本殿前
善光寺第一駐車場に停め、北側から初参拝に参りました
善光寺は僧侶が主導して開いた寺院ではなく、あくまでも在家の*本田善光が創建
(*本田善光は飛鳥時代の人物。善光寺の名の由来となった)
仏教史上でも、非常に珍しい寺院であり宗派に拘らずどの宗派にも属さない寺院
僧侶よりも秘仏の存在感が大きいのが特徴である故か、民衆から広く支持をされ信仰されている寺院です
善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には「一生に一度は善光寺参り」と言われるようになりました
今日では御開帳が行われる丑年と未年に、より多くの参拝者が訪れます
※年間、600万人以上が参拝する善光寺は無宗派の寺院ですが、
天台宗の大勧進と浄土宗の大本願によって共同運営されています
2018年信徒からセクハラなどの問題を指摘された小松玄澄前貫主が解任された後
滝口宥誠貫主が103世貫主に就任しました、当時のニュースは今でも記憶にあり、衝撃的でした
徳川家大奥供養塔
三代将軍家光の夫人本理院、乳母春日局ら、江戸初期の大奥関係者の供養塔
境内を歩いて行きます
本堂
本堂の側面 ↓
本堂正面
山門(三門)
寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門 コチラ
時間があったら登楼参拝したかったなもし、、
鐘楼・梵鐘
嘉永六年(1853年)に再建された檜皮葺の建物で
南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています
梵鐘は寛文七年(1667年)鋳造の名鐘であり、重要美術品に指定されています
毎日午前10時から午後4時の毎正時に時を知らせる鐘として
更に長野オリンピックの開会を告げた鐘として親しまれています
日本忠霊殿・善光寺史料館
戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟
御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です(高村光雲門下 関野聖雲作)
日本忠霊殿辺りは、多種のツバキが終盤を迎えていましたがキレイです
牛に引かれて善光寺参り
の意味を知っていますか?
昔、信濃国に強欲で意地悪な老婆が住んでいました。
ある日、白い布を洗濯して干しておいたら牛が角で引っ掛けて逃げていってしまいました。
驚いた老婆は怒って、牛のあとをどこまでも追いかけました。
牛が逃げ込んでいった先は善光寺。おそるおそる金堂に入ってみると牛のよだれでかかれた文字が光っていました。
読んでみると「牛とのみ 思いすごすな 仏の道に汝を導くおのれのこころを」とあります。
「ただの牛のしたことだと思うなかれ、こうしてあなたの心を仏の道へと導いてくれたのです」といった意味でしょう。
さすがに、老婆も心の奥に眠っていた仏心が目を開き、私欲を捨てて信仰の道に入ることができたということです。
18世紀の「本朝俚諺(ほんちょうりげん)」に収められている逸話です。
転じて、思いがけないことが縁で偶然よい方に導かれること(小学館ことわざ大辞典)、という意味に使われます。
参照:ミルクの雑学より
和牛ではなく、牛乳のホルスタイン種を設置した意味がここで納得
母親「善子」 子「光子ちゃん」
芍薬(シャクヤク)
桂の木(手前) ↓
ゼフィランサス(タマスダレ)
ヒガンバナ科 原産地:南アメリカ
葉が立ち上がっています
※北門(裏)から入ったもので、参拝順ではなく、山門(三門)まで行って引き返しています
ここで退去は心残りです
お参りと撮影だけして、次の戸隠に参ります
いつかまた
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