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模様眺め

3DCGと模様と宇宙

始まりがない

2014-08-28 14:15:09 | もの思い

 時間と同期する数字、0,1,2,3,4,5,6,…、があるとする。
 この始まりは0である。
 もしこれが、たとえば0~4が同時に起こったとしたらどうなるか?
 再定義:時間と同期する数字、ただし時間は5から始まる。

 この時、始まりをどう捉えるか、
①やはり、(0,1,2,3,4)が始まりなのか。
②たとえ時間が5から始まっても、以降の数字は正しく機能する。したがって逆算すれば4,3,2,1,0と数えられる。よって0を始まりとみなすのか。
③始まりはないとするか。

 もし数字がそうであっても、人は利便的にも②を採用するだろう。
 問題は、もし宇宙がそうだったとしたら、どう考えるのかということ。

 そもそも世界は人が生まれる前からあるので、人が捉える世界はいわば、0,1,2,3,4),5,6,7,… の世界。この説明で最も容易いのが①となる。問題点は5から数え始めなければならないこと。
 今の宇宙論や科学者は②の考え方をとる。問題点は有で無は語れないこと。1~2と同じ様に0~1を語ることはできない。
 ただ、結局のところ①と②の違いは、どこから数えるかでしかない。
 そこで発想を変えて、始まりはないとしてみたらどうだろうか。問題点は、“わからない”から“ない”としている、みたいになること。
 私としては、世界のあり方については、③が一番答えに近い気がするのだが、どうだろうか?

 歴史上二転三転してきた世界観を見るに、逆算には限界があるとみなすべきで、それでも世界の始まりを追求してきた人達の、世界をどう見るかの勘のようなものをもっと重要視してもいいのではないか。

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もしも時間が止まったならば

2014-05-11 07:43:17 | もの思い

 もしも時間の流れが遅くなったら、そのぶん重力も弱くなり、エネルギーも減衰する。
 もしも時間が止まったら、すべては存在しないものとなる。

 もし自分以外の時間が止まったとしたら?
 自分以外のすべてが存在しなくなり、存在しないとさえ認識できなくなる。
 時間の感覚は存在しているものに対してのみ働くので、時間が止まったとも判断できない。

 もし自分の時間だけが止まったら、存在としての活動を発しなくなり、存在しなくなる。


 しかし、相対性理論ではそうはならない。
 これはたぶん、「時間」と時空の時間が別のものだから。
 時空は、計算できないものを計算するための、現在最有力の体系。
 こういう便利なものがリスク無しで扱えるとは思えないのだが…

 おそらく…
 計ることも計算することもできない「時間」。これに、基準を設けて計算可能にしたのが時間。本来この対応は一方的なもので、逆向きには行えない。ただし時間を変化させない前提のもとに、仮に逆の対応をさせても有効性が保てていた。
 ところが、時空で時間の変化を認めてしまったために、逆対応が仮においてもできなくなってしまった。このことは、「時間」→ 時空の時間 の対応の有効性が確認できなくなったことを意味する。

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古き衣

2014-05-04 07:58:11 | もの思い

 利便性のための護岸工事、これにより魚は住む場所を失う。一方で、人工の漁礁や藻場で漁場が再生するとも聞く。
 つまり本来生命はそれだけの生産性をもっているということ。
 もし護岸工事がなければ、地形が変わることだってあるが、そんな時、豊かな生産性は可塑性となる。
 自然とはそういうもの。

 これを宇宙論に当てはめるなら、きれいに護岸工事された水辺は、計算で導かれた宇宙論。人間には都合がよくても、多様な生命を育むことはできない。
 そういう意味で、今の宇宙論には不自然さを感じる。宇宙ってそんなものではないはずだ。
 複雑で膨大な計算を繰り返すだけでは、あらゆる現象を説明するには足りない。


 この考え方、裏を返せば、人間を満足させるには、計算で導かれたもののほうが効果的、ということにもなりそう。

 地動説と天動説がある。地動説は合理的な考えだが、ほとんどの人にとってどうでもいい話。人間と社会の仕組みもどちらかというと天動説向き。時計などは、地動説をとるなら公転と自転の角度を測るはず。そうすれば世界中で時間を統一できるのに、決してそうはならない。

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記憶の構造

2014-01-22 13:41:06 | もの思い

 音楽はパターンだから、単調であると不快になり、複雑だと脳の負担になる…かというと必ずしもそうではなく、なぜか脳は音楽が好きらしい。
 理由としてまず思い浮かぶのが起承転結。
 音楽には小節の中にも、パート毎にも、曲の中にも起承転結が見受けられる。これらが階層構造で展開されることに音楽の力があるのではないか。

 起承転結は記憶構造に関わっているのではないか。
 起は、記憶のインデックス部分。
 承は、記憶の性格を確認する部分。
 転は、記憶の情感を再起させる部分。
 結は、どこまでを記憶するか締め括る部分。

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選択の構造

2014-01-22 13:39:04 | もの思い

 人は絶えず選択している。
 多種多様な、ありとあらゆる選択。
 選択に比べれば、自由が何も表していないことがわかる。
 自由があるのではない、自由な選択肢があるだけ。
 ただ、そこには落とし穴があるように思う。
 自由な選択肢を追い求めると、自由が損なわれていくような気がする。
 選択する前に自由であることが大切なのかもしれない。

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