明日への一歩

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終活にそなえ気付いた事を記録として残していきます。

徐福伝説から

2015年09月25日 08時10分08秒 | 日記

市内で見かけたセンニンソウです。その姿からは神秘性感じますか???

おはようございます。
私には仙人といえば白髯を生やした老人であり不老不死の
伝説の人と言うイメージしかないのですが、女性の仙人伝説
がある事を知り驚いた次第です

 徐福という人物は秦の始皇帝命令を受けて不老不死の薬を求めて
国を離れ、いつしか日本にだどり着いたという伝説の人物ですが・・・

 故郷に残る伝説に、秦の国から海を渡りたどり着いたのが
北九州らしいのですがこの地では薬草がみつからず断念して
薩摩半島を経由して九州東海岸を上ったそうです。
この時代に東シナ海を渡る航海技術があったとは到底思えないのですが・・
仙人力なのでしょうか??

 海を渡りたどり着いたの先がどうも北九州らしいのですが、
この地では薬草がみつからず断念して九州東海岸を上った
のだそうです。日向の国(現=宮崎県)の海上で船の上から砂浜に咲く
ハマユウの姿が見えたとか?
花が咲いた後には小さな球根のような実が出来ますので、
ひょっとしたら,薬草としての効用があるのでは?と思った
そうですが、しかし、薬草効果がなく断念したんだとか・・・


 仕方なく蓬莱山に出向く。この地では現在九州の春の3大祭である
お大師さんが毎年開催されます今山大師の春の例大祭です。
ここには弘法大師の大きな像がある事で有名ですが、その駐車場近くに
徐福岩というものがあります。

その案内版には以下の説明があります。
蓬莱山とも呼ばれ霊気ただよう今山の麓は,太古太平洋の白波が寄せる浜であった。
紀元前220年ころ 秦の始皇帝の命を承けた徐福は 蓬莱山にあるという不老不死の
薬草を求めて中国から渡海しこの浜に到り 渚にあった徐福岩に船をつないで上陸した
と伝えられる。
センニンソウがよく似合う逸話だと思うのですが・・・






残念に思う朝

2015年09月24日 07時54分13秒 | 日記


ロドフィアラ・アドベナの花   つくばにて

おはようございます。
昨日のワールドカップのスコットランドとの試合
前半戦が接戦だっただけに、残念な結果となりましたね!
昨日は連休最終日という事で、、マスコミ報道では
いつもの連休同様に道路の混雑具合や国内・外旅行者の
行楽地での楽しみ方を伝えておりましたが通常の連休
とは違い、ワールドカップラクビーの事を連日取り上げて
おりましたね。

ラクビーといえば、大学を卒業して入社した会社の同期
の奴の弟さんが明治のラクビー部で1年生からレギュラー
だったので伝統の早・明戦を応援観戦に行った記憶があります。

同期の友人も実家の家業を継ぎましたので、長崎へと戻って
いきました。その後彼の結婚式に招待され長崎まで出向き
ましたが、縁とは不思議なもので、その奥様が魚屋を経営していた
魚屋の叔母のお店裏の小学校で教師をしていて、叔母家族の
事をよく知っていた事を思いだしました。



ピントきません敬老の日

2015年09月23日 09時16分14秒 | 日記


つくば実験植物園で見かけたアサマフウロの花です。
この花は高原の湿った草地でみかけるようです。

おはようございます。本日でシルバーウイークも終了ですね。
敬老の日!特段気にもとめませんでしたが、私の頭の中には
9月15日の印象が強く残っており、記憶の切り替えがなかなか
出来ませんね


本日取り上げた花の名前にアサマがついているので、長野県浅間山と関係あるのかな?
と思ったら、やはりそうでした。
しかし浅間山界隈ではこの花少なくなっているようで環境省で絶滅危惧種に指定
されているようです。

20代後半から30代前半位まで度々前橋、高崎を拠点に
小諸市まで上野駅から特急あさまを使い出張で出かけて
そこから小諸を起点に日本1と言われる高原列車が走る
小梅線を使う仕事中心というよりも暖かい人々の情を感じながら、
のんびりとした旅が出来ていた頃事をこの名はの名前から
ふっと30年前の自分の姿の記憶がよみがえりました。




役にたたない代名詞と役に立つ代名詞

2015年09月22日 08時03分32秒 | 日記

市内でみかけたウドの花
独活(うど)の大木 独活の大木蓮木刀
などのように見かけ倒しで役にたたない事の代名詞
のように使われるのが気の毒ですが・・・

実際にそうなのか?と思って調べて見ると
意外な場所が産地だっらのには驚きました。
東京立川市は都内でうどのブランド品まで
あると言うではありませんか・・・・・
立川市内のお菓子屋さんでは
ウドパイ、ウド羊羹まであることに驚きました。

ウドとは対照的に真逆な諺に
山椒は小粒でもピリリと辛いという具合に
有益な植物のようですが・・・
山椒の力を借りたうど料理も多くあるようですね。
気になる方はネットでレシピを調べてみてください。

市内で見かけたパキスタキス・ルティアです。

お彼岸の食べ物の話しから・・・

2015年09月21日 08時04分43秒 | 日記


 涼しげに感じる セイヨウニンジンボク つくばにて

おはようございます。
シルバーウイークに入り、日中気温が高く感じるので涼しく感じる ヌマハッカの花を選んでみました。
気候的に恵まれているシルバーウイークですね。

お彼岸に食べる食べ物と言えばオハギを先ず思い浮かべますね。
春の彼岸は牡丹餅、秋はお萩これは季節毎の花の組み合わせから
きている物だとばかり思っておりましたが・・・
小豆の収穫の時期と微妙に関係があるようです。
秋にはつぶし餡で春はこし餡でこれは素材を美味しく食べる
為の工夫でもあるらしいですね。

私は大学生の頃地域の通過儀礼について調べていた時期が
ありましたが、調査した地域に葬儀の時に赤飯を食べる事
に驚きましたが、彼岸に赤飯を食べる地域もあるようです。

最近知った事に、江戸時代に小豆が枕の素材として利用されていた
事には驚きました。火事が多かった江戸で非常食の意味合いが
あったとの事。

枕に関連して、布団はかつてはガマ(蒲)の葉で編んでつくった
座禅用の丸い敷物のことを指し、鎌倉時代に中国から禅宗と一緒に
伝えらたそうです。

枕の変遷についてはフジベットさんのHPの中に枕博物館がありますので
その変遷が映像で確認できます。お時間があればご確認下さい。
http://www.fujibed.com/pillow_museum/