平成徒然草(萩原 希仁)

毎日の喜怒哀楽をストレートに表現してゆく。

居酒屋の親爺時代

2013-06-14 14:43:23 | 日記
30代中半、今思えば、何て青かったか。

それでも、お客と話し込んでいて、今思えば、

小っ恥ずかしい限りだ。

人生は深い。

最近、自分自身が癌で、余命宣告を受けて、

はたと気付く事さえ多いのだ。

あの頃、そんなお客さんと、どの面下げて、

話していたのだったか。

どうか、大きな心で、お許しください。

今なら、少しは解ります。

あのカウンターンの端っこで、重い空気の中で、

静かに呑んでいたあなた。

常連を捕まえて、閉店後に遊んだ、

麻雀の愉快だった事。

みんな、本当にありがとうございました。

今思い出せば、地廻りの面々までが、

懐かしく愛おしい。

今日は苦しい

2013-06-07 23:18:28 | 日記
多分、出血が多いんだろう。

ちょっと気を抜くと、パンツが血で

汚れてしまう。

案の定、ろれつが回らない。


明日は、杖の力を借りて、

近所の肉屋まで、頑張ろう。

自分へのご褒美に、

旨いステーキ肉を買おう。

未だ、焼く力が残っている内に。

天気だと好いなぁ。

雨だと、きっと歩けないので。

ちょっと可笑しいが、付け合せは、

キャベツの千切りだ。

あの店のは、細くて甘いから。


物欲や、金銭欲は、とうに消えた。

性欲も危ない。

だが、食欲は健在だ。

だから、素直に従おうと思う。


デザートは、赤くて甘いメロンだ。

果たして、重いメロンを、持って帰れるか。

大勝負である。


じっと手を見る

2013-06-03 21:06:40 | 日記
余命宣告を受けた、末期の大腸癌患者としては、

不思議に、平穏な日々をおくれている。

とは言っても、腫瘍からの出血で、

ろれつが回らなくて、友の電話をとれない日もある。

痛み止めの効きが悪いと、一睡も出来ない。

どちらでも無くても、病院へ、検査に行く日は、

帰ってからも、疲れきって、動けない。

でも、まだまだ、幸せだ。

調子が良い日は、こうやって、ブログも書ける。

驚くほど時間は掛かり、打ち間違いは多いが。


流石に、テレビで、末期癌患者を扱った、

ドラマを観ると、落ち込む。

自分にも、奇跡が舞い込まないものかと、

少し、甘えたくもなる。


欲はかかない。

せめて、逢いたい人に出向く体力が欲しい。

自由に電話で、話す力が欲しい。

でも、諦めない。

小さな奇跡を待ち焦がれている。


死への怖れでは無くて、生きる事に、

もう少し、未練がある。

高齢で、気弱になった母の、世話もある。


未だ、気力は萎えていない。

人間の哀しさ

2013-05-29 01:10:20 | 日記
人間の一番の哀しさは一体何だろう。

それは人生が、一回こっきりなのに、

人生の真理を理解する為には、

我が身に降りかかって、実経験しないと、

或いは、痛い思いをしないと、

心に沁みない事ではないか。

このシステムの中では、人生は、

余りに短すぎる。

この意味では、なるべく若い時代に、

失敗したり、痛みを味わう方が好い。

やり直しが効きやすいからだ。


その場を取り繕う嘘で、逃げる事の、

無意味さを、心から理解するのは難しい。

真っ直ぐに生きて、赤恥をかくのが実は、

最も、傷が浅いものなのだ。

こんな人生真理は、実体験でしか身に付か無い。


先人の書物を読まないよりは、読んだ方が好い。

人生の先輩の話も、耳を傾けた方が好い。

でも、それで、安心は出来ない。

浅い知識を、軽く身に付けたに過ぎないから。

兎に角、前向きにぶつかって、経験するが好い。


僕は、もう直ぐ、天に還る。

多少偉そうな発言を許していただきたいと思った。



ペタしてね

僕の好きな言葉

2013-05-27 00:14:52 | 日記
織田信長が、本能寺の変で部下の謀反で、

自決する直前に発した言葉。

「是非も無し。」

僕は、昔から、この言葉が好きで、

自分も、最期はこう言いたいと、

心から願っていた。

戦国の魔王らしく、微塵も、

女々しさが無く、腹が座っている。

明智光秀の、能力を熟知し、

それ故に、少しのあがきも無い。


さて、僕は、末期癌で、

もうじき、逝かねばならないと知った。

だから、今こそ言おう。

「是非も無し。」


人生は素晴らしい。

だから去るのは辛い。

しかし、ここは、ぐっと腹を据えて、

全てを飲み込もう。


恐怖と裏腹に、好奇心が膨らむ。

何せ、死ぬのは、初めてだ。