まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

6月 1日(金) 「もう年だから‥」はタブー!

2018-06-01 11:52:44 | Weblog



 『 薔薇 』  井波さん 撮影

体調を崩していたら、もう今年の半分が過ぎてしまったというのが実感で、これは何とも情けなく
面白くもないことだ。しかし焦らずのんびりと今年の残り半分を過ごしていこうと思う。

今日は変則曜日の定例練習で、私にとっては復活の2回目の予定なのだが、昨日は東京の病院で
眼の注射を受けてきたので、3日間は入浴、酒、運動,力むこと,重い物を持つなどということを
特に禁止されているので、残念ながら今日は休んだ。

さて、最近特に思うのだが足腰が多少不自由になっても一寸した体調不良であっても、幾つになっても
人と対等にしかも楽しくやれる方法、年寄りピンポンのノウハウがないものかということである。

そこで私は体力や足の衰えのカバーや転倒ケガ防止を狙って、苦肉の策だが、台の10㎝位に近づいて
立って(昔は台から大きく離れてロングのラリーを楽しんでいたが)、どんな強い速い球が来ても絶対
下がらぬという覚悟で、その場でその位置で対処対応することを意識してやる事を目指している。

たまたまそれは近代卓球の潮流の様だが、特に日本の若手選手には前陣速攻、高速卓球で、フリック、
チキータ等の、台上の技で攻撃するというスタイルが流行だ。
それと似た感じになってしまうが、私なりに苦肉の策で台上処理の前陣速攻まがいなのである。
つまりあまり動かず、勘を最大に駆使してボールの上がり際を打つという台上の勝負であり、これが年寄り
向きのピンポンだと信じている。
これを自分なりにマスターし、年は取っても上手な人や若い人とも互角に出来るマスターズピンポンを
確立させようなんて大それたことを目論んでいる。

このスタイルは、特に相手の球が早く来るのでとても苦労する。球が来るまでの時間が短いので、気が付くと
2歩も3歩も後ずさりしているのである。反射神経、瞬発力は明らかに衰えているのだから、速い球に対応
できないのである。これはやはり動体視力、反射神経の衰えを感じる。これは「年のせい」だから仕方ない
のだろうか。すると私は間違った方向、方法をやろうとしているのかもと言う心配も覚える。

最近では体の衰えによる何かと不便や不都合を体験している。その所為か何なのか、気持ちの方もいまいちだ。
何も出来ない、何もしたくもないという状態や気分になることが度々である。
何故、体調が悪いのか、肉体のあちこちが痛かったり不便なのか、今まで出来たことがどうして出来ないのか、
そうしてどうして何事も前ほど面白くないのか、人の名を忘れたり、何事にも感動や喜びが薄れたのだろうか等
を思うと悔しい。

そうした時に『 もう年だから! 』という黄金の言葉が出てきて、だから当たり前かと自分に対しての充分な
言い訳や慰めになって、ちょっぴり気が軽くなったりするのである。

自分の行動、思考、感情等の様々な機能や器官の衰えは、全くその「もう年だから…」ということで説明が付くし、
生きている人間としての生物学的な納得も得られるのである。

しかし精神的な面を中心に考えるとどうもいまいち十分な証明がなされないようだ。人間の脳は各器官の中で
最もたくましく、最も老化という現象に対して強いものだそうだ。もちろん老化による減退劣化はあるが、
それが進行しても他の器官と比べてかなりの部分が残るというし、その部分を使えば使うほど、刺激をするほど
活発に働いて呉れるそうだ。

体力維持にも痴呆防止にも意欲維持にも出来るだけ脳を使えという。使うこととは刺激をすることで、刺激を
すると脳の血流が良くなり、残った脳細胞が元気に長持ちするし、そのうえ同時に増殖すらすると云うのだから
驚く程の人間の神秘さだ。

そうだとすると、では脳を使うとはどうすれば良いのかという問題が残る。
これは老人心理学の教科書によると、決して特別なことではない。
難しいことを考えたり、固い本を読んだり、物理、数学の難問を解くことでも、哲学でも何でもないそうだ。
それは普段通りの日常の生活を意識的に極力維持継続をさせることだそうだ。

趣味の活動、スポーツクラブ、散歩、唄、読書会、美味探訪、そして今風ならばPCやスマートフォンの駆使、
SNSなどもあり、特に対人接触、会話は必須で、そうしたいつもの日常の事を維持することとある。

ともすると、肉体的、体力的ハンディや意欲の減退という年を取れば仕方がないのだよという、「老人の敵」
ともいうべき魔女の甘い誘惑の言葉に負けて、妥協したり直ぐに撤退したりしないことだという。
つまりそうした撤退や諦めてしまう人の決まり文句が「もう年だから!」だそうだ。

これは決して言ってはならないことだという。「70,80代でそんなことを言うのは何と、
おこがましいのだ! 
それを言っても許せるのは90代になってからだ」そうだ。とすると私など全く恥ずかしいものだ。
既にもう何回、「年だからなぁ」と嘆いたことか…  大反省だ!