ちょっとした絵(?)日記

思うところをつらつら書き並べているだけです。深い意味のない場合が多いですかね?

ネットは匿名であるべきか否か・・・。

2012-05-10 02:52:41 | 体感ビジネス論

FacebookでBAN(=アカウント停止)の話をメールで送ってきてもらって、読んでの感想を少々。

mixiや2ちゃんで匿名に慣れた日本人はウンヌンという件を読んで、あぁ。そう言う見方もあるのかぁと正直感心をした。

まあ、ただ、フェイスブックがアメリカの企業だと言う事を念頭に置くべきだろうなぁと感じる。
この手の話題の記事は読まないようにしているので、どこかに書いてあるかもしれないが、Facebookが匿名に厳しいのは、欧米と日本の非公式集団への認識の違いというのが大きいのだと思う。911のテロ事件以後、アメリカはテロ組織の監視に力をいれている。政府がネット上の監視をするよりも、SNSのなどの媒体を運営する企業自身に自主規制をさせる方が合理的であるし、なによりも、監視によってプライバシーの侵害を訴えられることはない。

企業側も誰が匿名で、誰がニックネームなのか?などというのはわからないだろうから、一定の基準・・・。例えば、友達の人数が基準より多い人とか一時期に申請を多く出す人などを対象にするのだろう。
それは、非公式集団の形成にネガティブなイメージを持っているからではないだろうかと推察できる。(例えば、テロとか宗教とか・・・)

テロ組織や宗教は企業などのように法的に監視されているわけではないし、公にならない部分がほとんどというところが、脅威に映るのだろう。

では、非公式な組織が全て悪なのかと言うとそうとは言えない。
非公式な組織の持つ強みは、公式な組織とは異なり、組織を構成する個人が”同じ目的意識を共有”し、”規範意識を持って行動する”ことにある。(だから、テロ組織や宗教は強い面がある)
これを”問題解決”の方向に向けたのが、日本のQCサークルなどの活動と言える。
あぁ・・・。欧米から見ればこれは”悪”かもしれんなぁ(苦笑)

日本においてのネットの匿名性は、この非公式な組織の”善良な”強みに更なる力を与えている感は否めない。
元々、ネットという”ツール”の最大の強みは、不特定多数の人との一つのテーマでの”集合”、”拡散”である。
マス媒体が名前が売れている人間しか使わないのに対して、ネットでは無名でも有能な人が意見を述べる機会を得る事ができる。日本に限った事ではないが、意見を言う人の名前や肩書きで内容を判断してしまい。中身が空っぽでも評価されてしまうことは少なくないと感じる。

名前や肩書きで判断されないと言う面では、匿名性はある程度までは有効だろう。しかし、それには限界はあると思う。それは自らの主義主張の裏付けに本人の存在というものが証明されなければ、真実味や正当性に疑問符を読み手が持つと思う。ネットでの有名論者たちが、実名で行動しているはその意味での担保ではなかろうか・・・。

では、実名こそが正しいのかという結論になるのか?と考えてしまうのだが、Facebookのような媒体でも、”痛い人”というのは存在する。(自分はSNSはやっとりませんが、知人たちからの情報を見る限り・・・)
少なくとも、これだけは言えると思うのだが、日本人の”規範意識”が、他国に比べて僅かでも多くの人で共有できているので、非公式集団が成り立つのだと言える。だから、”匿名”や”芸名”などが多少マシに機能するのではないかと考える。

結局は、匿名だろうが、実名だろうが、芸名だろうが、個々人が”モラル”を少しでも高く保てれば”自主規制”や”法規制”は不要だろう。それは誰もがわかっているはずである。
逆に白黒をつけなければならない時というのは、全体にモラルが低下してしまったということで、最も危惧すべき事ではなかろうか?と感じるわけである。
・・・立場を離れて、気楽にモノが言える時が一番いいことなんだということだろうな。



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