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がちゃこさんからご朱印を送って頂きました「太平山神社・星宮神社」

2021年04月28日 | 御朱印

がちゃこさんから季節限定のご朱印を送って頂きました。

太平山神社 栃木県栃木市平井町

古くより太平山の頂上から栃木市を見守る、約1,000段に及ぶ長い表参道の石段を登ったところにある神社。

瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、

豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)をはじめ、42社60余の神々をお祀りしている。

人々の幸福を祈り続ける太平山神社は、「全ての神々この山に有り全ての御神徳この山より始まる」

とまで言われている。





平柳星宮神社  栃木県栃木市平柳町

御祭神は磐裂命(イワサクノミコト)・根裂命(ネサクノミコト)・経津主命(フツヌシノミコト)が

祀られており、神仏習合の時代には虚空蔵菩薩が合祀されていた。

御祭神は、開拓・農耕の神、祓・厄除けの神として古くから信仰されてきた。

また、虚空蔵菩薩はうなぎに乗って現れるという言い伝えから、虚空蔵菩薩の使いとして

うなぎが祀られている。



虚空蔵菩薩の使いであるうなぎは、水を求めてどんな困難や障害も乗り越え前進する強い生命力を

持っていることから、境内には「なでうなぎ」があり、うなぎと自分の干支の文字をなでると

身体健全・家内安全・事業繁栄の御利益があると言われている。







ご朱印

太平山神社のお守り



がちゃこさん、いつもありがとう~。


山口でご朱印を頂く「元乃隅神社・松陰神社」パート2

2021年04月21日 | 御朱印

パート2は松陰神社から

4/14(水)

松陰神社  萩市椿東

大鳥居

松陰神社入口にある大きな石造りの鳥居。















松陰神社本殿


明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社

 





松門神社  しょうもんじんじゃ


松陰の門人52柱と、松陰の遺書「留魂録」を守り後世に伝えた沼崎吉五郎を合祀し53柱が祀られている。







明治維新胎動之地


明治維新100年を記念して、昭和43年(1968)に建立された大きな石碑。


揮毫は当時の内閣総理大臣 佐藤栄作氏によるもの。


松下村塾

幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。


身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年あまりの間に久坂玄瑞、高杉晋作、


伊藤博文など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育て上げた。











吉田松陰幽囚ノ旧宅


吉田松陰の実家である杉家。松陰は、安政元年(1854)に伊豆下田沖でペリー率いるアメリカ軍艦(黒船)に

乗り込もうとして失敗、江戸伝馬町の牢獄に捕らえられ、のちに萩の野山獄に入れられた。

その後は実家である杉家旧宅で預かりの身となった。この部屋は、松陰が謹慎生活を送った


幽囚室である。




花月楼

萩藩7代藩主 毛利重就(しげたか)公が、安永5年(1776)に三田尻(防府市)の


別邸宅に建築したものを昭和34年(1959)にここに移築された。








吉田松陰歴史館





吉田松陰



幕末動乱の時代に生を受け、「至誠」を貫き通し、勇敢に行動した吉田松陰。

松下村塾で多くの志士を育て、松陰は29歳という若さで亡くなるが、

その“志”は塾生たちに受け継がれ、明治維新の原動力となった。

 

「至誠而不動者未之有也」

(至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり)

解釈は

こちらがこの上もない誠の心を尽くしても、感動しなかったという人にはいまだあったためしがない。

誠を尽くせば、人は必ず心動かされるということ。

吉田松陰とは


ご朱印


道の駅 センザキッチン 山口県長門市仙崎

 

「センザキッチン」は、仙崎の海辺にあります。長門の豊かな食材と、

長門の楽しい情報と、長門の充実した遊びを調理し、みなさまに振る舞う所です








昼ごはん  イカのづけ丼と寿し盛り合わせ



今夜は温泉も前日と同じ黄波戸温泉交流センター。

お泊りもこちら

4/15

角島大橋   下関市豊北町角島田ノ尻


山口県の本州と角島(つのしま)を結ぶ全長1,780mの角島大橋は、平成12(2000)年に開通。

通行無料の橋としては国内屈指の長さを誇る。橋の通行は徒歩や自転車でも可能で、

車だと3分ほどで角島まで渡ることができる。












海に沈む太陽    下関市豊北町土井ヶ浜










あ!太陽が海に沈むよ~。

こんなタイミングで絶好のビューはめったにありません。

 

「沈むなよ」と願いつつ、写真を撮れるところで停車。


しばらく自然の美しさを堪能しました。

沈む太陽





山口県で御朱印を頂く「元乃隅神社・松陰神社」パート1

2021年04月18日 | 旅行

山口にちょいと行ってきました。

13日夜出発のはずが、お昼前になりました。

まずは元乃隅神社へ向かいます。

一度行ったのですがご朱印を頂いてないので再度!!!

元乃隅神社 山口市油谷津黄

元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)は、山口県長門市油谷津黄にある神社。旧称は元乃隅稲成神社。

宗教法人やその他のいかなる法人でもなく個人の所有物である。そのため、

神社本庁・山口県神社庁には所属していない。



雄大な自然をばっくに123基の鳥居が並ぶ。

メリカのニュース専門放送局・CNNが2015年(平成27年)3月に発表した

「Japan's 31 most beautiful places」(日本の最も美しい場所31選)の一つとして選ばれた。

神社への公共交通機関はありません。













大鳥居の日本一入れづらい賽銭箱

高さ6メートルの大鳥居は「日本一入れにくいお賽銭箱」投げ入れることが出来たら

願いが叶うと言われている。







ご朱印



千畳敷高原キャンプ場   長門市日置中

標高333m、日本海の大パノラマが楽しめる高原に位置し、緑の芝と海の青のコントラストが美しいキャンプ場 





温泉でくつろぎます

黄波戸温泉交流センター 
 長門市日置上

深川湾を望み青海島が一望できる高台にあり、露天風呂では日本海を眺めながらゆっくりとくつろげます。





今夜はここで車泊します。 寒い~

道の駅・ゆとりパークたまがわ 
萩市大字下田万

山口県の最北端に位置し、国道191号線沿いにあり北は日本海、東は島根県益田市に接し、

自然がとても美しい地域。
 

画像はHPからお借りしました。

明日は松陰神社に向います。  パート2に続く。

 

 


天草崎津三宗教ご朱印が届きました。

2021年04月17日 | 御朱印

「天草崎津三宗教ご朱印」が届きました。

2018年に世界遺産登録された潜伏キリシタン関連遺産である熊本県天草市の崎津集落では、

神社と寺にキリスト教会も加えた3宗教施設の御朱印集めができる。

この﨑津集落にある

ゴシック様式の教会でキリスト教の「カトリック﨑津教会」

350年以上の歴史ある神道の「﨑津諏訪神社」

仏教の「曹洞宗の普應軒」


この3ヵ所を巡って参拝した証として、「三宗教 御朱印」を頂くことが出来るんです。

 

キリスト教に御朱印を授ける習慣はなく、カトリック中央協議会によると「類を見ない取り組み」だそう。

コロナの感染防止のため郵送のみでした。(このご朱印配布は2021/3/31で終了しています)





壮絶な歴史を乗り越えて、宗教を超えて命を守り抜いた天草の人々の優しさが

幕末に5,000人ものキリシタンが潜伏出来た理由で2018年6月ユネスコは、

天草と長崎の潜伏キリシタンの歴史を世界文化遺産に認定しました。

その「世界文化遺産登録を記念」して形に表したのが崎津三宗教のご朱印です。

天草崎津集落

御朱印帳(素晴らしい装丁のご朱印帳です)



仏教 「曹洞宗 普應軒」



神道 「カトリック崎津教会」



神道 「崎津諏訪神社」

天草のさる会 崎津御朱印所事務局さま、素敵なご朱印ありがとうございました。


2021/4/8地元で御朱印を頂くパート22 糟屋郡宇美町・宇美八幡宮

2021年04月13日 | 御朱印

糟屋郡宇美町の「宇美八幡宮」にご参拝。

宇美八幡宮 糟屋郡宇美町

宇美八幡宮は、神功皇后が応神天皇を出産したといわれる地で、敏達天皇の時代(572年~586年)に

創建されたといわれています。境内には助産師の始祖が祭られている「湯方社」、

応神天皇の産湯に使ったとされる「産湯の水」、神功皇后が出産された際につかまったとされる

「子安の木」など安産に関する言い伝えが数多く残っており、多くの方が安産祈願に訪れています。

産み→宇美ですね。

















今日、戌の日でした。

















夫婦の木





神楽殿



子安の石

境内末社「湯方社」を囲むように、玉垣を築きこぶし位の石が山ほど積まれています。

安産祈願を終えた妊婦が“お産の鎮め”として此処の石を預かって持ち帰り、

目出度くご出産の暁には、別の新しい石にお子様の名前等を記して健やかなる成長を願い、

安産御礼(初宮詣)の御祈願にてお祓いの後に、預かった石と一緒お納めするのが慣しとなっています。

この「子安の石」の信仰はいつ頃始まったかは定かではありませんが、「筑前國続風土記」には記されております。













ご朱印  左側は書置き、右がご朱印帳に書いて頂きました。