続き
道が少し狭まった所で格好の石を見つけ4度目の休憩。X氏が追いついて「富士山が見えましたよ」と言った。慌てて見回したが緩い起伏を巻いてしまった場所からは見る事が出来ない。さぁ、最後のひと踏ん張り気合を入れて山頂めがけた。が、山頂と期待して登り上げればその先には又も同じ景色が・・・
やがて登山道は次第に右に巻きながら東前掛山との鞍部に差し掛かった。その時だ!奥秩父の山並みの上に富士山。青紫の美しい姿だった。そしていよいよと思いきや・・・しかし又も騙しの頂。さすが浅間山、幾ら歩いても頂上は遠い。この先、道は一変して岩石が点在する中をジグザグに登り上げて行く。上の方に白い物を見つけた。今度こそ山頂で有る事を確信した。最後の詰めはX氏が先行。ダブルストックを駆使してグイグイ登りあげやがて姿が見えなくなった。恐るべきラストスタート。
X氏が山頂近くの観測計の近くの窪みに腰を下ろして「もう直ぐですよ」と手を振っている。標高差1163メートルを頑張りぬいて漸くたどり着いた浅間山頂。中々踏ん切りがつかなかった私にとって満足感は何時もと違った感激が有った。ザックを投げ捨てる様にして窯へ駆け上る。
足元から切れ落ちた赤茶色、黄色の複雑な縞模様の火口絶壁、優美な山容でしか知らない浅間山が今、恐るべき姿で私達を迎えた。周囲を見渡せば妙高、戸隠から北アルプス、中央アルプス、八ヶ岳の後ろに南アルプス、富士山、西・東上州の山々、日光連山、上越国境の山並みと大スターが勢揃いである。とりわけ嬉しかったのは今年の夏、縦走を果たした鹿島槍~針の木のスカイラインが手に取る様に見えた事だ。その後ろに控える剱のギザギザした岩や三の窓までハッキリ見えるではないか。足元の凄惨な景観と天下一品と言っても良い程の展望との対比はさながら天国と地獄の絵図そのものであり登山禁止を無視しても、なお登りたいと思う登山者の気持ちが此処に来て頷けた。
山頂は物凄い風だった。四囲の大観に見とれている内、一気に体温を奪われ足がガクガクしてきた。昼食後、セーターと防寒具を着込み黒々とした溶岩ドームの荒々しい壁を見ながら火口の周りを半周。今まで見えなかった前掛山の旧火口壁も凄い形相だ。
右回りに進むと黒斑山からJバンドの稜線が見えて来た。双眼鏡で覗くと狭い山頂は登山者でいっぱい。ここも思い出の場所である。
山頂から少し下った岩石の脇にケルンがあり最近、手向けられたとみられる二束の花が置かれている。今朝、登る途中の砂礫道でも同じような花を見た。これは今年の春、動けなくなった登山者を岩陰に残し助けを求めに下山した仲間も力尽きて動けなくなり凍死した悲しい遭難の跡である。今日、前になり後になり一緒に登ったX氏がお弁当を食べている時に「4人とも同業者で組合が一緒だった」と話していた。
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(下山開始)再び砂礫に転じた道を下った。滑りやすく足に負担が掛かって辛かった。ゆっくり下ろうと言いながらも傾斜のきついザレ道は自然に小走りになってしまう。もう靴もズボンももとに色を留めていない。
前方の波のうねりの様な曲線を描く溶岩台地には草紅葉が幾重にも縞の模様を浮かびあがらせ不思議な世界だ。下から見上げた景色と見下ろした景色は印象が大きく違う。私達はその景観に足を止めると、そのまま腰を下ろした。明日から天候が崩れるのか雲が馬返しの辺りを包み込もうとしている。日光方面の山々も、もはや姿を消してしまった。
下って下って飽きるほど下って漸く樹林帯を抜け馬返しに着いた。もう急な下りは終わった。靴を脱ぎ石の上に座り込んで思い切り休んだ。先週の小浅間の帰り「もう少し経てば真っ赤になる」と娘に説明したマムシグサは見事なまでに赤く色づいていた。そして今朝、ポーチを忘れ責められ頭が締め付けられて気がつかなかった数本の紅葉が午後の陽を浴びて眩しく輝いていた。
コロナ禍でなければ「ママンジュン、山に連れてって!」とメールが入るところですが最近は「コロナに気を付けてね」に変わりました。
ミウルさん、ばぁばに見えないなんて。どうしましょう。嬉しいです~~~。有難う有難う有難うございます~。
浅間山、お一人で登られたのですね。車坂峠から外輪山を経て湯の平に降り浅間山頂を制覇でしたか。
峰の茶屋から登るよりズッと過酷な登山ですよね。その上火口も廻られたなんて凄すぎです!
私は3分の1くらい歩いただけで引き返しました。
焼岳は私も登りました。音を立てて吹き上げる噴煙の脇を通った時には正に生きているを実感させられましたよね。
活火山と言えば北海道の雌阿寒岳も忘れられない山です。
たかさんの子と思っていたら、黄色のヤッケのママさんらしき女性と3人の写真………お孫さんと判明。
しかし、ママさんがいないと、お世辞ではなく、たかさんバアバ^_^、とは見えません。
浅間山は単独行、1993年10月10日に登頂しており、ルートは、車坂峠からトーミの頭、黒斑、蛇骨、仙人、鋸と外輪山を縦走、jバンドを往復、三ツ石に下り、登山道でない溶岩流の谷状縦溝を急登、登山道に合流し登頂、火口を周回、直径500mほどの不気味な爆裂火口は、所々噴煙が上がり、運を天に任せる気持でした。登山者は峰の茶屋から、集団が多いと記されていました。富士山同様、岩礫地には植生はほぼなく、荒涼とした風景に、活火山であるという印象が強烈でした。帰路は登山道を下り、冥土の途中を思わせる賽の河原から湯ノ平高原、草すべりの急登を喘ぎながらトーミの頭、往路の北の登山道を車坂峠に。
当時は、火口から2km以内は立入禁止、登山は自由意志、とされていたので、自己責任で登頂できました。現在は、警戒レベル2(火口周辺規制)が、8月7日から1(活火山に留意すること)に下がり、前掛山まで登頂可になっています。浅間山は、気象庁の常時観測火山47の一つで、数年前、多数の犠牲者をもたらした木曽御嶽山の大噴火の不安から、レベル1でも、今は躊躇しますね。焼岳や樽前山に登頂した時、激しい噴煙や蒸気に圧倒され、早々に下山したことを思い出しました。榛名、赤城も活火山ですが、上記47山リスト外です。
たかさんの思い出山行から、自分の記録を再度見直す機会を、またまた頂き感謝しています。
今回、我山行記録(新聞)を読んで、南西の浅間山荘経由ルート(朧げでいい加減な記憶)、ではないと判明、28年前の記憶がいかに曖昧模糊なものか痛感しました。
Kちゃん24歳、さぞや見目麗しい山ガールに成長されたことでしょう。「山渓」の山行読者モデルに応募されたらと思います。
その時に必ず浅間山に登っている豆粒のように小さい登山者を何時も羨ましく思いながら眺めておりました。
まさか登れる日が来ようとは・・・
今まで登った山の中でどの山が心に残っていますか?と聞かれたら迷わず「浅間山」と応えるでしょうね。
X氏が使っていたWストックは私の様に木の枝では無く立派な金属製でしたよ。
そんな後姿をカメラに収めておけば良かったですが何しろお財布とフィルムを忘れた大ばか者ですから枚数が限られていて。
今の様にデジタルカメラでしたら撮り放題でしたのにね。
色々と褒めて下さって有難うございます。
あの当時は私もかなり気張っていたのですね。ちょっと照れます。
>格好の石を見つけ
腰掛か(笑)
>・・・その先には又も同じ景色が・・・
そうそう!
>次第に右に巻きながら東前掛山との鞍部に差し掛かった
この表現、登山のガイドさんみたいです。
>ダブルストックを
これって枝ですか?金属製ですか?(笑)
>窯へ駆け上る
この「窯」って火口のことですか?
>周囲を見渡せば妙高、戸隠から北アルプス、中央アルプス、八ヶ岳の後ろに南アルプス、富士山、西・東上州の山々、日光連山、上越国境の山並みと大スターが勢揃い
こんな場所に立ってみたいものです!
>・・・展望との対比はさながら天国と地獄の絵図
ひゃー、文学的ですね
えっ、登山禁止?(汗)
>手向けられたとみられる二束の花が置かれている
山の神は厳しいものです。
>もう靴もズボンももとに色を留めていない
これほどの語彙も持ち主を存じあげません。
いやー、締めの言葉も素敵です。
有難うございました。
bunbunさんも富士山は見る山なのですね。私と考えが一緒の様ですね。
浅間山は周辺では一番の高山で有り独立峰ですので私の住んで居る場所どこからも眺める事が出来ます。
ですので山頂からの四囲の眺めは素晴らしかったですね。
あの時は景色に変化の無い急坂を、とにかく登りたい一心で登ってしまいましたが後から標高差を知って自分でも驚いたものでした。
無鉄砲な所が私に似たのか孫達も岩登りが大好きです。「三点指示・三点指示」と私の方がヒヤヒヤするくらい。
大山は登りたいと思いながら距離的に遠く遂に登らずじまいの山になってしまいました。
大人だって音を上げる山を六合目までとは言え3歳で良く頑張りましたねぇ。
今はどうしているのかなぁ
結構、岩登りも好きですし初めて雪山に連れて行った時には大興奮しておりました。
浅間山は歩いても歩いても景色に変化が無く、きっと富士山もこんななんだろうと思いながらザレた急坂を一歩一歩、歩を進めるだけでした。
でも、郷土の山ですし、ずっと登りたいと思っていた山でしたので、どんなに辛くても諦める気持ちは起きませんでしたね。
現在、噴煙を上げているのは本峰(写真)の火口、一ヶ所だけです。
多分、Kもこのブログを懐かしんで観ている事でしょう。何時でしたか「何か覚えている事ある?」と聞きましたら「ネズミを雄爺がつかまえた事を覚えてる」と言っておりました。山の事は忘れても“不思議な生き物”と深く印象に残ったのでしょう。
浅間山は規制が解かれることが無く何時も眺めているだけでしたが外輪山を登った時に数名の登山者の姿を見た時から、もう我慢できなくなってしまいました。幾分、規制が緩くなった時を見計らって登って参りましたが、あの時 登らなかったら次のチャンスは無かったでしょうね。
群馬県側からの登攀は一言で言うと富士登山と一緒かもしれません。殺伐としておりました。
近くの街からも火口は見えませんので飽くまで優美な姿で望めます。
コロナが治まりましたら是非ご家族でお出で下さい。
特異な山容の妙義山と共に一見の価値はあると思いますよ。
浅間山の麓にある「鬼押し出し」や「火山博物館」も楽しいですしね。
ハル君が大喜びする事、間違いなしです。
前掛山(2524m)は現在、規制が解かれはしましたが警戒レベルも年中、変わっておりますし山頂へのバリケードは相変わらず設置されたまま。火山という危険で有る他に湯の平(長野側)からは400mの急坂、強風という別の意味で厳しい登攀を要求されますから、どちら側から登っても一筋縄ではいかない浅間山です。
ヨーロッパアルプスの記事、毎回楽しんでおりますよ♪。 最初の山旅ではフランス側に2泊だけでしたが次の山旅ではイタリアのアオスタに一週間滞在しましたので土地の山と共に十分、楽しむ事が出来ました。そんな事で懐かしみながら拝見させて頂いております。
akiraさん、私も同じ、山が遠くなっております。
山頂からの大パノラマは何よりのご褒美でしたね。
しかし、標高差1163㍍を日帰り登山されるのは大変でしたでしょう。
プロフィールに「お孫さんと妙義山に・・・」とあったので、小学生なのに険しい山へ登ったんだなぁ~と、勝手に思い込んでいました。
私達も姪の次女(当時3歳)達と鳥取県の大山に登りましたが、6合目の避難小屋まででリタイヤ。
またリベンジしようね・・・と言いつつも、願い通りには至らず、25歳に。
Kさんは素敵なお二人のご指導の賜ですね。
今はこんな時代ですから一緒に山登りも出来なくなっておりますが、でも三世代で登った思い出は数えきれません。
浅間山荘事件はテレビの前から離れられない衝撃的な事件でした。(直前、榛名山にもアジトが置かれていた事が有ったのですよ)
結局あれは何だったのでしょうね!
純粋な学生運動から徐々に判断力も正常で無くなり悍ましいリンチ殺人にまで発展してしまいました。
生真面目すぎて何処かで歯車が狂ってしまったとしか言いようが有りません。
当の学生にも判らないまま結末を迎えてしまった様な気もしますね。
峰の茶屋側(群馬県側)ですと、この様に火口まで行けますが長野県側からは前掛山までが限度、バリケードが張られていますのでその先に行く事が出来なくなっております。もしかすると今はもっと厳しくなっているかもしれないですね。
Kが飛びまわっていたのは山頂だけでしたので何も覚えていないだろう思っておりましたら高校時代でしたか
「雄爺が捕まえたネズミ(タカネアカネズミ)は覚えてるよ」と言ったのには驚きでした。
そうですか、私に似てますか! さっそく話してあげなくては。苦笑されたらどうしよう(笑)
kちゃん、愛らしいです。
もう、山デビューですか。
一緒に山歩きできる日も、すぐ来ることでしょう。
浅間山は、頂上までは結構きつそうですね。
いつも下から眺めて満足していましたが、噴火口は凄い迫力で、今まで写真でも見たことがありませんでした。
現在、噴煙を上げている場所は別にあるんですか。
(ぐもんかな?)
Kちゃん可愛いですね
たかさんが描かれた絵も素敵です
今では立派な山ガールになられたんですね
小さい時から山に
自然に慣れ親しんでこられたのですね
浅間山からの景色も素晴らしく人気の山のようですが
騙しの頂上が何度も現れたり山の恐さが伝わってきました💦
本当にお疲れさまでした
浅間山に富士山。
行ったことないんです😊
一度は家族で行ってみたいな。
たかさんブログで
より行きたくなります☺️
テル
浅間山火口が大きく断崖絶壁の様で迫力がありますね!
実際に見てみたいです、良い時期に登山され今は黒斑山までしか行かれません
展望もよく北アルプス、上州の山も眺められ山に登った甲斐がありますね!
山をやってた人は夏はアルプス登山で、近場の山は暑くて登られません
山はだんだんと遠くなりました
楽しい登山ありがとうございます。
Kちゃん2歳で山デビュー 早い
背負って山登れる体力も見事
今では山ガールですか 3世代一緒に登れるなんて凄い事ですね
浅間山って名前はよく聞きますが実際に走らない
浅間山山荘事件だけが頭の中に強烈に残ってます
浅間山は登山禁止だとばかり思っていたのですが、
当時はこうして、火口が覗けるようなところまで行けたのですね。
Kちゃんは、わずか2歳にして山ガールデビユーとは素晴らしいですね。
きっとおんぶされている時の方が多かったのでしょうが、
浅間山の風景は脳裏に焼きついたことでしょう。
おばあちゃんに顔立ちがそっくりですね。
小さい時から美人顔ですから、今じゃいい娘さんになっておられることでしょうね。