Be Happy with Johnny!

Mr.JohnnyDeppにHappyをもらいました!
好きな人がいるって毎日が楽しいね!!

⁡カンヌ映画祭⁡ "Jeanne du Barry" Press conference (May 16, 2023)鉛筆画

2023年05月31日 | 鉛筆画・アクリル画・色鉛筆画

The 76th Annual Cannes Film Festival

"Jeanne du Barry" Press conference(May 16, 2023) 鉛筆画




A4ケント紙

10B~3H 三菱uni  STAEDTLER

ホワイトマーカー
 

画像はmiyudeppさんのInstagramより。タイトルもお借りしました。



メガネのフレーム金属は金属感がない柔らかさ

シルバーの指輪は硬質な金属感

肌の質感・・と

試行錯誤、暗中模索、

髪の毛の流れもね。



何といっても射るような視線

写真で見れば真っ黒ですが、露出を変えて瞳に光の反射を描きました。





完成としましょう。



指輪がよくわからないので着用の指輪をbaragaki01(Instagram)さんから教えて頂きました。





ジョニーの誕生祭に向けて描こうかな・・かなり頑張ないとね。

ジョニー、足の怪我の一日も早い回復を祈ってます。


ご朱印頂きました。越後一宮・彌彦神社

2023年05月29日 | 御朱印

お友達からご朱印頂きました。

越後一宮 彌彦神社(やひこじんじゃ) 新潟県西蒲原郡弥彦村

彌彦神社の御創建について、社伝によると天香山命は第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)二月二日に越の国開拓の神業を終えられ

神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命が廟社を築き奉祀した事に始まります。

「おやひこさま」の愛称で多くの人々から信仰されています。

※彌彦神社は古くは「伊夜比古神社」と記され、伊夜日子・伊夜彦・彌彦などとも表記されました。

現在は「やひこ」と言い習わされておりますが、歴史的には「いやひこ」と読んでおりました。(パンフレットより)

ご祭神:伊夜日子大神(イヤヒコノオオカミ)御名 天香山命(アメノカゴヤマノミコト)

因みに、一宮(いちのみや)とは、神社の社格を示す格式のひとつで、昔は各地域を一つの「国」という呼称で呼んでおり、

その各国の中で最も格式の高い神社のことを、「一宮」と呼びました。越後で一番の格式の彌彦神社ということです。

一の鳥居

高さ約8.5m、柱と柱の間が約6m。中央に掲げられている「彌彦神社」の大額は、畳一畳ほどの大きさです。





一の鳥居は浸水した場合に腐ってしまわないように、真ん中の柱だけが少し浮いているそうです(諸説あり)

この様式は両部鳥居といい、中央の親柱は地面に着いてなく6cm程浮いており、両脇の稚児柱で支えられています。



随神門(ずいしんもん)

1940年(昭和15)に、紀元2600年を奉祝して建立されました。

門内の左右には、紀伊国熊野から伊夜日子大神に随行してきた長気(おさげ)と長邊(おさべ)の兄弟神を奉祀しています。



御社殿

現在の御社殿は、1912年(明治45年)3月、門前町で発生した大火で炎上、1916年(大正5年)現在の地に再建されました。



石油蒸留釜

1884年(明治17年)頃に新潟出身の田代虎次郎氏により考案された日本初の石油精製装置である石油蒸留釜。

これは現在2基しか現存していません。





火の玉石(重軽の石)

この火の玉石は「津軽の火の玉石」・「重い軽いの石」と呼ばれ、心の中で願い事を思いつつ持ち上げて、軽いと感じれば祈願は成就し、

重いと感じたならば叶わないと言われています。





彌彦神社のご神木

伊夜日子大神様が弥彦の地に宮居を御定めになる折に、携えられていた椎の御杖を地面に立てられて

「ここが永住の地に相応しければ、根を生じ、芽を出して繁茂するであろう」と御告げになると、

御杖は大樹となって彌彦神社の位置が定まったと伝えられています。





十柱神社現社殿(彌彦神社末社)

1694年(元禄7年)長岡藩主牧野氏が奉納。

桃山時代の手法を伝える元禄年間の萱葺きの建物です。





玉の橋

神様がお渡りになる橋で、人間は渡ることができません。







鹿苑

弥彦神社の神鹿は、大正2年に春日大社より雄雌一組を譲り受けたのが始まりで、

戦後の昭和30年にさらに東京の神田明神から雄雌一組を譲り受けました。











新潟は何度も行ったけど、おやひこ様にはお参りしてないです。

一度は行ってみたいです!!

疑似体験させていただきました。ご朱印をありがとう


-Jeanne Du Barry-Johnny Depp as King LouisXV 鉛筆画パート2

2023年05月24日 | 鉛筆画・アクリル画・色鉛筆画

ジョニーが演じたキャラを全部描くパート33

-Jeanne Du Barry-Johnny Depp as King LouisXV 



A4ケント紙

8B~HB STAEDTLER Mars Lumograph black

ホワイトマーカー



髪の毛。。根性こめて描きました。

豪華な刺繍が難しい。



豪華な刺繍はモノクロにすると、ぼやけてしまうので明暗コントラストをつけて描きます。

高貴さを感じる瞳をどう表現しようか悩みます。



カラーをモノクロにした場合、光が当たってる所を強調し、模様も忠実には描いていません。

髪の毛の美しい流れになるように描いたつもりです。

カンヌでJeanne du Barryが公開されたのをお祝いして続けて描きました。

どちらがお好みですか?



-第76回カンヌ国際映画祭 2023年-














カンヌのジョニー、描きたい写真ばかりです





ご朱印を頂きましたパート2「四柱神社、善光寺」

2023年05月23日 | 御朱印

しょこらーでさんからご朱印頂きましたパート2。

長野県の松本市・四柱神社と長野市・善光寺。

四柱神社(よはしらじんじゃ) 長野県松本市大手

ご祭神:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、

神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大神(あまてらすおお天かみ)

四柱とは四人の神をさし、すべての願い事が叶う「願い事むすびの神」と最強のパワースポットとして

有名になりました。

明治5年(1872年)に筑摩県松本に設置された神道中教院で、明治7年(1874年)から四柱の神を祀ったことが始まりです。

明治12年(1879年)に現在地に社殿を造営し、村社の四柱神社として遷座しました。

明治21年(1888年)の松本大火で社殿を焼失し、大正13年(1924年)に再建しました。

大鳥居

鳩が寄り付かないように微電流が流れてるそうです。











三峯神社

町内会の方が、埼玉の三峯神社をお祀りしてるそうです。





定額山 善光寺 長野市元善町

ご本尊:一光三尊阿弥陀如来【いっこうさんぞんあみだにょらい】(善光寺如来)

善光寺の創建は聖徳太子が没して20年後くらい、飛鳥時代の642年頃とされます。

『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、

欽明天皇十三年(552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。

この仏像は、仏教という新しい宗教を受け入れるか否かを巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。

その後、信濃国国司の従者として都に上った本田善光【ほんだよしみつ】が信濃の国へとお連れし、

はじめは今の長野県飯田市(元善光寺)でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座されました。

皇極天皇三年(644)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。

飯田市の元善光寺は

「一度詣れよ元善光寺、善光寺だけでは片詣り」と言われてます。





仁王門

1918年建立。善光寺参りの入口となるのがこの仁王門です。仁王には仏敵からお寺を守る役割があります。



高村光雲・米原雲海作、仁王像



山門(三門)

1750年建立。善光寺本堂正面にある大きな門です。「善光寺」の文字の中に五羽の鳩が隠されている鳩字の額が有名です。





上層部は拝観可能となっており、中には智慧の仏である文殊菩薩騎獅像、四天王像、四国八十八ヶ所霊場ゆかりの仏像などが安置されています。

更に回廊からは長野市を一望でき、本堂を上方から見ることができます。







本堂

1707年建立。国宝に指定される木造建築としては4番目の大きさです。

善光寺の御本尊は一光三尊阿弥陀如来。

本堂は入り口を俗世、最奥を極楽、外陣(げじん)には人間を裁く閻魔大王を、

内陣には俗世の救済者である弥勒菩薩と地蔵菩薩が配されています。

最も奥の瑠璃壇(るりだん)には絶対秘仏のご本尊、一光三尊阿弥陀如来像が御安置されています。

瑠璃壇の下には、極楽浄土への往生が約束されるお戒壇巡りがあります。







徳川家大奥供養塔

江戸幕府3代将軍徳川家光の正室本理院、家光の乳母春日局、家光の次男綱重の正室紅玉院など、大奥関係者の供養塔です。

江戸で善光寺の出開帳が行われた際には、大奥の強い希望で前立本尊が江戸城内に招き入れられるなど

善光寺は徳川将軍家から篤く信仰されていました。





忠霊殿

戊辰【ぼしん】戦争〜第二次世界大戦で戦死された英霊方を供養しています





経蔵

1759年建立。中には八角の輪蔵【りんぞう】があり、その中には全てのお経を網羅した一切経が収められています。











鐘楼

1853年(嘉永6年)の再建。南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられてます。



回向柱(えこうばしら)

善光寺御開帳(七年に一度)のシンボルとも言えるのが「回向柱」です。





偶然ですが三回お参りしたのですが2回、御開帳の年でこのご利益にあずかってます。

輪回塔

石柱にはめ込まれている車輪状の石(輪廻車)を回すと、諸々の苦悩を抜け出すことができると言われています。」とあります。

輪廻塔は経蔵前に一対で建立され「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。



聖徳太子の碑(聖徳皇太子の碑)





大勧進

大勧進の寺名は、人々に仏法を説き作善をなすように勧誘策進する「勧進」を意味します。

弘仁8年(817年)伝教大師最澄さま(762~822)、が信濃路巡化のみぎり、善光寺に参籠されました。

国宝の本堂と国重要文化財の山門、経蔵がある天台宗大本山の寺院。



護摩堂

一日5回の時間を定め護摩祈願を奉修しておられます。











しょこらーでさん、ありがとうございました。


ご朱印を頂きましたパート1「東福寺、上野東照宮、香取神社、浅草寺、根津神社、亀戸天神社」

2023年05月19日 | 御朱印

しょこら―でさんからご朱印を頂きました。

東京国立博物館 特別展「東福寺」

東福寺(京都市東山区本町にある臨済宗東福寺派の大本山の寺院)の寺宝をまとめて

紹介する初の機会となる本展では、伝説の絵仏師・明兆による記念碑的大作「五百羅漢図」全幅を修理後初公開するとともに、

巨大伽藍にふさわしい特大サイズの仏像や書画類も一堂に展観いたします(※会期中展示替えがあります)。

草創以来の東福寺の歴史を辿りつつ、大陸との交流を通して花開いた禅宗文化の全容を幅広く紹介し、

東福寺の日本文化における意義とその魅力を余すところなくご覧いただきます。





上野東照宮 東京都台東区上野公園

徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社。

寛永4年(1627年)藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建しました。

元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたという。

現在の社殿は慶安4年(1651年)徳川家光が改築したもので、上野戦争や関東大震災や第二次世界大戦でも焼失を免れています。

そのため強運の神様として、また家康を祭神としていることから出世、勝利、健康長寿の神様として信仰されています。

















限定ご朱印



亀戸天神社  江東区亀戸

ご祭神:天満大神(菅原道真公)、天善日命(菅原家の祖先を相殿に祀る)

寛文二年(1662)菅家の後裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、

太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したのを起源とします。

















五歳でこの和歌を詠まれた道真公。

「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」







香取神社  江東区亀戸

ご祭神:経津主神(ふつぬし)

【相殿】

武甕槌神(たけみかづち) 大己貴神(おおなむじ)

天慶の昔、平将門が乱を起こした際、追討使・俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)はこの香取神社に参拝し戦勝を祈願しました。

乱はめでたく平定することができ、神恩感謝の奉賓として弓矢を奉納、「勝矢」と命名されました。

この古事により、1000年の時を経て今も「勝矢祭」が守り伝えられています。





















勝石

2016/7/24 — 今年が鎮座1350年の節目の年にあたる記念事業の一環として建立されたました。

重さ約4.5t、台座を含めた高さは約1.1m、幅は最大で約2.5m。

藤原鎌足の故事に基づいて、太刀一振りを冠したデザインが施されています。



亀戸大根の碑

亀戸大根は、1860年〜1864年頃の江戸時代末期に、亀戸香取神社の周辺で栽培が始まったとされます。

当時は「おかめ大根」や「お多福大根」「福分け大根」といった名前で流通していました。

大正時代初期に産地の名をつけて、亀戸大根と呼ばれるようになりました。





根津神社 文京区根津

ご祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)

誉田別命(ほんだわけのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)

今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられています。

















乙女稲荷神社

命を育む女性の象徴としてお稲荷様を祀ってあることから「乙女」の名がついた乙女稲荷は、

女性を守ってくれる神様として信仰されています。



駒込稲荷神社



庚申塔



塞(さい・さえ)の大神

村や部落の境にあって、他から侵入するものを防ぐ神。



つつじ苑





浅草寺  台東区浅草

ご本尊:聖観世音菩薩

世間の生きとし生けるものの音声を観じ、その苦しみを除かれ、また願いを聴いて安楽を与えてくださる仏さまです。

西暦628年(推古36年)の3月18日の早朝、地元の漁師、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が

隅田川で漁をしていたところ、網に一体の観音像がかかりました。二人はその観音像を引き上げると、

地元の有力者土師中知(はじのなかとも)の元へ届けました。

土師中知はこの観音像を祀り、自宅を寺にして、礼拝供養に生涯を捧げました。その寺が、浅草寺のはじまりと言われています。

雷門

浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」。その創建年代は詳らかではなく、平公雅が天慶5年(942)に堂塔伽藍を一新した際、

総門を駒形に建立したと伝わっています。



雷門の大提灯

浅草寺の雷門は、1865年に火災により焼失しましたが、松下幸之助創業者が1960年に再建しました。

それと同時に大提灯の奉納を行って以降、約10年ごとに1度、浅草寺から依頼を受けて大提灯の修復を行っています。

高さ3.9メートル、重さ約700kg。







宝蔵門(仁王門)

この門はもともと仁王門と呼ばれており、平公雅が天慶5年(942)に武蔵守に補任され、

その祈願成就の御礼として仁王門を建立したのが創建という。






本堂(観音堂)

ご本尊の聖観世音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれています。

国宝に指定されていた旧本堂は昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により焼失し、その後全国のご信徒からのご浄財により、

昭和33年(1958)に今日の本堂が再建されました。



五重塔

昭和48年(1973)に再建された鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔。外から見ると五重塔は地上面から建っているように見えますが、

実際は塔院の上に建っています。



高村光雲作の龍神像(沙竭羅龍王像)お水舎(おみずや)





影向堂(ようごうどう)

影向とは、神仏が姿かたちとなって現れることです。









六角堂

井戸の上に建てられています。堂内には、日限を定めて祈願すれば、必ず霊験があるという「日限地蔵尊」が安置されています。

このため、日限地蔵堂とも言われています。





パート2「四柱神社、善光寺」へ続く。