模様眺め

3DCGと模様と宇宙

もしも時間が止まったならば

2014-05-11 07:43:17 | もの思い

 もしも時間の流れが遅くなったら、そのぶん重力も弱くなり、エネルギーも減衰する。
 もしも時間が止まったら、すべては存在しないものとなる。

 もし自分以外の時間が止まったとしたら?
 自分以外のすべてが存在しなくなり、存在しないとさえ認識できなくなる。
 時間の感覚は存在しているものに対してのみ働くので、時間が止まったとも判断できない。

 もし自分の時間だけが止まったら、存在としての活動を発しなくなり、存在しなくなる。


 しかし、相対性理論ではそうはならない。
 これはたぶん、「時間」と時空の時間が別のものだから。
 時空は、計算できないものを計算するための、現在最有力の体系。
 こういう便利なものがリスク無しで扱えるとは思えないのだが…

 おそらく…
 計ることも計算することもできない「時間」。これに、基準を設けて計算可能にしたのが時間。本来この対応は一方的なもので、逆向きには行えない。ただし時間を変化させない前提のもとに、仮に逆の対応をさせても有効性が保てていた。
 ところが、時空で時間の変化を認めてしまったために、逆対応が仮においてもできなくなってしまった。このことは、「時間」→ 時空の時間 の対応の有効性が確認できなくなったことを意味する。


古き衣

2014-05-04 07:58:11 | もの思い

 利便性のための護岸工事、これにより魚は住む場所を失う。一方で、人工の漁礁や藻場で漁場が再生するとも聞く。
 つまり本来生命はそれだけの生産性をもっているということ。
 もし護岸工事がなければ、地形が変わることだってあるが、そんな時、豊かな生産性は可塑性となる。
 自然とはそういうもの。

 これを宇宙論に当てはめるなら、きれいに護岸工事された水辺は、計算で導かれた宇宙論。人間には都合がよくても、多様な生命を育むことはできない。
 そういう意味で、今の宇宙論には不自然さを感じる。宇宙ってそんなものではないはずだ。
 複雑で膨大な計算を繰り返すだけでは、あらゆる現象を説明するには足りない。


 この考え方、裏を返せば、人間を満足させるには、計算で導かれたもののほうが効果的、ということにもなりそう。

 地動説と天動説がある。地動説は合理的な考えだが、ほとんどの人にとってどうでもいい話。人間と社会の仕組みもどちらかというと天動説向き。時計などは、地動説をとるなら公転と自転の角度を測るはず。そうすれば世界中で時間を統一できるのに、決してそうはならない。