模様眺め

3DCGと模様と宇宙

見る力

2011-12-18 00:20:35 | もの思い

 望遠鏡を覗くのも、顕微鏡を覗くのも、同じこと。遠いか近いか、巨大か微細かだけで、本質的な違いはない。
 とくに遠くの宇宙を見ている時と原子の姿を見ようとしている時にそうなる。
 観測が困難になると像がぼやけてきて、得られる情報が点でしかなくなってくる。対象そのものではなく、媒介物によって情報を得ているためだ。
 観測結果が似てくるのは、ただそう見えるだけなのか。それとも、そもそも同質のものだからなのか。

 人間の目も同じ。目では光を受信して脳で情報処理するため、そこには人間特有のクセが差し挟まれてしまう。直接確認が不可能な以上、観測主体によるクセみたいなものが出るのは仕方のないこと。
 見えないものを見ようとするとき、人間なら想像力で補おうとする。得られる情報が少なくなると、観測のクセも顕著になり、最終的に人間が穴埋めをする。
 注意すべきなのが観測対象の性質、観測方法の性質、計算方法の性質で、いずれにおいても真に正当性があるのか、望遠鏡・顕微鏡の観測では考慮する必要がある。

 結果が出ていない時点でこう言うのもなんだが、光よりも速いニュートリノやダークエネルギーの問題も、そのへんに理由があるのではないか。
 いずれにも共通するのが、完成された理論に対して、当然の疑問としてきちんと観測計測してみたら、理論を超える結果が出てしまったということ。観測機器の発達で、今後従来の理論では説明できない観測結果がいくらでも出てくるのかもしれない。
 理論通りの精密な観測結果が出るのも、それはそれでめでたいことではあるが。

 ちなみに私は、『計算』そのものに疑問を感じている身なので、量子力学もビックバン宇宙論もあまり信じていない。

 観測のために設けられた基準が時間。その時間を変えられることにすると観測結果が定まらなくなる。これが時間を変化させてはならない理由。
 この時間を、一定の法則のもとでなら変化させてもよいとすると……時間に対し基準を設け、常に監視観測し、法則性をもって変化させる、ぐらいの仕掛けが要る。できれば実体によって基準を設けたいところだが。
 時間の問題点は実体のないこと、もしくは相対的にしか実体を設定し得ないこと。もともと様々な対象で様々な基準で適用されていたのを、時計を使って機械的に統一させたのが時間で、これまではより精密な時計をつくることで妥当性を保ってきた。さらに精密さが要求されると、一方で正当に適用される時間が他方では誤差が生じるということも起こってくるのでは。
 相互に観測し合い基準となる関係をつくったとしても、その関係においてのみ正しいのであって、時間のように万能性を持たせてしまうとうまくいかなくなる。