まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

2月26日 3時間のピンポンで一万歩が。

2008-02-29 18:28:47 | Weblog

 今日の定例練習はいつもの午前中が取れず、12時~15時という変則時間だった。やはり陽気がよく暖かくなって、館の各サークルも運動系文化系を問わず活動が活発になって来たようだ。冬眠していたサークルが一斉に起き出して、いよいよ春になったということなのだろう。

 私のPCの具合が珍しくおかしくなり、当日インプットは出来たが発信がどうしても出来ず、結局この日記そのものが三日も遅れてしまう事になってしまった。
明日は月が変わって1日の5月分の定例の追加と自由練習の申込日で、どうなるかと焦り心配したが、今日はやっと頼りになる我が息子に(PCだけの事だが)何とか直して貰えて間に合った様でまずはほっとする。
この日記も遅ればせながらそのまま発信してみた次第である。


 11人が昼飯抜きか早目の軽い昼食で、楽しいけれど真面目な練習で3時間も動き回る。終わると空腹で、遅い昼食か、重いおやつか或いはかなり早目の夕食ということで、どうしても食べ過ぎてしまう様だ。

 1600kcalを目指している私などには(目指しているだけだが…)、この時間の練習は結構厳しいものがある。
しかし時間帯には関係なく首から吊るした万歩計は、確実にこの3時間で一万歩の7kmを表示しているから助かる。
ただ何もないのに1人で楽しく笑って7kを歩くなんて事は私にはとても出来ないが、笑って打って話して、楽しんでいるうちにいつの間にかにこの結果だから全く有難いものだ。

先日の自由練習日のバックだけのトライが、結構良かったので今日も意識的にバック打ちを多めに取り入れる。さすがに定例日では自分だけ、相手や周り構わずバックばかりやるわけにはいかないが、これは意識の問題でやれそうだ。

反復練習、繰り返しが今さらながら効果があるのを感じた。少しづつでも出来る様な気がしてくるから不思議なものだ。やはり昔から言われてきたこの愚直とも言えそうな練習法が一番なのだ。

よく趣味でも何でも、そこそこのレベルでは練習に掛けた時間、例えば絵でいえば描いた枚数に比例し、(初心者の時ほどこれは顕著だという)それに真摯で前向きな姿勢を掛けたものがその成果(上達)となって来ると言われるが、確かに本当の事のようだ。こんな事を実感するのが一寸遅かったかなあと思う。それでも全く実感しないでしまうよりは良かったのかとも思える。



2月23日 1日1アイテムの練習法は

2008-02-23 20:01:06 | Weblog

 今日は月に2回の自由練習の日だった。6人が参加する。
私の日記には、珍しく連続10日も快晴という字が並んだ。如何にも関東地方らしい冬の天候だが、今日は4月上旬の温度だったそうだ。暖かいが昼頃からは風が強くなった。明日は又寒くなるというから風邪や体調管理に気を付けよう。
いずれにしても春はもうすぐそこの様だ。というより今日の強風が春一番だったようだ。

 さて、定例練習日では、順番だけは決めるものの、あとはもう各人の自由勝手気まま、その時の気分での練習内容(どうしてもただ、強く打ち合っているだけの感じが強くなってしまう。もっとも我々クラスのレベルではこれが一番楽しいのだが…)である。

 比べてこの自由練習日では、それこそ自由だから誰に遠慮も気兼ねもなく(少しはあるかな)、試行錯誤でいろんなやり方を、何度もトライ、挑戦してみることが出来て面白い。初めて眼帯をしてやってみたのもこの自由練習日だった。

 相手フォアーの一定の場所と高さに互いに打ち合うのを意識したショートラリー、(よくTVで見る試合で、両選手がプレー前に相手とやるやつ)から始まって、強打のラリー、バックとフォアーの交互打ち、突っつき合い、カットとカット打ち、カットから3球目をスマッシュ等々、ちゃんとは出来ないながらもいろいろな技術に挑戦している。

 こうしたバラエティに富んだ多くのアイテムを短時間づつやっているのが、変化があって一番厭きないし面白いようだ。だが効果の程はよく分からない。

 一日つまり2時間〈ダブルス戦の1時間を除いて〉を何か1つに決めて、時には徹底してそればかりをやってみたらどうなのだろうか。練習法としては、面白くはないかも知れぬが、一つの効果がある方法かも知れない。

 そこで今日は、試行錯誤しながらも実験のつもりで、私はあえて自分の苦手なバックを選んでそれだけでやってみた。なかなかうまくいかずラリーも続かぬので、相手の方に申し訳けない様でその都度お願いして協力して貰う。

 確かに、うまくいかぬ、続かぬと自分でもいささか気が引けたり、嫌になったり厭きたりで、あの力一杯、自由勝手に、どんどん打つロングのラリーに戻りたくなるが、今日だけはじっと我慢の子で頑張ってみる。もっとも相手の方はそれ以上にうんざりしたことだろう。

それでも後半になると、何となく感覚がつかめて来る様な気がして来たし、ラリーも結構続きだしたから好感触を得た。
これはアイテム毎にたまにはやってみたら、案外良い効果的な練習法のヒント位には為るかも知れない。

 相手の人にはご免なさい、ご協力ありがとうというところだ。
貴方が何かを意識的に練習する時は、何とでも協力させて頂きますと思わず心の中で感謝と礼を言う。

 練習も面白くなくては為らないから、もちろん毎回はやれないがせめて月に一度とか、極くたまに位が良いのだろうか。

 自分の苦手なことや、付いてしまった自己流の悪い癖などの荒療治か徹底治療や基本のマスターを強く意識して、こうしたトライをしてみるのも良いのではないだろうか。それを覚えた時の進歩と、それに付いてくる面白さと喜びを期待して。

 これは良い刺激、マンネリ打破、スランプ克服にもなり、最近は一寸も変化がないし、目に見える様な進歩もさっぱりだ、なんて時の倦怠感の防止や解消の特効薬の一つにはなるかも知れない。
  
 又そのうちバックばかりでやらせて貰おうと思った。
 




2月19日 出でよ!ピンポン界の真の大スター!

2008-02-19 15:00:54 | Weblog

 朝はまだまだ寒いけれど、今年の冬は例年よりも厳しかったというが、さすがに日中は春めいてきた。今年の練習もいつの間にか早くも7回目にもなる。
昔でいう冬練もいよいよ来週あたりで終わりになるのだろうか。

 昨夜のTVで報じていたが、昨日は富士山が、所沢や東京や何処からも一日中見えてきれいだったらしい。こうした空気のきれいな日だけに見える湘南海岸の浮き島現象(蜃気楼現象とほとんど同じ)も紹介されていた。房総半島や三浦半島が一寸ずれて海上に浮かぶ。昨日などは何処かの市街地の建物があざやかに海上に浮かんだのをやっていた。

 前にSD氏が持ってきてくれた新聞記事でその現象は既に証明済みなのだが、数年前に私が海岸で写真家に聞いた話として、皆にしたところ全く一笑にふされた苦い思い出がある。今回はこれほどはっきりと証明されて、何だか虚言の罪が晴れた様な、私が嘘など言うもんかという名誉を回復したような気分になって嬉しくなる。こんな些細などうでも良いことなのにと思いながらも、快い気分が胸の中をよぎるのが一寸奇妙で、何だか面白い位だ。思わず苦笑が出る。

 今日は11人が参加。今日も出席率も良く賑やかに、あちこちで大声もあがって楽しくやった。寒い日の朝の自転車も練習も今回で終わりそうだ。来週からはきっともう暖かくなっていて、練習に一段と熱が入る事だろう。温度が上がるとケガの確率がぐっと減るそうだから、ほっとしている。


 さて、この間の全日本卓球選手権大会では、あの四元奈生美選手が混合ダブルスで、見事に愛ちゃん組を敗って準優勝した。
卓球漬け、卓球だけのプロ選手、しかも周りの手厚い援助や庇護と応援に囲まれたああした有名なスターに、同じプロでも四元選手の様な独立独歩の革命児、異端児という選手が勝つのは、協会幹部や関係者は顔をしかめるのだろうが痛快事であり面白いことだ。
もっとも四元選手は元々強い選手で、ベスト16以内に居たり、中国の一部リーグの経験もある人だそうだ。ついそのコスチュームや容姿、言動にばかり目が行きがちだが、その本当の隠れた努力は大変なものなのだろう。

 卓球界の隆盛のためには、他の世界と同様にまずは絶対的なスター、絶対的な強者、英雄が出て人々を引きつけ、それに続いて次々とスターが輩出するというのが、一番効果的なパターンである。

 だから今、愛ちゃんは負けてはならないのだが、どうもいまひとつというこの頃の卓球界だ。14才の石川選手(世界ランク144位、日本人では16番目)辺りにも期待するところ極めて大なのである。

 女子ゴルフの上田桃子の米ツアー5位、テニス界では男子ツアーで初優勝の錦織圭などと若手で、何やら近未来のスターを予感させる様な金の卵が数年ぶりに出現してきたようだから、卓球界もこのまま坐しては居られまい。
 

2月17日 日曜の午後の自由練習

2008-02-17 17:37:55 | Weblog
 今日は1時~4時での自由練習日。葉山在住の夫妻も見えたりで8人が参加した。YUKI坊氏はゴルフ、テニスのMAH夫婦はテニスのトーナメント中、RYU少年は期末の試験中らしい。

 この自由練習は勿論、火曜日の定例練習の日でも、出欠は全くのフリーだから、その時によって参加者数がばらつくのは当然だ。
体調のことはもちろん、家庭の用事や事情ありでも、或いは仕事があってでも、今日は休養日にしようでも、全く何の遠慮も気兼ねもなく、出るも休むもOKだから、これが我がサークルの身上であり、気軽な良い所の一つだ。

 それにしてはこの所は、めっきり出席率がよくて、全く予想以上だ。
皆、ピンポンが結構好きなんだ、或いは毎週の練習の成果があって、好きになったのかもと嬉しくなってくる。

 バックをやり突っつきをやり、カットをし3球目をスマッシュと、自由に様々な練習を繰り広げる。腕前もメキメキ上がる様だ。全く、継続は力なりとか反復練習こそ最大の師なりとか上達と練習時間は比例するという言葉の通りであるようだ。

 少し上達するとその事の本当の楽しさ、醍醐味の少しが見えてくるというから楽しみだ。そうなればもう理屈を越えて面白く自然と無理なく、放っておいても長続きもするのだろう。

 願はくばその練習法も、自由勝手も捨てがたいが、どうしても散漫惰性に流れる傾向になりがちは当然だから、せめてこの自由練習日位では、メンバーがレベル的にも、前向きにやる気持ちも安定しているから、先生に相談するとか何処からかその知識を仕入れて来て、時にはもっと合理的効果的な方法、より集中的な科学的なセオリーに沿ったカリキュラムやメニューにトライしてみるのも面白いだろうと思う。

 全体的集中的な練習法は、ちゃんとしたスポーツをやったことのない人や運動苦手な人や嫌いな人にはあまり受け入れられないだろう。
効果、速効ということから考えるとそれが一番良いのだが、皆に受け入れられて楽しくやれる方法、やり方、具体的なメニューをとなると、年齢、男女、運動向き不向き、個人のレベルや考え方等が様々だから共通なものはなかなか難しい。現在のレベルでは定例日でのトライは一寸無理だろう。

 まだ暫くは、定例練習日では、上達は二の次で3時間の良き運動、笑って過ごす3時間そして他人との接触、会話そこから受ける刺激等の効果を第一次として、楽しくやっているうちの肉体的な成果、精神的な効果を期待しよう。青鳩でピンポンしているから、病気もなく元気で、明るく、世間でよく言われている中高年のうつ病とか孤独、頑固、独り善がり、自分中心、我が儘なんていう老人病に無縁で居られるなんて事が皆にあればいいなぁなんて事を願っている。

2月11日 定例練習での初レッスンの日。

2008-02-11 16:35:03 | Weblog

2月の真っ只中。でも天気も良く暖かく富士も大山も公民館の後ろの方角にくっきりときれいだった。8人が参加して、今年の初レッスンを受ける。
いつもは1人10分位しか個人レッスンが受けられないのが残念なのだが、今日はその後、先生に入って貰ってダブルス戦をしてみる。やるも楽しく、見るも楽しく大いに参考にもなり、又違った世界だった。何かこれからのやり方や練習法のヒントを頂いた様な気がした。
このレッスンも、規則的に毎月1回或いはせめて二月に1回でも教えて貰える機会があれば良いのだが…。

私など、終わるともうすぐに、何を注意され、どうしなさいと教えられたのかも忘れてしまう。ましてや次の練習日になると、もう完全にいつもの自己流になって黙々と何のこともなく、只々打っているだけのような気がしてならない。
 
折角、良い先生に習って居るのだから、すぐメモでも取って忘れぬ様に、次回の練習時に自分で生かしてみるという真面目な努力、姿勢が必要なのだろう。

こんな事を書いていると、この日記をご覧の中にはいろんな方が居られるから、
たかがピンポンだ! たかが遊びなのだから今さら何もそこまで!何でそんなに真面目にやろうとするのか、 下らない!これしかないのか!などとという声が聞こえて来そうだ。成る程それももっともかも知れない。

ピンポンしかないのか! 他にやることはないのか! 他に趣味はないのか!お前の人生それしかないのか!いい年こいてピンポンなどほんの小さな取るに足りない遊びに過ぎないぜ等と言われると一寸悲しくもあり何だか複雑な気持ちになるが、果たして本当にそうなのだろうかと思ったりしている。

しかし、中高年の精神衛生学では、我々の年代は「今さら」とか「この年だから」というセリフはタブーなのである。
どんな事にでも(例え時間つぶしの趣味でも習い事でも、運動であっても或いはほんの小さな又は下らないと思われる雑事であっても)、そのことに対して真摯な姿勢を取れなくなったり、どうでも良い、遊びや運動なのだから適当でいいと思うようになったり、何事に対しても(自分が偏執的にやってる事は除いて、その事の普遍性の無さと独りよがりや思い込みは、老人精神衛生上は良い面もあるのだが問題もより大きいと言われているけれど、これはまた別の機会に考える事にして)、好奇心や向上心、真摯に向かえる気持ち等がなくなり、適当でいいや、どうせ大したことじゃない、下らないことだ等と、こう思うようになったら初めて老人と呼んでもいいのだ。その時からその人は階段を転げる様に本当に老いの世界に入ってしまうのだ。という説がある。

さあ!立ち上がろう!!頑張ろう、団塊世代以前の諸兄よ。麗しき諸姉よ。
好奇心と向上心とをもって、明日の些細な大したこともないことに真摯に向き合おう!!

練習の後はビールがとても美味しく家でグラス片手に、ぶっつけでいきなりいつもこの日記を打っているので、「てにおは」の間違いはしょっちゅうだが、時には支離滅裂やら、書き過ぎや、飲み過ぎたときは感情の儘、一寸テンションの高すぎてしまうことがあるかも知れない。日記だからそれはそれで良いのだが、このブログの日記ではあまりそれもいけないのかなぁと難しい所である。本当の私の日記はもっと激しく、且つもっともっと面白いのだが…。

ところで自己流という奴は、慣れによる進歩の過程が過ぎるともう残念ながら上達は限界に達しているという。勿論例外はあるだろう。凄い体力或いは稀な運動神経や大変な練習量などだ。
我々の仲間でもSD氏などは、すごい器用さと手首の柔らかさで素晴らしいプレーをする。いわゆる正しい卓球の形ではないが、自己流も此処まで来るとあの卓球独特の小さな型にはまったスタイルでなく、大いに楽しく個性的な素敵な自己流で、行くところまで行って貰いたい様な気がする。
偉大なる自己流、個性的なのはまさしく素晴らしい。しかし一般にはそこまでなかなか行けるものではない。

楽しくやるから面白くて続けられるのだろう。楽しくやるには最低の上達、継続し続ける進歩が必要条件と言われているが、それにはやはりその方法を練習、やり方を一考すべき必要があるのだろう。

ピンポンなど我が人生の後半に、ふと出会ったもので今までの人生での様々な大事なこと、体験、出来事等の中のささやかな一つに過ぎないものだが、しかしやるならば他のことと同様に真摯に真面目に考えてやってみたいものである。
これが、例え大したことのない下らない私の人生であっても、自分の人生の全ての事に対する大切で必要な姿勢だったのだろう。
こんな小さなことに気付くのが、かなりというか何十年というか遅すぎた様でこれだけは残念で仕方がないのだが…。

2月10日 臨時の自由練習

2008-02-10 18:48:36 | Weblog

 二ヶ月前にするいつもの自由練習日の予約では、月に二回の日曜日の2~5時を基準として、後は会場の空き具合で取れなかったり、取れても時間が早かったり遅かったり、又は土曜になることもあるが、この所は大体第2と第4日曜の午後でと落ち着いていることが多かった。

 館の公式行事が入っていたり、他のダンス、体操、卓球、コーラス、バンド、ピアノ等のサークルや様々な会議、集会などが使うためになかなか思うようにはいかない。ここ程の広い板のフロアーのある大きな部屋は,市の公民館では他にはないそうで、当公民館でも一番申込みが多く極めて競争率の高い人気の部屋だそうだ。

 ところで、大会だとか対外試合が近いとか、急に上手になろうということでも何でもないのに、臨時の自由練習とはおかしいが実は私の予約の消し忘れの勢だった。

 二ヶ月前の1日の随時申込み開始日に、その時点で運良く空いていた第2日曜の10日と第3日曜の17日を確保した。しかし後でよくよくカレンダーを見たら、11日(月)が祭日で、繰り上げで定例練習のある日だった。しかも先生のレッスンのある日だったから、ほとんどの皆さんが参加するだろう。すると大半の人が連チャンになってしまう。やはり続くのは何かとまずかろうと気を利かしたつもりで、空いている日を探してやむを得ず23日(土)を予約し、10日は取り消すつもりで、皆さんには17日、23日で正式に連絡をしておいた

 とここまでは良いのだが、10日の取り消しをうっかり忘れて手続きをせずに日時が迫ってきてしまった。今さらキャンセルも館の手前、言いにくく,しょうがない当日は例え1人ででもサービスの練習などをやっているかと内心では覚悟を決め、自由練習の常連メンバーさんに恐る恐る声を掛けたら、「やろう!やろう!」「大丈夫、来れそう!」「いいよ!」と言うことでホッとした様なわけである。

 そんな経緯のあった日だったが結局、5人の方が参加してくれて楽しくやれた。皆で明日のレッスンの準備と思うことにした。この人数だと本当に今日はみっちり練習したという感じがする。バックとフォアーの交互打ち、相手カットのスマッシュ、バックのラリーと練習内容も言葉にするとかなり高度のものだ。

 今朝は東京でも雪景色だったようだが、さすがここ湘南では天気も良く暖かく何よりだった。悪天候だったら申し訳ないと心配だったが本当に良かった。

 うっかり忘れや忘れたことすら忘れたり、冷蔵庫を開けて何を取ろうとしたんだっけ、二階の自分の部屋にわざわざ下から上がって行って何を取りに来たのかといった事例が多くなったような気がする。

 納豆のカラシの小袋が切れない手指の力が弱くなったなぁという実感も悲しいが、この忘れ現象もうすら寒くなる。が忘れるという事は都合の良いこともあるようだ。しかしなかなかそう都合良くはいかぬもので、嫌なことや不快なことは、まだまだあまりすっきりと忘れる段階までは行ってないのが何とも残念だ。

 これさえ忘れられるようになったら、その時こそ、もう何があっても、例えば自分の思うようにならなくとも腹も立てず、たとえ悪口や中傷や裏切りを受けたとしても、にっこり笑って却って相手に憐憫の情を懸けるといった、長年、私がそうなりたいと目指していた、一寸間抜けで愛嬌あって何時もニコニコ顔のお人好しで、人にはやさしい良寛さんの様な人間になれるのだろうにと期待しているのだが…。

2月5日 もう2月の定例練習だ。

2008-02-05 14:46:37 | Weblog
 日曜日の雪がまるで夢だったかの様に、朝から良い天気。気温もどんどん上がってうららかにのどかな日だった。
10人が参加。今日も皆さんとてもお元気だ。まあまあ位の健康であっても、明るい笑顔の人は何とも素適だ。
私は今月の当番で、今朝は3ヶ月先の場所取り(公民館)の抽選申込みの日だから、家で済ませてからの参加で一寸遅れてしまった。

この場所取りも我がサークルではPCをやっている人だけの(自宅のPCか公共施設の端末からでないと申込みが出来ない)毎月の順番よる当番制としている。現在は大体年に二度ほど回ってくる。

昨年は新しい方が4人も入られたが、いずれもPCはやってないということで残念でした……。
これからは、現行の「原則として、メンバーの紹介を優先とし、明るく、常識があって、協調性に富んだ、サークルの和を乱さぬ様な人品卑しからぬ人に限る」という厳しい入会条件?に、さらに新しく「PCをやっている方」というのを付け加えなければなるまい。

 さて冗談はとにかく、昨年暮れには他にも4~5人の入会依頼や打診があったのだが、残念ながら申し訳ないと思いつつ、満杯状態なのでということで、心ならずも婉曲に且つ丁重にお断りした。

我々ごときのサークルにぜひ入会をとみえる位だから、いよいよ団塊の世代の大量下野による流入の影響が始まったのかと思った。
しかし、たまたまこの公民館の館長と話す機会があったので聞いてみたら、新サークルの立ち上げや既存サークルへの新入会者は確かに増えてはいるが、入退の平均では思っていた程の増加、増員にはならないのが不思議だと言っていた。

一時、TVや新聞で団塊世代の特徴が、いささかオーバーに強調されてよく取り上げられていたものだ。それによるとその世代は、ボランティア、福祉、他人への無償の奉仕、地域社会とのコミュニケーションというのが主旨の公民館でのサークル活動の様なものには不向きな人が多いという。

彼等はその一世代前の人種(何を隠そう、我々の年代なのだが)よりは、はるかに優秀で知識学識もあり、物質的にも豊かに育ち、それだけに自尊心、自我が強く、厳しい競争社会だった勢か俺が俺がで、他人の事は思い遣れず、典型的な唯我独尊タイプが多く育ったと言われる。

お利口で小金持ちだが、自分中心で他人のことは知らん、地域のことなど無用、知人は多いが真の友人は居ない。しかもそのことを本人が感じていない、分かってないケースが多いのが特徴だそうだ。思い遣りも周りへの配慮もましてや人のお世話などは、強く誉高いその人生観にはあまり存在しない。

結局、自分は孤独で淋しいのだが、本人はそれにすら気付いていない。支えはお金か昔の栄光か、自分だけは正しいという思い込みだけだともいう。

先月の25日だったか、NHKのTV番組での「キレる大人達」とか何とかいうのでもやっていたが、本来は利口な人達だから、だんだん時が経って現実社会とのギャップや情況が分かって来たり、或いは無意識にでもそれを感じてくると、昔の(現役時代の)価値観からそれを現実の自分に対応したり、価値観を変えたり出来ないタイプなだけに、己の価値の喪失は認めたくないので、やがては欲求不満などが昂じて来る。

そのうち、自分ではおかしいことをしていると心の奥では分かっているのに、気持ちを押さえたり自分から謝罪することはまず出来ない。一寸した何かがあると、キレて大声で怒鳴り、タンカをきり、相手に食い下がり悪口雑言を、時には手を出すこともあるという。そうした人の割合が他の世代に比べるとかなり多いということだった。

もちろんこれはそういう人種が多いという傾向を示すだけでその世代の皆がそうだと言ってるわけではないし、どの世代にも率は少ないが居るわけだろう。
しかし、成る程このタイプはあまり公民館とかサークルで周りの人と協力してというのには向いてはいないのだろう。
この辺が公民館へ来ない、来ても直ぐに止めたり、散会してしまうという原因なのだろうか。

それに比べて、我々の年代は何と気配りがあって協調性に富んで、品格があってやさしい人が多いのだろう。
例外はあるとしても、多くの人は大体そうなのがとても嬉しい。私も自分がこの世代で良かったとつくづく思っている。といっても年令だけはもっと若い世代の方が良ったけれど……。