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裏アドラー

2016-03-17 11:31:58 | 文化史論

 共同体感覚と聞くと胡散臭く感じるが、言葉というものがこれなしでは成り立たないとするとどうか?
 意味を持たせた個人の発声が皆に伝わるのが言葉だとして、自身の言葉が他の人にも同じ意味として通じると思えるのは、共同体感覚というほかない。

 人の悩みはすべて人間関係上の問題であるというのは当然として…実際に悩んでる人や臨床医には申し訳ないが、現実問題として解決できないだけでなく、必要だから問題のある人間関係がなくならないという考え方もできるのではないか。





②優越性の追求:集団の中でも優れたものを持っていれば、それが集団を益することになる。エースで4番みたいな。

③劣等コンプレックス:簡単に言うと人間関係の決済。自慢のように攻撃として働いたり、不幸自慢のように防御的に働く。関係性を早めにはっきりさせるのはさほど悪いことではないように思うが、その際に問題は発生しやすい。怒り新党みたいな。

 集団の中で優劣をつけるような行動は多くの社会性動物にも見られる。それが適切かどうか生き残れるかで確かめるわけにはいかないので、現実問題として捉えるのはあまり意味がないように思う。
 動物にも見られるようなこの手の社会構造は、今の人間社会にも残っていて、確固たる地位を築いている。が、人間社会を構成しているのはそれだけではない。
 人間はここから人間関係の問題を解決して社会を発展させるための方法を獲得したはずである。

④感情:感情をシグナルにして人間関係を改善する。アドラー的には、目的論、課題の分離、勇気づけ、がよいとされている。感情で解決するには感情が邪魔になる、というのはよくあること。

⑤共同体感覚:他者信頼、他者貢献、自己受容。生まれつきだが育成して伸ばすというのは言葉と似ている。
 共同体が健全であるとは限らないので、互いを利するという意味で他者貢献だけでよさそうだが、不健全なりの信頼や自己受容もありそう。根拠として何か欲しいところ。

 何をもって自己=個とするか、どこからを共同体=全とするか、いわば個⇔全の帰属の切り替え。その前段階である、なぜ全体と認めることができるのか、何をもって全体とするか、というようなもの。

 個⇔全のとき、なぜ個が全体と共通していると思えるのか、なぜ全体から個を代表させることができるのか。全体の中で個を認めることは、言葉の大前提となる。