、行動していくのみ!
「幸せになりたい」・・・
人ならば誰しもが願うことです。
しかし、自分をケアすることを知らずに育った人間は無意識のうちに
「人にケアするだけしてもらって、自分だけ」幸せになろうとします。
私も、そうでした。
でも、自分と付き合うことを大分覚えた今、
「お互いに協力して、自分も周りも幸せになる」道を自然に(←ここが肝心)
選ぶようになってきたように思います。
その道が、結局一番うまくいく道なのですね。
それが全ての生き物に本来 備わった嗅覚というか 本能であり・・
このセラピーの目的は「自分を変える」ことではなく
「思い出す・目覚める」ことにあったのではないかと思うのです。
そうして、ひとつ準備が整い ひとつステージが上がるごとに
社会へ還元する機会も増えていくのではないでしょうか・・・・
セレモニー最後に、私は勇気を出して
「チャイルドちゃんの得技」を披露することにしました。
(↑別に 無理に披露しなくても 何をやってもいいんですが)
セラピストさんの前での、お絵描きショーです(笑)。
実は、卒業への最期の仕上げか?今だ解決できない私の自己批判・否定が
わんさと押し寄せてきており、直前まで
「描けないよ~~~え~~~ん」と 思っていたのですが
セラピストさんのご尽力のもと それはそれは静謐な場と時間の中
久しぶりに静かな気持ちで 喜びの中で 紙に向かうことが出来ました。
この場をお借りして、映蓮さん、どうもありがとうございました。
あの場で描くことによって また何かを越えられたような気がしました。
例によって 描きあがりを予想出来ないまま進めていくと
次から次へと “円”が浮かび上がってきました。
白、黄色、紫、ピンク・・・・
描きながら、思いました。
これは、こどもたちだ・・・・
私はこれからも、
こどもたちと一緒に 生きていきます。
本当はこのことだけでもっと長―いブログを書けるほど
それはそれは意味深い、パワフルなものでした。
これまでに何度も「卒業式」なんて経験してるのにねー
セレモニーの進行する中で。またそれを終えて。
私は 徐々に徐々に 自分が強くなっていくのを感じています。
それは 頑丈なもので自分を固めるという強さではなく
内面が満ちていく、と言ったらいいでしょうか・・・
何かを終えるということは 何かの始まりでもあった。
今日の私であるためには、卒業というプロセスを踏む必要があったのです。
あっ、このセラピーにご興味のない方には 今日はあまりに長く
退屈な日記かと思います。
あらかじめ、ご承知おきください。
また、読者さんの方でこれから卒業される方々のために、
セレモニーの詳細は秘密とさせて戴きますね
生きていく過程で生まれた、自分の中の様々なキャラクター(チャイルド)たち。
その中でも特に大きな、自分にとって重要なキャラクター達と
セラピストさんの誘導のもと、最後に改めて対面。
彼女・彼等の持つ資質を確認していきました
(不思議だけど、ちゃ~~んとわかるんですねえ)。
6人のチャイルドちゃんが現れました。
☆「行っちゃうの??」と、目にいっぱい涙をためて 私にすがりついてきた
保育園~幼稚園児くらいの女の子。
それは、私がずっと「なかったことにしたい」と思っていた、
過去の辛かったことの「象徴」である傷だらけの子供。
でもその子は、人間としての、女性としての私の深みを増すために、
なくてはならない存在なのでした。
対話をするうちに、マゼンタというなんとも女性らしい色に
その姿を変えていきました。
☆ 一見アフリカ系に見える、やはり幼稚園児くらいに見える、じっと黙って
指しゃぶりをしながらこちらを上目遣いで見上げる男の子。
(実は、私も小さい頃よく指しゃぶりをしたものでした)
くすんだ感じであまり幸せそうでないその子は、実はとても明るくて
クリエイティブな子供です。
☆ 始め、人物像ではなく子供の落書きのような絵として現れたのは、
小学校低学年くらいの、元気いっぱいなおかっぱ頭の女の子。
腕を腰に当て仁王立ちで「この絵、あたしが描いたのよ。凄いでしょ?」と
自信満々です。なんとも頼もしい!
☆ やはり人物像ではなく、はじめ湖畔の風景として現れたのは、
そこに住む人魚・・・中学生か高校生くらいの女の子。
水中をのびやかに自由に泳ぎ回るその子は、一人で静かに過ごすことや、
自分のスペースを自由に動き回ることをとても楽しんでいます。
☆ 少年向けのアニメに出てきそうなそのキャラクターは、
大きな盾を手にし、金色に輝く鎧を身に付けた、小学校高学年くらいの
男気のある元気な男の子。
見ていると、「不動明王」という言葉が浮かびました。
この子の役割は「守護」・・自分を守ること、NO!という勇気、
また強い決意を表しているように感じました。
☆ 最後に現れたのは、白い布にくるまれて、すやすやと眠る
幸せそうな赤ちゃん。
「無垢」「無邪気」という言葉がぴったりの・・・
私は、「この子にずっと会いたかったんだ・・」とわかりました。
その子達が、私の中に存在することを感じれば感じるほど
私自身がどんどん強められていくように思えたのです。
それは、「私は 私自身のすべてを“喜んで”引き受ける」という意識・・・
まさに「親が子供に育てられる」感覚です。
そんな感じで、
多くのクライアントさんが 涙ながらに終えたというセレモニーを
私はほとんど涙なく終えました。
チャイルドちゃんたちは、何度も言うように
不快な形をとって現れることがあります。
親である私が感じ取っていない子供達の思いは、必ず他者へ向かう・・・
そういう癖が、私は多い。
事実、卒業式の翌日はいつものように 周囲に悪態をつく自分が
フルスロットル(笑)
でも、今ではその声が イコール
「もっと幸せになっていいんだよ!」
という訴えであることが理解出来たので、自分を責めることなく
その声と痛みを感じながらも穏やかな気持ちでいます。
感じつつ、あとは、行動していくのみ!
「幸せになりたい」・・・
人ならば誰しもが願うことです。
しかし、自分をケアすることを知らずに育った人間は無意識のうちに
「人にケアするだけしてもらって、自分だけ」幸せになろうとします。
私も、そうでした。
でも、自分と付き合うことを大分覚えた今、
「お互いに協力して、自分も周りも幸せになる」道を自然に(←ここが肝心)
選ぶようになってきたように思います。
その道が、結局一番うまくいく道なのですね。
それが全ての生き物に本来 備わった嗅覚というか 本能であり・・
このセラピーの目的は「自分を変える」ことではなく
「思い出す・目覚める」ことにあったのではないかと思うのです。
そうして、ひとつ準備が整い ひとつステージが上がるごとに
社会へ還元する機会も増えていくのではないでしょうか・・・・
セレモニー最後に、私は勇気を出して
「チャイルドちゃんの得技」を披露することにしました。
(↑別に 無理に披露しなくても 何をやってもいいんですが)
セラピストさんの前での、お絵描きショーです(笑)。
実は、卒業への最期の仕上げか?今だ解決できない私の自己批判・否定が
わんさと押し寄せてきており、直前まで
「描けないよ~~~え~~~ん」と 思っていたのですが
セラピストさんのご尽力のもと それはそれは静謐な場と時間の中
久しぶりに静かな気持ちで 喜びの中で 紙に向かうことが出来ました。
この場をお借りして、映蓮さん、どうもありがとうございました。
あの場で描くことによって また何かを越えられたような気がしました。
例によって 描きあがりを予想出来ないまま進めていくと
次から次へと “円”が浮かび上がってきました。
白、黄色、紫、ピンク・・・・
描きながら、思いました。
これは、こどもたちだ・・・・
私はこれからも、
こどもたちと一緒に 生きていきます。
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