光子 ⇔ 一次元粒子
光は直進するだけなら一次元だけあればいい。
電子 ⇔ 二次元粒子
存在が二次元的。なぜ電子が存在するのか不思議に思わなかったか?
陽子 ⇔ 三次元粒子
世界は基本三次元。
四次元粒子 ⇔ 銀河
四次元粒子があるとすればあのあたり。
五次元粒子 ⇔ 泡構造の中心
粒子が存在しそうな場所は探せばあるものだ。
果物の木の実は動物に運んでもらって繁殖範囲を広げるために適応的にあのようになったといわれている。
この手の繁殖範囲を広げる形態は多くの植物で共通することだが、それは、この形態が「植物が植物として分化したときからの根本的な性質」だからということにならないか。
そこに“植物とは何か”の答えがある気がする。
繁殖の形態が種のあり方に多大な影響をもつことは十分考えられる。本質的に変わることのなかった形態であれば尚更。
繁殖の形態が種の本質だとしたら、一部の発現をもって種を語るのでなく、それを繁殖と絡めてこそ種を語るべきであろう。
自然選択で語られることの多い進化だが、性選択のほうが本質に近いのではあるまいか。
いかに性選択をされたかを語らなければ、進化論は分断されたまま、探究の糸口を見失いかねない。
自然選択は結果であって、種の性質ではない(答えのない選択に意味を見出すのは難しい)。あるいは、すべての生命に共通する性質とする。よって生命維持に関してのみ限定的に適用する(ただし、生命の根幹にかかわる性質は進化の全過程において影響を与えうる)。
☆単細胞レベルでは性選択は自然選択に等しい。
いっそのこと性選択だけで進化を再構築してみても面白いかもしれない。
数億年かけて生命が獲得した形質はすべて性選択の名残り。受精卵から生殖までの期間は、性選択の積み重ねを意味する。
手がかりの少ない話ではあるが、証拠は残っているはずである。形態、遺伝子、永い世代にわたる性選択の傾向、個体ごとの性格。
あと、選択の基準が知覚であろうと、行動であろうと、生理現象であろうと、大雑把にいって人間も同じような仕組みをもっているのだから、人間が判断することもあながち間違いではない(解釈を変えて応用可能な範囲)、という考え方もできる。
自然選択で進化はない。性選択だけでは生き残れない。