模様眺め

3DCGと模様と宇宙

免疫はじめ

2011-06-16 03:32:28 | もの思い

 自己の定義の難しさ。
 自己とは何かという命題が奥深いのは、これが細胞の発生まで遡って考えるべき問題だからである。

 自然の摂理として…
 他を排除するものは、他からも排除される。それが害をなすからといって、他を排除する存在は、自然界では危険な存在となる。たとえそれが自己に侵入した他だとしても問題は変わらない。
 これが自己なら、不用になった自己を排除したとしても、なんら問題はない。むしろ消化と排泄という自然な振る舞いとなる。
 だったら、自己に害をなす他に対処するには、まずは自己に取り込んでから、不要な自己として排除すればいい。
 免疫とはそういうものではないか?

 自己を識別する、他を識別する、そんなことが本当に可能なのか? そんなことに意味はあるのか?
 免疫にできることは、せいぜい自己の状態を監視することではないか。自己の状態を監視することは、生命の維持にも有用である。また、変化する自己にも対応できる。必要とあらば、監視の精度を上げればいい。
 他を排除する性質は、むしろ自己の曖昧なところにこそ芽生えるのでは?


プログラム思考

2011-06-06 02:44:09 | もの思い

 プログラム思考またはアルゴリズム思考。プログラム、アルゴリズムの意味はウィキペディアを参照するとして。

 人は「アルゴリズム」がなくても言葉で思考できるし、言葉がなくても直観的に思考できる。つまりプログラム思考は言葉の上をゆく思考法となる。

 ここで注意しなければならない点は、言葉もまたアルゴリズムで成り立っているということ。おそらく直観思考もまたアルゴリズムで成り立つ。この関係は、マシン語~アセンブラ、高級言語、インタープリタ、スクリプトといったプログラミング言語群に似ている。
 言葉は高級言語の命令にあたる。オブジェクトはかなり言葉的。外部ファイルの呼び出しも言葉的な機能といえる。
 よって「プログラム思考」は、高級言語よりさらに高度なプログラムとして思考する、ということになる。
(今のところ、プログラム思考は、特定の専門分野のために開発されたプログラミング言語、に近い。
 プログラム思考では、しばしば直観思考のコントロールが試みられる。それはオリジナルマシンの製作、新CPUの開発から着手することに相当する)

 言葉にしてもプログラムにしても、習得するには、マニュアルに従うか、例文を参照するかだが、プログラムではさらにアルゴリズムの理解が必要になってくる。理解するといっても、結局は言葉を媒介にして、原因と結果から、その間にあるアルゴリズムを読み解くしかない。さらに、プログラムには試行とデバッグの手順が欠かせない。言葉なら、最悪言葉自体が根拠となり、丸暗記が理解であることも少なくない。
 こういったアルゴリズムの理解のし難さは、伝達のし難さとなり、普及の妨げとなっている。

 コンピュータの発展としては先が見えているというか、高速化と大容量化ぐらいのものだが、それに比べてプログラム法やアルゴリズムにはまだ伸び代があるように思う。
 アルゴリズムの定義は定まっていない。にもかかわらず、人がアルゴリズムで思考できることは、示唆深い。