模様眺め

3DCGと模様と宇宙

フラクタルを定義する

2016-11-13 12:13:59 | 文化史論

 フラクタルの長さは∞という問題がある。これは言い換えれば、太さ0の線をどれだけ引けるかという問題で、太さ0=1/∞で、長さ∞=1/0となる、1=0・∞を全体(次元の単位)とした、まさに次元の問題といえる。

 フラクタルをつくるには、0から積み重ねるか、全体から削るか、∞を弄るか…
 いずれにせよ、次元をどうやって埋めるかがフラクタルということになりそう。
 ただ、次元でないものが次元になることはないので、フラクタルであれば仮想的に次元と同様に振舞わせることができる、という考え方になる。

 たとえば、この作業を繰り返すほど面に近くなる。

 フラクタル次元というのは、次元を埋める度合いを表していると言っていいかもしれない。
例:フラクタル次元1.5だと、線で面全体の半分が埋まるが、数学的な線の太さは0なので、決して面にはならない。

 フラクタルの唯一の条件は「繰り返し」であろう。
 同じことを繰り返せば、相似が現れるのは当然のこと。繰り返しの結果が平坦だからといってフラクタルでないとはいえない。繰り返しにより相似が上書きされることもあるだろう。一見すると変化がなくても、繰り返しているうちに突如として相似が現れるということもありうる。

 そして、繰り返しは時間である。
 永遠に繰り返せれば、安定した強固な次元も構築できる。
 時間は数と同じで、数が個別に並べることで数えられるように、時間も繰り返しで刻んで流れることで時間となる。
 始まりから終わりまであるとして、たとえそこに均一な流れという意味で時間が認められたとしても、そこに世界はない。


 仮想的にでも次元が上がればできることも広がる。少しずつでも次元が増えることが、新たなフラクタルを生む余地となる。
 こうしてできた階層的な相似と無数の繰り返しが今の宇宙である。
 複雑に見える世界も、単純な宇宙の法則でできているといわれるが、長大な時間によるフラクタルでできているとも言えるわけだ。

 以上のことから、フラクタルを定義するなら、
 フラクタルとは、時間の次元作用である。


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 フラクタルは人それぞれで見え方が違うのではないか?
 フラクタル次元の誤差が0.01あったとしても、パッと見、見分けなんかつかない。フラクタルが他人よりも次数で0.01多く見えてたとしても確認のしようがない。
 絵を見較べると、似た凸凹で度合いが違うということはわかるのに、何が違うかはっきりとは言えない。

 そもそも人はフラクタルをどうやって認識しているのか?
 世界がフラクタルでできているなら、脳はフラクタルを認識できるようにできているはず。
 フラクタルを認識するには、脳がフラクタルでできているというのが自然ではあるが。

 要は、フラクタル処理器官を備えた神経中枢が脳であればいいわけだ。

 具体的に…絶えず入力される感覚からの信号を脳内でフラクタルにする(カメラの映像を映すモニターをカメラで撮るみたいな)。フラクタルにしたら、どのくらい繰り返したかと、キーフレームとなる基本情報だけを記憶する。

 視覚を3次元で認識する仕組みも、対象と対象の別角の画像の違いをフラクタルにし、キーフレームとフラクタル次元だけで対象を立体的に認識する。これにより奥行きすべてを把握する必要がなくなり、表面的にも部分的な認識で済み、記憶量をかなり節約できる。

 フラクタル自体に対しては、同じパターンを見つける繰り返しでフラクタルをつくり、パターンとフラクタル次元の度合いで認識する。

 変化を認識するのは難しいもの。
 コマに分割してフラクタルにしたとしても、あくまでどの程度変化しているのかなんとなくわかるだけ。
 変化の本質を捉えているわけではないことを知っておくべきかもしれない。