脱原発を求め、再稼働を進める政府に抗議する「さようなら原発10万人集会」が16日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれ、主催者発表で17万人が集 まった。東京電力福島第1原発事故後に行われた脱原発集会の中で最大規模とみられる。「同じ思いの人がこんなにいるなんて」「ぜひ、また来たい」。強い日 差しが照りつけ、真夏日を記録する中、参加者らは声を上げ続ける決意を新たにした。
一部引用 時事通信 2012/7/16
渋谷区の人口が凡そ20万人。それに匹敵する人が、http://goo.gl/maps/M4iGの範囲に集るんだ・・・。
民意って、すごいなぁ~。
まあ、この総理官邸前にhttp://goo.gl/maps/VrTIに15万人も集れるんだから、十分広いよな.
野田総理は国民の意見を十分に聞くべきだろうな・・・。
中越沖地震の教訓生かされた=福島第1原発事故で-東電社長
新潟県中越沖地震から5年となる16日、同県柏崎市で行われた追悼式に、東京電力の広瀬直己社長も出席した。式典終了後、記者団に「5年の間に地震の教訓を生かし、対策を取ってきた。議論はあるが、福島第1原発事故ではかなりの部分が生かされた」と話した。
中越沖地震では、7基ある東京電力柏崎刈羽原発が被災し、全基停止した。その後、運転を再開したが、福島第1原発事故の影響で、現在は再び全基停止している。
引用 時事通信 2012/7/16
東北電役員が原発推進意見=「やらせか」と一時中断-聴取会
将来のエネルギー政策について、政府が国民から意見を聞く聴取会が15日、仙台市で開かれた。抽選で選ばれた発言者のうち、東北電力の役員が原発を推進する意見を表明し、参加者が「やらせではないか」と反発、一時中断する場面があった。
意見聴取会は14日のさいたま市に続き、2カ所目。政府が示した2030年時点の原発依存度を0%、15%、20~25%とする三つの選択肢に関し、各選択肢ごとに3人、計9人が発言する仕組み。
このうち、東北電力の岡信慎一執行役員(企画部長)が「会社の考え方を述べる」と前置きし、20~25%案の支持と女川原発などの安全対策を説明。その上で「安定供給を実現するためには、原子力発電を一定の割合で活用していくことが必要」と訴えた。
また、発言者のうち3人が東北以外からの参加だったことに、傍聴人が「人選がおかしい」などと不満をあらわにし、会場は一時騒然となった。
引用 時事通信 2012/7/15
17万人もの人たちが声を上げているのに、電力会社の連中は何を言ってんだろうね。
まったく・・・。
・・・というのは冗談で、東電社長の立場としては、この記事の言葉が全てであったとは思えません。ただ、この一言に関しては脇の甘い一言ではあります。記者は自分たちの必要とする言質を求めます。前後にお詫びが入ろうとなんだろうと一部の言葉だけで記事を書く人たちです。
仮にですね。電力会社で0%にしましょう論を言うことはないので・・・普通やろ?と感じました。この場に参加すべきなのかどうかはわかりません。しかし、こういう場でなければ意見を多くの人に聞いてもらえることもないと感じます。
総理官邸前のデモが警察の発表で2万5千人位、今日の10万人デモが警察発表で7万人位。まあ、それでも大きな声ではあります。
※参加したのは、主催者側の発表でおよそ17万人、警視庁によりますとおよそ7万5000人で、東京で行われた反原発の集会やデモとしては、過去最大の規模になったということです。
引用 NHK 2012/7/16
なぜ反原発デモの20万人や17万人はこんなに少ないんでしょうね?
日本語は、実況放送・現状報告のための言語であるといえる。
理想は、非現実の内容である。
現実を表す言語を使って非現実の内容を示すことは難しい。
現実構文の中の非現実の内容は、すなわち真っ赤なウソになる。
つまり、話にうつつ (現・現実) を抜かしたことになるのである。
だから、日本人は、非現実を述べることもなければ、考えることもしない。
すなわち、無哲学・能天気の状態になっているのである。
日本語を使って非現実を伝えようとすると、悪意はなくとも、すくなくとも絵空事にはなる。これは、漫画の世界である。
理想にはならずして、空想になる。だから、日本人は、なかなか真面目な態度にはなれない。
理想は常に想定外になる。
金は手段か、目的か。
理想が目的にならないならば、金はその手段にはなりえない。
我が国においては、金は限りなく究極の目的に近い。
これは、人生の間違いである。政治の間違いにもなっている。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
12歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、
白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。