まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

12月26日(火)打ち納めの日!

2017-12-26 18:32:18 | Weblog


   

       「 ワラボッチ 」 11 月

                         何やら妙に懐かしいものだ。
                         子供の頃、会津でよくみたのと形も大きさも
                         一寸違う様な気もするが、郷愁を覚える。


       天気は良いのに私は体調がいまいちなのだが、その代わりかのように、数日前からまさしく小春日和という穏やかな日が
       続いている。北国の人には全く申し訳ないような天気だ。こんな気候のこの湘南地方に感謝しなければならない。
       暑いの、やれ寒いのとこれ以上の贅沢は罰が当たりそうだ。それでも明日の朝からはいよいよこちらも極寒、強風となる
       らしいけれど。

       さて、さすがに打ち納めとあって、1時からという変な時間だったがほぼ全員の9名の参加だった。いつものように
       2時間を休み休みのマンツーマン練習、1時間をダブルス戦でといういつものメニューをこなす。
       一段と気合が入る様だった。

       いよいよ今年のピンポンもこれで終わりだとホッとする。よくぞ今年も皆さんで無事に続いたものだという喜びと感慨を
       覚える。怪我や事故もなかったし、辞めた人もなかった。逆に守夫さん、めぐみさんのお二人が入会されて今日現在で
       11人というメンバーである。昔はもっと多い時代もあったし、途中少なかった一時期もあった。
       今のこの位が丁度良いところだろうか。

       来年には16年目を迎える。現在の多くの方は年相応に頑固な個性派だが、自然淘汰のように、いつしか自然に選り
       すぐりとなって、気持ちの良い人ばかりだから、きっと一層盛り上がってこれからも楽しくやれることだろう。

       良い練習が出来て知らず知らずに上達してしまい、毎週楽しい笑顔の時間を過ごせて、心にも体にも快い刺激を受けて、
       その結果、老化防止又は老化の進行のスローダウン効果になるならば、こんな良いことはない。ピンポン万歳だ!

       来年中には84才を向かえる方を最年長に、82才、81才、80才と続いて年齢には何の不足もない。
       皆さんが結構元気だし、何より嬉しいのは前向きな意欲が衰え知らずで、とても心強い。
       メンバーの70代の少年やら60代の少女達も、大いに刺激を受けてますます若さを維持できることだろう。

       来年も皆揃って、大磯海岸ならぬ、南湖公民館へ元気に集える事を祈っている。本物の青鳩が、大磯海岸に海水から
       生きる為に必要なナトリウムの補給に来るなら、我々青鳩は南湖の公民館辺りに、元気と笑いと運動とを補給に、週に
       1度位は行かなくてはなるまい。

       さあ!これから今夜は、歯痛から立ち直って年賀状書きをしなければ…。
       皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい! 来年もよろしく。

       こんなピンポンブログを毎回お付き合い下さった方にも感謝致します。長い長い駄文をよくぞ毎回覗いて頂きました。
       いつも貴方の貴重な時間と体力を浪費させてしまったようで、申し訳なく気が引けています。
       来年は努めて短くすることを誓います。又お会いしましょう!

       貴方の健康とお幸せを心から祈っております!  合掌!

12月24日(日) 笑顔の効果!

2017-12-24 20:09:42 | Weblog

 
       『 槍ヶ岳が輝く 』    11月写す

           あの槍ヶ岳の山頂に何ヶ月前だったか、うちの雅昭・由美の夫婦
           が立ったのだから、信じられないような不思議な感銘さえ覚えます

  
       今日は今年最後の自由練習だった。この自由練習も無事に楽しく打ち上げることが出来た。
       数日の快晴続きが今日まで保って今夜からは雨だというが、夕方までは温かく気持ちよく今年最後の
       自由練習を楽しんだ。

       思えば、今年も常連メンバーを初め、メンバー外では山本さん、岡崎さん、真田さん等がよく来てくれた。
       時には、鳥居さんの孫の大学卓球クラブだった航クンや現役の春香ちゃん、そして簗瀬さんの孫で今や立派な
       外科医のインターン生になった龍司クンなどが来てくれた事もあった。

       あくまでも自由参加で良いのだが、来年はメンバーの方も偶には来て欲しいし、又全く新しい方が来てくれると
       良いなぁと思っている。来年は意識して周りにすこし声をかけてみようか。

       この自由練習ではいつもの定例とは雰囲気もレベルも一寸違うし、いろんな人の様々な球筋を経験し楽しむことが
       出来る。人によってそれぞれかなり違うので面白いし、上には上が幾らでもいて上手な人とのラリーを体験するのも、
       楽しく面白いし我々にとっても良い体験になる。皆さん、毎回でなくて良いのだから、たまには参加しては如何‥‥。

       皆さん暮れの気ぜわしさもしばし忘れて笑顔でプレーしている。楽しそうなのは夜には楽しいクリスマスパーティでも
       あるのかも知れない。そうした笑顔を見ているだけで何やら心が温まるようだ。私は仏教徒の真言宗豊山派だから
       クリスマスでも特になにもないけれど。

       これから暮れへかけての私の行事としては、年賀状を書き、昔の儘に年越しそばを食べ紅白を見て、風呂に入りながら
       除夜の鐘に合わせて静かに来る年を祈る位が私の行事である。
       東京時代の我が家は大きな五右衛門風呂だった。鉄製の釜の縁に、金属製の洗面器を湯面に浮かせてそれを静かに当てて
       やると、これが除夜の鐘にも負けない何とも言えぬ厳かでいい音がしたものだ。遠くから聞こえて来る本物の鐘の合間に
       これを鳴らして、温かいお湯の中で祈ったものだ。以来何となく除夜の鐘は湯船の中で聞く様になってしまった。

       さて今日は8人が集まる。今日の私は体調最悪だった。頭が痛くて熱がある。歯の治療中ではあったが、今朝起きたら
       その辺が腫れ上がり痛い。顎のリンパ腺が特に腫れて痛い。顔も左半分が浮腫んだように腫れている。歯のところから
       細菌でも入って化膿したのかも知れない。とてもピンポンをやる状態ではなかったが、今日は前からカリンと対決する
       という約束で、学校の部活の練習から早く帰って来させた位だから、こちらが休むわけにはいかなかった。
       一寸だけでも1ゲームだけでもやれれば良いかと、私としては珍しく頑張ったわけだ。やはりだるくてだるくて一寸だけ
       しかやれなかった。カレンが確実に上手になっているのが感じられただけでも今日は辛かったけれど良かった。

       今日のトピックスは、うちの中一の卓球部に入った「果鈴」が飛び入り参加したことだろう。半年の卓球部の成果は
       どうかと興味があった。やはり若さというのは良いものだ。何と言ってもフットワークが良い。リズム感がある。
       私が苦手のバックショートが上手なのには驚いた。

       2~5時の練習となると終わればもうすっかり暗く、空気が冷たい。しかし家々の窓の明かりが温かそうだ。
       あの一軒一軒では、もうそろそろ温かく楽しい夕餉の団欒が始まる頃なのだろう等と余計なことを思う。
       こうした各家庭が、皆が幸せで平穏な世の中であってほしいとつくづく思う。

       ところで、笑うと人間の免疫力が素早く上がり、その健康効果は何物にも勝るという。笑うことで脳に喜びや興奮が
       伝わり大きな刺激になるという。脳は使わぬと衰え萎縮してしまうそうで、それを防ぐには内的外的刺激を与えることが
       必要と言われている。更に笑いは血行促進や記憶力や認知力を向上させ、脳の活性化に作用していることが実証されて
       いるそうだ。

       笑いが如何に心身に良いものと科学的に言われ始めて、最近では老人の施設で無気力になったり、やや痴呆の人にそして
       病院の長期患者等に、TVのお笑い番組を見せたり落語家を招いたりして笑って貰うそうだ。すると明らかにNK細胞が
       活発になり免疫力強化、血行促進、記憶力、脳の活性化の促進現象が現れるという。こうした所では、動物セラピーなど
       と共にこの笑いの効果の活用が大いに盛んになることだろう。

       しかし我々の場合、心身に良いからと日常生活で突然笑え!と言われてもなかなか笑えるものではない。
      「おかしくもない、何もないのに笑えるか!」という声が老人ほど多いそうだ。しかし笑えなければ、おかしくなくても
       笑顔を作ることだという。顔の筋肉を動かして笑顔の真似をしているうちに、いつの間にか顔の表情が軟らかく、筋肉も
       動き易くなると言う。こうなるともうしめたものでやがて直ぐに笑えるようになるそうだから面白い。

       笑うと体内に酸素が多く取り込まれ、新陳代謝が活発になって、自律神経が安定して、イライラとか突然の怒りとか
       切れるということなどやウツの気分などが解消し、落ち着いた気持ちで好ましい顔をした、他人に気配りのできる穏やかな       人間になり、他人から見ても素敵な笑い顔になれるそうです。

       よく人間の性格、人柄、人間性はその人の顔に表れているものといいます。確かにそうだという事例や場面とか、周りで
       そんなタイプの人間に度々遭遇して成る程なぁと実感したものです。例えば、目つきに妍があったり一寸怖いような
       とがった鋭い顔の人は、私の統計ではやはり意地悪だったり怒りっぽい、唯我独尊的な人が多いような気がします。
       もちろん例外も体験していますが…。

       人の顔にはその美醜や人柄には関係なく、大きく分類するとヒョットコ顔、おかめ顔、般若顔そしてきつね顔、たぬき顔
       などになるといいます。私はそれを更にもっと括って大別すると、怒り顔と笑い顔があるような気がします。
       周りの人や道ですれ違う人を見ていてもそう思うのです。どちらが良いかということではないのですが、何も怒っても
       笑ってもいないのに何かそんな感じがしているのです。不思議にほとんどの人がどちらかに分類出来るような気がする
       のです。

       自分のことはさっぱり分かりません。怒り顔ではないような気もするのですがおかめかたぬきなのかも、最近では入浴時
       以外はあまり鏡も見なくなってしまった所為か、何とも言えないのです。

       我が家の前の路地を出て左に曲がった数軒先の中年後期位の奥さんとよくすれ違います。小柄ななかなかの美人です。
       しかし残念なことに典型的な怒り顔なのです。この方はこれでどれ程の損をしてきただろうと思ってしまいます。
       もちろん知った方ではないので挨拶もしませんが、いつでも澄まし気味で、周りには関心なしという感じで何かに怒って
       いる顔をしています。ご本人もこれでは人生面白くもないだろうと思ってしまいます
       (余計なお世話だ!と言われそうですが)。
       やはりやさしい笑顔タイプの方がいいですね。本性は例え夜叉か鬼のようであったとしても、その笑顔は周りの人を          癒し、それよりもご本人がその笑顔タイプを駆使して、見かけだけでなく本心から笑えれば(そうしたタイプの人に
       とってはあまり難しいことではないだろうし、自然と相手からも笑顔が返ってくる)そうすれば「笑う門には福来たる」
       も間違いなしでしょう。持って生まれた顔付きはしょうがないけれど、私も明日からいつもニコニコと笑顔でいようと
       思います。おかしい人と間違えられない程度に…‥。


12月19日(火)「1日1出1話1笑」の誓いも……

2017-12-19 17:44:35 | Weblog


    『 1967年の或る良き日 』
             
昭和42年12月17日 於 寒川神社


私事ながら一昨日の17日は私共の結婚記念日だった。いつの間にかの50年(金婚式)だった。
出不精の私のためにすぐ家の近くの小さな洒落れたフランス料理店で祝って貰った。
美味を味わいながら皆に囲まれ楽しい晩餐会であった。
胸中には50年の時間と歴史が去来し感慨深いものがあった。そんな胸の内を一言で表すなら「感謝」
という言葉だろうか。それとも「忍」だろうか。

恥ずかしながらこんな写真を出してしまったが、これは昔の写真を再プリントして額に入れて子供達から
プレゼントされたものだ。それにしても50年の今昔の違いには驚くばかりだ。
あまりの変化に思わず恥ずかしさも忘れて、「ブログに使うなんて」という家人の反対を押し切り、
50年というもののその変化の劇的な大きさを分かって貰うには、これがベストだとばかり思わずブログに
使ってしまった次第です。

今更ながら50年という時間はこんなにも人を変えるものかと思う。
誰もこの写真を見て今の私を想像できないでしょうし、最近の知人にこれは誰かと尋ねてもきっと分からない
のではなかろうか。

この間は小学校同期会で傘寿の記念パーティがあったし、人生の様々な節目の行事もそろそろ種が
尽きそうだ。しかし家族や友人知人の皆の幸せをまだまだ見ていたいから、もう少し頑張ろうとあらためて
思った。
                

さて、今日は10人の参加だった。お家で転んで一寸したケガをしたお一人を除いてのほぼフルメンバー
だった。この人数だと2回やっては1回休みという具合でとても良い案配だ。休みながらやれると却って
気合が入って良い練習になるものだ。汗はあまりかかなかったけれど充実した楽しい練習が出来た。

ところで、ここ数年お正月の度に誓うことに「1日1出1話1笑」(私の造語なのだが)の実行ということ
がある。
文字の通りで1日に1回は必ず外に出て、人と話し、そして1回は笑うということである。1出というのは
運動、少しでも体を動かすということ。1話というのは他人と話を例え一言でも交わすことによって刺激を
得ることで、気付かぬうちに弛緩している神経や精神を引き締めること。1笑とは笑うことによって
気分の高揚や脳への刺激を受けるということであり、これ等を考えて作った、私の悲しくも情けない日常生活
での最低のノルマであり目標でもあり、それをルール化したのである。

しかしこれがなかなか守れなくて、その内容も自分で徐々に緩く緩く妥協してしまっている。
例えば、1出というのは庭から一歩でも出れば良しとなり、さすがに生ゴミ出しだけでは気が引けるので、
家から往復で1000歩のコンビニまで行けば立派にクリアーとしている。用事もないのに行ったり歩いたり
するのはないしナンセンスだと思うし、面白くもへったくれもないと思っているようなショウもない人間だ             ものだから、ついつい目的を作る為にこの1出の度には、心ならずも嫌々ながらワンカップと
           一寸したおつまみを買う羽目になってしまう。

           1話についても、家人ととか独り言では効果がないと言うから、お店の店員さんやレジの人でも病院の受付や
           看護士さんや医者でも可とした。そこで出来るだけ馴染みのコンビニの若い女店長さんとは
           話すことにしている。すると自然に顔がほころんでいるからこれも1笑だろうか。

           笑いはTV,ラジオで笑っても本でも良いだろう。本当は人との会話の中での笑いが特効薬なのだろうが、
           場合によっては一人笑い、作り笑いでも良いそうだ。顔の表情、神経、筋肉さらには横隔膜の良い運動にも
           なるという。こうしたことを意識して己に課した「1日1出1話1笑」ということなのである。

           たまたま私は三年連用日記を愛用しているので、いろいろな事で今年と昨年、或いは一昨年との比較が直ぐに
           出来るのだが、確実に年々衰えている事、何もしなくなったという事実を嫌でも実感させられている。
           半分は公の様な行事や会合への出席も激減したし、プライベートな集まり、会食や飲み会、小旅行等々などは
           目に見えて減少している。

           例えば、日記をみるとこの「1日1出‥‥」についても、昨年は1歩も家から出ずという日が56日あった。
           それが今年はこの19日現在で75日もあって、今年の残りもまだ10日もあるのだから80日は楽に越えて
           しまいそうである。

           増えたのは、この1日1出が駄目だった日数と病気で寝込んだ日数と薬の量とシワと戸籍の年齢位である。
           減ったのは多少残っている白髪と年金と酒の量位だろうか。

           来年はこの日数をせめて50日以下に抑えるということに挑戦してみようと思っている。これは今年の経験から
           私の場合かなり難しいものだが、もし達成出来ればきっと心身への御利益があると信じている。



12月12日(火)昔々のピンポンの懐かしい名残りが!

2017-12-12 14:41:03 | Weblog


                  『 はるか南アルプスを望む 』   11月

                     
         いよいよ朝は寒くなった。富士山がきれいで昨夜の強風で雪が吹き飛んだのだろうか、白地に多くのグレーの
         山肌を見せていた。今日は10人もの方が集まった。寒さに負けぬ熱の入った練習が続く。

         10年前とは比べものにならない程に、小気味いい打球音が会場に響いている。向こうでもこちらの台でもラリー
         が続いている。
         15年を超える週に1回の練習、その当然の成果だろうか。慣れというか、習熟というのは
         凄いものだと思う。遊びのような反復練習でも積み重ねるとこんなに上達するものなのかと皆の練習を
         見ていると改めて実感する。

         しかしそこには上手になったが故に、目につく癖とか間違い、勘違いなどがある。
         それがいま現在以上の上達を阻害しているとすれば残念だが、まぁ我々のピンポンではこれでも何ら問題ないし、
         自分が気持ちよく出来ているならそれで良しだろう。

         周りから見ているとよく目につくが、自分では気付かずに無意識にやっている動作や癖のような所作が幾つかある。
         皆、各人いろいろだが、何と言っても一番目に付くのは私もそうなのだが、球を打って、特に強打したときに
         手首を曲げてラケットをかぶせる仕草である。
         打った球が相手の台をオーバーするのではという不安な心理がそうさせるのだろう。

         近代卓球には全くない、或いは否定されているフオームであり動作である。
         ゴルフや野球のフォロースルーにも通じることでもある。ボールがクラブフェースに当たって飛び出したら、
         もう如何に手首を返したり腕を伸ばしたりしても、その飛球には関係ないという物理的な反証がある。
         しかしフォロースルーや手首を曲げるという意識は、球をヒットする寸前であってもそれは微妙に、
         ヒットする瞬間に作用する、伝わるものであると言う考えもある。

         考えてみると我々子供の頃の遊びでは、ピンポンは誰もが一度はやったことがあるというかなりメジャーなもの
        (他には三角ベースか相撲かチャンバラごっこ位しかなかったから)の1つだった。
         セルロイドの球で(貴重品でつぶれるとお湯に浸して直しながら)、薄い1枚板に粗悪なラバーを貼ったラケット
         で、無闇に台から離れて何も考えずに唯渾身の力で目一杯打ち合ったものだ。台上での小細工も、擦るの切るの
         なんて技も何もなく唯ひたすら純粋に全力で打つというのが大勢だった。

         その後スポンジラバーが出現し、競って1~3cm厚のやつを貼ってその反発力を利用し強打を競い合ったものだ。
         すると当然ながらその強打の多くはオーバーしてしまう。そこでそのオーバーを防ごうと、無意識に又は意識的に
         手をかぶせる動作をしてしまう。これは子供の頃に多くやった人ほどその仕草が今も多く残っている様だ。

         今では台の下から顔の前まで鋭くスイングすることによって、トップスピンが掛かって球は相手の台上に落ちる
         という理論構成が出来ている。今の若い人にはこの手をかぶせる動作は見られない。

         この手首を返す、手をかぶせるというのも、慣れによってラリーが続くのだから、それはそれで良いのだろうか。
         まるで子供頃には私はかなり遊びのピンポンやりましたよということを表現しているようなものだが、そこそこ
         通用してしまうものだから、どうしてもその懐かしいクセは抜けないものだ。

         現在以上の上達を望まぬならば、それで十分だと言えるだろう。もう直す必要もないようだ。そう思っているから、
         周りからみて一寸おかしくても直らないし、直すことも出来ないのだろう。

         ゴルフでいう明治の大砲スタイルというのも見ていて楽しいように、ピンポンのこれも又なかなか味があって愉快な
         ものである。懐かしき哉、楽しき哉! 昔のあの頃のピンポンなり!だ。



12月5日(火)トシはとっても櫓をこぐ時は!

2017-12-05 18:13:36 | Weblog

                      「 白樺に寄生木が 」  11月
        

                私も知らなかったのですが、この「ヤドリキ」とは落葉広葉樹に寄生する。
                鳥などによって運ばれ樹上で繁殖し、4月には黄色い花が咲き、冬になって
                宿主の葉が落ちると目立つ。欧米ではクリスマスの飾りや昔から縁起の良い
                木とされて珍重されるそうだ。

 
          今日は7人。前回の練習から良い天気が続いている。今朝は快晴の代わりに寒かった。
          しかし皆さん元気に集まる。皆と総当たりで練習、次ぎにいつものようにダブルス戦の大熱戦を
          4戦して軽く汗がかけた。
          終わって久し振りに青鳩御用達のレストランで食事をする。大谷選手、小平や高木選手、
          そして沙羅ちゃんの心配、日馬富士問題、ラグビー、サッカー等ときょうは政治や経済問題、
          あの腹の立つ強権政治や北朝鮮等は一切抜きで、専らスポーツの話題で盛り上がった。

          ところで、疲れやすいのもトシ、風邪を引きやすいのもそれが長引くのもトシ、何をするのも
          面倒なのもトシ、忘れ物が多いのもだらしないのもトシと、いろいろなことを全てトシの所為に
          している。これは自分の気休めや、自分を慰めたり納得させるのには、まことに重宝なものである。
          こう何もかもトシの故にこうなったと言ってはトシが気を悪くしたり怒ったりしそうだが、
          考えてみれば確かに全てがトシの所為ではあるまい。

          何か良いことや楽しいことをトシの所為だと言うことはあまりないがから(芸術家とか宗教家など
         一部を除けば)、「トシ」にとっては心外な事だろう。

          私の体調が良いのも、やる気十分意欲満々なのも、ピンポンが上達するのも、絵の腕が上がるのも、
          いつもにこやかでやさしくて、皆と笑って楽しくやって生きて居られるのも、
          全て「トシ」の所為だ、なんて一度は言ってみたいものだ。

          最近の説では、筋肉も年齢にはあまり関係なく、キチンとした栄養摂取と筋肉を使うことによって
          新しく作り出されるという。
          脳についても、認識や知覚などの大脳皮質はトシを取っても細胞が入れ替わり、そして刺激を受け
          さえすれば脳細胞も増殖するという。

          もしこれが本当ならば「トシだなぁ!トシだから!」などと言い訳などをしている時ではない。
          私も、自分の人生というボロボロの舟の櫓を、力一杯意識して元気に漕ぎ続けることが大切なのだろう。


12月3日(日)ものはゆっくり食べよう!

2017-12-03 20:45:24 | Weblog


                      『  湘南マラソンの日  』
           


           今日は恒例の「湘南マラソン」の日。天気も良く風もなく絶好のマラソン日和だ。
           我が家からも一人参加しているので午前中は応援を兼ねて見物に。
           終わりの方の人々には仮装 の人あり、歩く人あり、息も絶えだえの人ありと様々な人間模様で面白い。
           人生を楽しんでいる人を見るのは気持ちが良いものだ。

  
       午後からはピンポンにとちゃんと予定していたのだが、1時からを2時と完全に勘違いという初めての大チョンボをして
       しまって、迷惑をかけてしまった。1時間の遅刻だった。
       いよいよ時間の感覚とか集合時間を覚えられなくなったか、一回覚えてしまうとなかなかその修正が利かないのや
       思い込んでしまうのは、これらは全て老化の現象だそうだから一寸心配になる。遅れた私を入れて7人の参加だった。
       2時間の練習だったが私にはちょうど良い位だった。これだけで充分疲れた。

       さて、私は体調が悪いことはしょっちゅうだけれど、不快や痛い辛いはあっても今のところは幸いに食べることへの
       欲望が、いろいろな欲求の中でも一番衰えていないような気がする。他の事への欲望や意欲はすっかり衰えて
       しまったのに。

       何か新しいことを始めるのも、細かいことをするのも考えるのも面倒だ。だるくて体を動かすのも、出掛けるのも
       気が乗らない。多くの人が、まるでそれだけが生き甲斐かのように夢中になっている旅行というやつもあまり興味が
       待てない。

       しかし、余程調子が悪い時は別だが、あれが食べたいこれがいいと思うことがあるから救われる。これが一番の楽しみ
       かも知れない。もしこの楽しみが無くなったならばと、想像するだけでも恐ろしく悲しい。

       辛口の吟醸酒を1杯だけと白身魚の刺身か貝の刺身、たまには豆腐の入った鍋もいい。これさえあれば私は何も言うこと
       ない。私の幸せなんて、他愛のないすこぶる安上がりなものだ。こんな楽しみを考えるだけでも温かい気持ちに
       満たされる。そしてもう一つだけ欲を言えば、感じの良い好ましい人と時には会って楽しく話をしたり笑ったり、
       飲んだり食べたりするのも良いけれど…。

       しかし現実は、糖尿病の私は低カロリーの高タンパクで三度三度にバランスの取れた食事を規則正しくとることと、
       医院の食事指導で再三言われ続けてきた。
       最近ではとうとう恐れていた糖尿性腎炎を発症していて、より厳しい食事制限に、さらに加えて徹底した塩分制限の指示
       が出ている。どうすればいいのか何を食べればいいのか、いささか戸惑い困惑している。

       思い出すのは、もう大分前の糖尿初期の頃だったが、腎臓病治療中の同年の友人(会社の同期)と、何かの会合の会食で
       隣席になって、卓上には美味しそうな海老フライがあった。腎臓の彼は高カロリーの低タンパクだから海老フライの衣
       だけ、中身の美味しいエビは低カロリーで高タンパクの私が食べるというこれはとても良いコンビだと笑った事が
       あったものです。

       いよいよ最近では、低カロリーに低タンパクそして減塩をと言うのだから味気のないことになったしまった(守れて
       いないけれど‥)。エビもその衣も食べられなくなってしまった。

       糖尿の食事のコツは何と言ってもゆっくり食べることのようだ。とかく貧乏人ほど早食いだと言うが、ここは無理して
       でもじっくり落ち着いて食べることにしている。それでもふと気付くとまだまだ早いようだ。
       私が箸を置いても未だ家族は食べている。私には分からぬように別な美味しいものを食べているのではないかと思う時が
       ある位だ。

       本当かどうか知らないがフランス人や昔の中国人の昼食だか夕食では、話ながら延々2~3時間をかけるそうだが、
       そのスタイルが理想なのかも知れない。
       家庭でも一番良いのは、テーブルに全部を最初から並べずに、1点食べたら又1点と運んで貰うのがベストだそうだが、
       現実にはそんなことはとても要求できるものではない。西洋料理のフルコースのように1品づつ談笑しながらワインでも
       舐めながらというのが一番良いのだろうが、これも現実生活では不可能なことだ。

       これは何も糖尿、心臓病の老人だけのことではない。健常で100才までも生きようという人も次の食べ方を守りなさい
       と食事指導では教えている。

       まず食べ方である。その順序はよく言われているが、野菜――おかず(肉魚など)――ご飯の順を守り、そして意識的に
       ゆっくりゆっくりと食べることである。これは現在健康的な人でも、食後の血糖値をあまり上げないこと(これを長い
       間続けていると血管へのダメージとなってやがては脳溢血と心筋梗塞などに繋がる)、そしてマグネシュームを含む食物
       を意識してとる事である。
       それから筋肉を極力落とさないことだ(年を取っても筋肉は鍛えられるし、新しく作ることもできるそうだ)。
       そして食後直ぐ筋肉を使う事が重要だと教科書では教えている。

       昔の「食べて直ぐ横になると牛になる!」という諺はこれを言っていたのかも知れない。しかしもう一つ「親が死んでも
       食休み!」というのは間違っていたのだろうか。

       どんどん諺、言い伝えは廃れ、様々な注意事項も科学医学の進歩と共に変わっていくようだ。
       ひょっとすると今、私がしなければ守らなければと指示されて、守れずに悩んでいる諸々の条件や事柄なども、
       あと5年もすれとそれが間違いだと言われて、真逆なことを指示されるのかも知れない。但しもし生きていればだど‥‥。