『 ミツマタの花 』 森川 雅昭さん 撮影
新聞記事の受け売りだが、このミツマタというのは
ジンチョウゲ科の低木で3本に分かれて枝を伸ばす
事からのネーミングだそうだ。淡い黄色な可憐な花で
甘い香りが特長。栃木の焼森山にその群生地があって
杉林の根本で、木もれ日に光り見事な一面の幻想的な
光景だという。
とうとう4月だ。ぶつぶつ言っているうちに寒い冬も過ぎてしまった。
全く早いものだ。暖かい明るく希望の春だ!と言いたいところだが、
善良で常識あってと言う普通の人にとっては、何もない、何も出来ない
厳しい春だ。
先日の土曜の人出をTVで見ていたら『こりゃー駄目だ』と思わず声が出て
いた。何という人出なのだ。人混みだけでなく食べ歩き、大声,馬鹿笑い、
はしゃぎ、大勢でたむろして騒いでいる。
何というミーちゃんハーちゃんなのだ。日本人よ、若人よ、そして時には
じいさんばあさん迄も、しっかりしてくれと言いたくなる。
そのコメントを聞くと余計がっくりしてしまうが、こんなのが多い。
「解除されたから遊びたくて」「今まで我慢していたから」「家にばかりいたから」
「去年は花見も旅行もしなかったから」「人が皆行っているから」と、大体こんな
感じに集約される。
私のような出不精には理解しがたいが、人とはこんなにも出掛けたいものなのか。
人が出掛けるから自分も出掛けなきゃと言う心理が働くのだろうか。
落語の枕言葉じゃないけれど、「そんなに家にいたくない事情があるのか、
家がよほど詰まらないのか」とも言いたくなる。
何も旅に出なくても我々の人生そのものが旅みたいなものではないのか。
情報時代で、TV等で即時に目黒川、大岡川、上野、隅田川の花見光景を
どんどん流すから、人によっては自分も行かなきゃと、焦り、慌てて出掛ける
人も多いのかも知れない。あまり情報を伝えるのも人々を煽ってしまう様だ。
こういう時期だからこそ、自分というものを,つまらないかも知れないが
しっかり持たなくてはならないのだろう。
情報時代も程々考えないと、1億総00時代なんて昔の様な事になりかねない。