まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

12月24日(火) 今年のさよならピンポン!

2012-12-24 14:37:32 | Weblog

とうとう今年の最後,打ち納めのピンポンの日だった。それを祝って呉れるかの様に、
寒いけれども良い天気だった。
10人で打ち止めのプレーをする。皆さん心持ち慎重にそして感触とラリーの快音を
楽しむように打ち合っていたようだ。
正月14日が初打ちだから丁度20日間もラケットを持たなくなるわけだ。
こんなに空くのも最近ではあまりない事だ。

思えばあっという間の1年だった。毎週火曜に練習していて、ついこの間はタヒチ料理の
「ボラボラ」で先生のレッスン時のビデオを見ながらの新年会、次には魚料理の「魚心亭」
で青鳩の10周年の記念パーティをやり、そのほかに1~2回の個人レッスンをそれぞれ
して貰った。先日は藤沢まで遠征して練習試合などもやった。
一般卓球開放のお世話も12回やった。そんなことをしているうちにあっという間に
終わってしまったという感じである。

入院手術や治療をした方が何人か居たが、幸いに早々にカムバックしたし、辞めた人も一人
もなく、けが人もなく、どうやら無事に今年の青鳩も年を越し、新年の初打ち迄、ゆっくりと
温かく巣籠もりが出来そうだ。

ピンポンの神に、今年の青鳩の無事を感謝し、来年も青鳩にとって、皆さんが元気で楽しく
健康な良い年でありますようにと、左手には軽く一杯のグラスを持って、右手では今この
日記ブログのキーを叩きながらも祈っている。

ピンポン愛好の皆様、このブログを時々読んで下さる方々、そして知人友人の皆々様方が
良いお年を迎えられますことを心からお祈り申し上げます。

 では又来年、お世話になります。新年の14日にはお会いしましょう。
 どうぞお体には十分の注意をされお元気で良いお正月をお迎えそしてお過ごし下さい。
              
                               ピンポンのまこちゃん。

12月18日(火) ピンポン合同練習遠征記!

2012-12-18 14:26:53 | Weblog

 いよいよ押しせまって何となく慌ただしい気がするが(とは言っても私にはいつもと何の違いも
変化もないのだけれど)、今日は12人もの参加だった。
寒いのに汗をかけるのは気持ちの良いことだし、何だかそれだけで少しは健康になったような気が
するものだ。今年のピンポンもあと1回だけになった。

ところで先々週の5日には、藤沢の藤球会という卓球グループとの合同練習に向こうのホームグランド
へ遠征した。同グループとは2回目になる。あちらさんは7人のメンバーと先生とで全員女性ばかりだった。
こちら青鳩からは、選りすぐった精鋭ばかりの9人だった(最もほぼ全員だけれども)。

会場は公民館の分館だというが、沢山ある台から4台を並べて、フローリングも上等だ。更衣室やシャワーも
ある。我が方の公民館とはえらい違いだ。藤沢と茅ヶ崎市の財政事情の違いだろうか、市政の違いだろうか。

藤球会さんは13人位の女性グループでもう20年になるという。今は毎週(月に4回)水曜にいつも先生の
レッスン付きで練習しているそうだ。
我々も毎週ではあるが、先生のレッスンは年にほんの2~3回だから大きな違いがある。

それだけにさすがになかなかの腕前だった。我々と一番違うところはサービスだろうか。それにしてもとにかく
皆さんお元気で、賑やかで、前回などは驚くというかすっかり圧倒されたものだった。

そこで今回、我々は皆がユニフォーム姿で行けば(それを揃って着ていると、不思議なもので我々でも何倍も
上手に見えるから)、優位に先手を打って賑やかなあの元気さにも負けないぞ!と計画したのだが、
何とあちらも、この日のために急遽ユニフォームを誂えてこの日が着始めだそうで、全員がお揃いで我々より
さらに上手そうに見えてしまった。

彼女達とジャンケンでパートーナーを決めミックスダブルス戦を6~7試合も楽しく賑やかにやった。
ラリーはともかく、サービスはあちらの方が一枚上手のようだ。当然ながら全員が、曲のある球で短いのや
コーナーぎりぎりの辺りへ出してきた。
これは先生の教えを皆さんがよく実践している証しだろう。青鳩メンバーは、きっと人が良く素直な勢なのだろうが、
曲玉や難球を未だあまり出せないでいる。

それにしても、先生のいる組と当たると、先生の何時にない本気な打球に一歩も動けず手も足も全く出ないのに
唖然としてしまう。青鳩に見えた時は、私などには,そのレベルや体力に合わせてかなり手加減して頂いている
のだろうが、改めて試合となると凄いものだと驚く。全く上には上があるものだ。
これだと実業団とか県大会クラスの現役選手の力は如何ばかりかと気が遠くなる様だ。
TVなどで見ているだけだと、それほどだとは一寸ピンと来ないし、実感がないからだろうが、1度はそんな人の
球を受けてみたい、打ってみたいなんて思ったりもする。
TVで見るだけだと、そのスポーツの本当の物凄さ、難しさが分からないから、得てしてそのファンは自分でも
出来るように錯覚するし、ミスした選手を遠慮なく批判や罵倒出来るのかも知れない。
まぁこれも見るだけスポーツの醍醐味の1つなのだろうけれど。

良い環境で、先生にキチンと教えを受けながら毎週お元気に楽しくやっている藤球会の皆さんに感謝し、良い刺激を
受けて帰ってきた。楽しくやることが何と言っても一番なのだと改めて思った。

こうして時には、日常と違った事をして、変わった刺激を受けるのは良いことだ。これからもそんな機会を見つけては
積極的に実現したいものだ。

ピンポンは相手が上級中級初級者とにかかわらず、それぞれのその球質、回転、コースといったものが一人一人違って
いるところが面白い。その都度、その球筋に慣れるのに数分掛かるのもこれまた面白いところだ。
だから時には、グループ内だけではなくいろいろな人やるのが極めて良い練習になるのだと言われるのだろう。

それにしてもピンポンとは、一見とても易しそうに見えるが、実はかなり奥が深く難しいものだとつくづく思う。
昔はいろいろなスポーツをやったが、今では運動と言えるのはこのピンポンだけになってしまった。
もともと軽く見ていたピンポンが、今や10年やって少しは分かってきた事なのだろうか、それは私にとっては
充分すぎるほど手強いものであり、それだけに幾らやってもやり甲斐があるものという感じを抱いている。


12月11日(火) ピンポンと老人

2012-12-11 18:04:05 | Weblog

 今年もあと20日となる。若い頃は1日がゆっくりと流れ、1ヵ月や1年がまどろっこしい程で早く大人になりたいと
思っていた様な記憶がある。
ところがどうだ! 今では咳をしたら1年、クッシャミをしたらもう1年、笑っていたら2年、一杯飲んでいたらもう3年
が経っていた…なんて感じで、時間の流れは新幹線の様だ。
今日は9人が参加する。こうして楽しくピンポンをやっていても時間というやつは人の気も知らないで非情にも、
いつものようにやけに早く流れていく。

この様に物理的には同じ長さの1日でも何故違うのかというと、1日と言ってもその人の今迄生きて来た日数或いは費やした
時間の累計の中での1日だから、それを分母としての分子の1日とすると、当然その質量や大きさは違う。
若い人の1日の方が実質的に何倍も大きく長いのである、と説明した人がいた。
 
例えば25分の1と75分の1では、同じ1でも大きさ質量は違うと言うわけだ。我々のこの感覚的な実感を、
数字で説明したところが面白い。だから老人の1日は早いのだそうだ。

ところで、自分を老人と胸を張って言い切るには、未だに未練がましく一寸した抵抗感があるが(気持ちだけでは)、
前期とか後期高齢者というのは長すぎるので、ここでは仮に我々を老人ということにしておこう。

老人にとっても、運動は健康保持とか増進に効果ありとは昔から言われてきたことだが、医学の進歩や人間工学とか
人体生理学の発展、肉体と精神との関連の研究がかなり進んだ今日(まだまだ未知や不明のところも多いそうではあるが)
老人と運動との良い関係は世間に深く浸透し、今や疑いのない常識になっている。
それが証拠のように、役所が主催する老人クラブ、悠々クラブ、お達者クラブといった類のものが全国津津浦々の自治体には
必ず存在している。加えて民間のサークル、スポーツジム等は都会の夜空の星の数ほどあるという。

市民マラソンなどは何十倍の抽選に当たるか、十万円も出すかでないと出場出来ないという有様だそうだ。町を歩けば
ウオーキングの人に、海に行けばジョギングやサイクリングの人にぶつかる位だ。
今や老いも若きも1億総スポーツマンの時代というのも日々実感している。これで国民が健康で明るく生き甲斐が持てて、
同時に国家としての医療費の激減になり、政治や経済への不満の減少或いはその矛先を交わすのに役立つならばまことに
ご同慶の至りである。

さて身近なピンポンに話を限ると、老人に良いと言われる数多のスポーツがある中で、新種のスポーツを含めても、
その上位にランクされていて、大いに見直されて来ているのが嬉しい。

卓球は15分続けるとウオーキングの1時間に相当する運動量である(卓球であってピンポンではないかも知れないが)事は、
スポーツ医学の本にもその検証結果として載っている。
我々のピンポンでも少なくてもその半分位の効果はあるだろうと信じている。

特にピンポンが(卓球ともいう)が見直され、注目されている利点、特長は幾つかがあげられる。
(1) 誰でも気楽に簡単に始められる。(生き甲斐、笑顔、社交性に)
(2) 勝負やゲーム感覚で、遊んでいるようで楽しくやれる。(うつ防止)
(3) 全身運動であること。(運動不足解消、血圧、血糖、肥満対策)
(4) 反射神経、平衡感覚、バランス感覚の維持。(転倒、事故防止)
(5) 神経の伝達機能、脳の活性化と維持。(ボケ防止、無気力対策)
(6) 足、腰、膝、肩に適度な刺激になる。(頭痛、肩こり、膝痛、腰痛対策)
(7) 動態視力の維持。(視力の維持、集中力の維持)
(8) ウオーキング類と違って一人では出来ないので、嫌でも人との接触、
     会話があり精神的な刺激がある。(心の開放、気配りで脳の活性化)
  
その他いろいろあるだろうが、何と言っても老人にとって一番良いことは、やりようによっては誰もがそれぞれ軽くも重くも
如何ようにも出来るということである。短い散歩程度から、ウオーキングの60分、ジョギングの30分程度と、自分の体調と
体力に合わせて、自由に楽しみながら出来ることが大きな利点であろう。
同時にリハビリとしても注目されて、飛んでくる球への反応は、それが早い遅いに関係なく、全身の神経や脳に、そして筋肉や
腱や骨に効果的な刺激になるという。
その効果が認められて、各種の施設でもどんどん取り入れられ始めている。

こんな素晴らしい、人とは仲良く体には優しく、楽しくやれるピンポンというスポーツを、もう少し年をとって本物の老人?になっても、大いに愛好していきたいものだ。

12月9日(日) ピンポン漬けのこの1週間

2012-12-09 19:43:00 | Weblog


早くも今年最後の自由練習日だった。天気はいいが風は冷たく、しかも12時からというとても
半端な時間だったがそれでも6人が参加する。
3台を使ってめいっぱい休みなしで、うっすらと汗をかくほどの練習が出来た。

来週も自由練習日の予定があったのだが、突然の衆院選で中止になって今日が最後となった。
定例練習の方はまだ11日、18日と24日と3回を残している。

昨日は(8日)朝から公民館の年末大掃除に出た。私は、毎年すっかりロビーや玄関の掃除
(床の掃き出し、モップ掛け、雑巾掛け、ガラスの空拭きといったところ)の担当係りの様で
もう何年も続いている。
我が家では、最近の私は大掃除の手伝いはほとんど出来ないから、一寸複雑な気持ちである。
これは利用サークルがボランティア的に館への協力として当然で、各サークルから1~2名が
出る事になっている。かなりの人数が集まるので短時間に一気にやってしまうのが気持ち良い。

大掃除のあと、年に4回の利用者懇談会、全体会議に出席。これにも5~60人が集まる。
来年度の役員選出〔各サークルから順番制で〕、館からの連絡(今回は、12月~来年3月までの
館の大規模改築〔外壁、屋根〕、公民館まつりへの協力依頼〔3月〕の話、説明、協力依頼等がある。

こうした館への協力の行事にはいつも出てこないサークルが多い。どんなサークルにも公平
、平等が原則だからこれらへの参加を強制も指示もできぬので、掲示板でお願いを書き出す位だそうだ。

そうしたサークルは「公民館とはただ場所を貸すところだろう、しかも無料で!」という認識で、
そんなレベルか或いは意識的にかも知れないが、とぼけていたり、面倒なことは知らぬ振りの
狡猾や鉄面皮のサークルは未だに多い。
公民館ではさぞ「館は決して単なる部屋貸し業ではない」と声を大にしたいところだろう。

社会教育法第20条に、「公民館は……」と明記されているように、他の公立の施設や建物とは
目的のニュアンスが一寸違うのである。一定地域の住民のための教育や文化、教養と健康の
増進、情操の純化を企てる事を目的とするとあるからである。
地域の課題解決や仲間作り、生活の広がりを持たせることを目的としている。このように
公民館は、地域に根ざした学習、文化活動、人の和を作る場だと言える。市の体育館とか
貸し会場施設とは一線を画するのである。

そこで館では、まずはあらゆる分野での主催事業を企画、実施し、参加して貰う事が第一となる。
次に、自主的なグループ活動も支援するためにも学習の場を無料で提供する。
第3には個人やグループへの学習相談、指導が館の3本柱なのである。
何事にも強制できないところだから、各サークルの常識良識に期待するだけしかないのだろう。

話は戻るがその主催事業の1つ、一年前から続いている青鳩だけでその準備、運営全般に協力している「卓球一般開放」が、同じ昨日の午後からあったので、当番月ではなかったが青鳩仲間の手伝いに出た。お昼の時間待ちに一人で食べに行った、近くの何やら妙に懐かしいような田舎風の汚い蕎麦屋の「カレーそば」がやけに美味かった。

そして今日はこのピンポンだったから、今週はピンポン漬けや公民館がらみの一週間だった。考えてみると4日の火曜は定例,翌日の5日〔水〕には、藤沢の卓球グループのホームグランドへ青鳩メンバー9人で遠征して合同練習だったから、今週は何と4回もピンポンをしていたことになる。

本来ならば、この位のピッチで練習したら、幾ら体が弱っていても気力意力や意欲が衰退していたとしても、嫌でもかなり上達してしまうかも知れないが、それがちっともそうならないが不思議なことである。  



12月4日(火) ピンポンも会場取りには一苦労。

2012-12-04 16:55:53 | Weblog

12月の最初の練習日とあって9人が参加。明日は有志9人で藤沢遠征だ。
皆さん気の勢かいつも以上に熱心にやっていたようだ。寒いが汗をかくことが出来た。

ところで、この2ヶ月ばかりは会場取りが難渋している。当番に当たった人は苦労して気の毒だ。季節的な一時的現象かも知れぬが
(それを期待しているが…)、今は2,3月の分の申込みだが、3月には「公民館まつり」があってジャズダンス、フラダンスや
楽器演奏、コーラスなどは1回でも多く舞台稽古をしたいから勢い全体に競合が激化している。

春から行動開始するところ、新しく立ち上がるサークルも多い。一般的にも、団塊世代の新サークル設立も雨後の竹の子のようだという。彼等のサークルで長続きするのは1/3位だと言うものの、春先の競合は倍加するわけだ。

そんな状況のところへ、1,2月は公民館に館の主催行事として(文学の古典講座、源氏物語とか竹取物語の如し)、我々がこの
10年間毎週欠かさず使用させて貰っている「火曜日の午前中」をしっかりと2~3回も押さえられてしまった。
もちろん館の行事は最優先で、サークルが申し込める前に決まってしまう。こういう状況だと我々は他の曜日や時間に逃げようにも
満杯でうまくはいかない。もう少し早く館が使うのが分かれば、他の施設や別な曜日の事前申込みでの対応が出来る可能性が多少は
あるかも知れない。そこで我々に事前に一声掛けて呉れればなぁと我が儘かも知れぬが強く思うのである。

月に1回位ならばやむを得ないし何も言わぬが、これが月に2~3回ともなると1月も2月も我々の活動は、もうほとんど出来なくなってしまったわけだ。これにはさすがに堪りかねて、そこで今後の長期短期の文学講座の予定を聞きに行きながら講座担当の若い人と
そして館長とも話をしてみた。

もちろん抗議という強い口調ではなくお願い事という口調だったので私の方に迫力がなかったからかも知れないが、ほとんど無反応で
あった。せめて、「そうですね、すみませんでした!」位の返事を期待していたが何もなかった。

文芸講師の都合で火曜の午前中という事情もあったかも知れないが、受講者の人数からみても、館に1つしかない100人用の講義室でなくとも(50人用の会議室もあるのに)充分ではないか、同じサークルに月に2度も3度もで、ほとんど活動が出来ないと言う犠牲を強いてしまうのは如何なものか、さらにそれで何の話も連絡もないのには、いささか失望してしまう。

これが何ヶ月か続くとなると厳しいし首を傾げたくなる。曜日や時間を散らすという方法を考慮して貰いたいものだ。
1サークルへの犠牲ではなく公平にこれも分散させるべきではないか。
我々は市民税をそこそこ程度だが払っては居るが、何しろ使わせて貰っている立場なのだから、館から一言云われれば了解せざるを得ないし、それによって事前に分かれば、他の日や他の施設へのシフトも出来るかも知れないわけである。

そして心情的には一言断りがあったら気持ちよく協力出来るのに残念だ、とそのやり方に思うのである。
年輩者特有の、要は気持ちの問題なのである。若い人にはそんな心情は分かって貰えないのかも知れないけれど。

ところで、今後もこうしたことが又ある場合は一声を掛けられないかと何度も話すがやはり返事はない。
昔から、「ほとけのターさん」と言われ自他共認める、あまり怒らぬ、穏やかで優しいのが(気が弱いだけと言う説もあるが)売りの私も? さすがに段々声も大きくなり、久し振りに腹が立ってくるのを覚えたものだ。

今の若い人に、礼儀、常識、人情の機微、人付き合いでの気配りなどを期待したり、説いたりする気などは毛頭ないが、ポカンとして何も感じない様なまるで金魚のような顔をして、平然として、返事もない、無感動、無表情の若い担当者にはただ呆れるばかりだった。

館長とも話してみたが、さすがに笑顔はするがはっきりした返事は何もない。これは役所特有の対応で、変な約束をしないこと、言葉尻を取られないようにという、ベテランらしい役所のマニュアル通りの態度なのかも知れない。

こちらが余程、理不尽でナンセンスな横紙破りな事を言っているのではないかと何度も省みたりしたけれど、それでも何だかスッキリしなかった。
『まぁ、一声掛けて下さいよ。そうすれば我々は気持ちよく納得し、我慢し、対応しますから…』に対して、
「何回も取れない状態になって済みませんでした。講師の都合でやむを得なかったのです。出先機関である館としても、本部の上層部に対して、いろいろ主催行事をやっていますとPRしなくてはならないので…。出来るだけ、早く予定を立てたら断りを入れますからご協力を!」なぁんて、こんな会話のやり取りがあって笑いながら話はそれでお仕舞いかと云う位に軽く考えて居たのだが、やはり役所相手は一寸違う様だ。

今まで、公民館まつりの練習なので譲って欲しいと頼まれれば協力もしたし、館の年末の大掃除、3ヶ月に一度の利用者全体会議にも、公民館まつりでの自転車整理の勤労奉仕にも、この10年間1度も休まず出て義務と責任も果たしている。又この一年半は、卓球一般開放という主催行事を館から頼まれて、月に1度はその準備、運営、片付けの一切をボランティア的にやっているじゃないか等と、自分の美学や性情や信条に反するので、普段にはあまり言いたくもないこんな事を思わず愚痴の一つとしてこぼしたくもなってしまう。

開かれた役所、公僕としての役人になったというけれど、やはり我々の育った民間の社会の常識、感情とは、一寸違うのかも知れない。
せめて、「青鳩さん、やれなくて悪かったね!」位は言える或いは感じるとか、思いやれる様な役所であり役人になって欲しいものだ。