模様眺め

3DCGと模様と宇宙

谷越えSOV

2009-10-19 01:22:43 | もの思い

Tani03
 図のような考え方ができそうではないか。
 知覚情報を扱う直感と、言語情報を扱う論理があり、両者を結びつけるときに谷が生じる。
 ひとつなぎの認識過程の中でSOVが派生しうる、というのは、脳の仕組みを考えるうえで非常に都合がいい。

 主語は述部を待ち、あらゆる可能性の中で直感的に認められる。目的語は論理的な産物なので論理に寄る。
 情報は処理のためにも記憶のためにもコンパクトに要約されていく。それが言葉と結びつくと強く印象づけられ、動詞が形づくられる。心が動けば言葉も動く。感動があるから動詞が意味を持つ。(動詞は直感と論理いずれにも渡る)
(直感と論理の結びつきは、同時に情動とも結びつく。結びつき方の好悪正否がこれにより選別される。これが少なからず動詞のあり方に影響を与えている)

※言語化の前提として非言語SOVを想定してもいいのでは。
 非言語SOVは認知とも言い換えられ、思考と行動の制御、脳内の情報はすべてSOVで管理される。とくにVには基本動詞として相同と比較(=、>、<)がある。

 昔テレビで言語学者が、あらゆる言語がSOV(順不同)の型を持ち、なぜSとOとVなのか解明されていない、と言っていたのを覚えていて、今でも重要な問題として心にとどめているのだが。
 とりあえずこんな解答でいかがだろうか。


谷を越えて行こう

2009-10-09 11:25:08 | もの思い

 こういうのを作っていると、いつかは「不気味の谷」という言葉にぶつかる。
 思うにこれは、谷ではなく二つの山なのではないか。
Tani01
 そもそも、絵がどんなでも見えるようにしか見えないわけだし、作り手としてもできる範囲内でやっているわけだから、谷なんか気にしていられない…と、これまでは思っていた。
-そういえば、不気味というのは動きにも当てはまる言葉であった。
 モデルに動きをつけるほどに、イメージからかけ離れていく。これはT字I字から形が崩れ、作業も難しくなるからだと思っていた。
 動きにも「不気味の谷」があるとすれば、がんばって動かそうとするほど谷にはまり込んでしまう可能性だってあるわけだ。
 バレエ、日舞、魅せるための洗練された動きは、そう容易く表せるものではない。自然体と動きが相反する場合、現状で谷を回避する術はない。
 

 
 ところで、人の顔と人の動きとの不気味という共通点は、両者が同じ仕組みによって認識されていることを推測させてくれる。
 と同時に、このことは、山と谷が図の左方向へつくられていることを示唆している。(抽象画が評価される所以か)
Tani02
(直感と論理は、経験とその解釈としても当てはまるかもしれない)

 私は常々、人が現象や経過を含む状態までも認識できていることを不思議に思っていた。(SOVのV)
 人なら歩く、走る、座る、寝る。植物なら芽が出る、葉が繁る、花が咲く等。人がなぜ、こうした変化を認識し、言葉にして表すことができるようになるのか。
 今回不気味の谷について考えてみて、写実と記号あるいは直感と論理の間に大きな溝が必ずできるのだとすれば、このような疑問が生じることにも納得がいく気がした。
 もしも不気味の谷を打破することができたならば、この疑問に対する答えにも近づけるかもしれない。

 認識の谷は、人の、人間的とされる心理行動の多くを説明してくれる?