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魂の揺籃

2010-04-18 23:56:34 | もの思い

 脳、神経細胞の振る舞いは、思考の傾向・パターン、記憶の振る舞いと一致していなければおかしい…と、人は思い込むはずである。
 神経細胞の観察は、客観的にできる。が、解釈の段になると、人の思考パターンというか限界がそこに働く。さらには、この解釈によって、思考パターンが制限される。
 これは最先端の脳科学研究を待つまでもなく、人が考えることの単位を想定するだけで陥ってしまう思考の落とし穴でもある。単位として想定しやすいのは、人、魂、精神、思想、言葉、そして時間。
 枠をつくっては自らを押し込め、そこから抜け出そうともがく。

 思考の単位にはそれぞれで有効な文脈があり、それぞれのスケールで思考・叙述法をもつ。各単位をわたる文脈、思考法ももちろんある。これだけで複雑性と、完全性と不完全性の両立が担保されると考えられそうであるが…

 あとは脳の仕組みを解明すればいいだけ、というものでもないはず。
 視野は大観するほど優れているというものでもないし、細分化するほど正しくなるというものでもない。
 それがもしも、全体を見渡して得る答えでもなければ、細部を突き詰めて得る答えでもないとしたら。

 ふつう“殻を破れ”というと、こちらへ来いという意味になる。差別化し、偏見に陥れ、利で誘う。寛容とは無縁の、迎合排除手法。かといって寛容で道なき道を進むことはできない。
※●×●=○?