続き
6時50分、東京の街の上から一日の始まりを告げる太陽が登った。雪を付けたコメツガ木立が白く輝く。冷気が鋭く肌を刺す。小屋のスタッフは撮影ポイントを名ガイド宜しくサービスを忘れない。(白く舞っているのは雪)
7時35分、小屋にザックを預け空身で山頂に向かった。一気に登り詰めた山頂は風も無く暖かで既に十数人の登山者が360度の展望を楽しんでいた。日本一の美形を見せる富士山や悠然たる南アルプスは然る事ながら私達を釘付けにしたのはランドマークタワーの右に広がる太平洋だった。周辺の裸木には霧氷、そして天空からは氷の結晶がキラキラ輝きながら、ゆっくりと大気の中を舞い何だか舞台の裏方さんがどこかで忙しく動き回っているのではないかと思える演出がそこには有った。
立ち去り難いが、そうゆっくりもしていられず後から登って来た宮城県のTさんと焼石岳登山を約束して山頂を後にした。
再び小屋に戻り暖をとらせて貰った。「あの人が息子さん?」と聞くと「聞いてみて下さい。どちらが嫌な顔をするか、多分両方とも嫌な顔をするだろうな」とスタッフ。そんな事を言われているとも知らず幹部三人、食堂で打ち合わせの最中だった。9時10分、お礼を言っていよいよ下山。
この時刻にもう雲取山荘に到着した人が居たので「何時に出られたのですか?」と聞いてみると「そこの雲取ヒュッテに泊りました」と言っていた。年末年始の繁忙期、雲取山荘に収容しきれないと、ヒュッテの方に案内されるらしい。 帰りがけヒュッテを覗いてみると一瞬、躊躇うほど荒廃しており寒さに震えてマンジリともしないで過ごした姿が想像された。この時期、雲取山登山も小屋で明暗が分れそうである。
私達はヒュッテから女坂に戻り2Kを30分のハイペースで昨日、歩いた道を戻った。今日は風が無く穏やかで日溜り等はポカポカと気持ちが良いが樹林帯に入るとかなり冷え歩いていると鼻の先が冷たく、その冷たさが痛みに変わる。
芋ノ木ドッケの手前の崩壊地でもダイヤモンドダストを見た。ふとシザーハンドの1シーンを思い起こさす光景だった。
昨日、昼食休憩した白石小屋を通ると、あの小屋主が背中を丸めて炬燵に当たっていた。それでも昨夜は客を迎え入れた小屋だ。「良かったね」という思いで通り過ぎようとした時、小屋の裏手に展望台が在る事に気付きここで休憩を取る事にした。
こういう所に住んでいると人間は動物的感が鋭くなるのか私達とちょうど登って来た登山者の気配を察知した小屋主が炬燵から出て来た。「昨日はお世話になりました」と言うと思い出したらしく「ミカンを有難うございました」と礼の言葉が返った。 そして「正面に見えるどっしりと風格ある山が和名倉山、奥に両神山…」等々山名を丁寧に教えて下さった。
なによ!けっこう人懐こい小屋主さんだったんじゃない・・・何だかホッとした思いを胸に私達は別れを告げた。
前白岩の下りで膝に違和感を覚えた。どうも冷えからきた痛みの様だ。雄さんも「心配するといけないからと黙っていたが俺も白馬の時の痛みが少し出てきている様なんだ、登りより下りが辛い」と言った。 それでもユックリより早足で下ってしまう方がいいと言うので露岩の長い急坂をひたすら早足で下り次第に汗ばんで上衣を脱ぎたくなったころ霧藻ヶ峰に着いた。
残り物はミニカップラーメンとゆでたまご2個。昼食にはチョット寂しいが、あと1時間も下れば長かった山行も終わる。冷えすぎて火力が無くなったガスボンベを手で温めながらだったのでラーメンと紅茶に有りつけるまで30分も掛かってしまったが侘しくも何とか体も温まり味も先ず先ず
霧藻ヶ峰からはノンストップで駐車場まで。 2日間かけて歩いた21・4キロを眺めながら雄さんが「この山で学ぶものは多かった」としみじみ語る。
後日、宮城のTさんから嬉しい便りが届いた