突然,不治の病になりましたとさっ。

病気が大っキライです。
何年経っても受容できず、コントロールの愚痴、毎日の出来事を愚痴る後ろ向きブログです。

レベミル

2008年01月12日 | DMお勉強
おはようございます。

夕べは呑みすぎました・・・。

saka10さんから「レッドカード」を返してもらって、MYオデコに貼っておきます。




レベミルとランタスの比較が3回にわたって記事になっています。


もう、お読みの方もおいでかと思いますが。


結局、どっちがいいとはいえないようデス。



オプチクリックは本当にでかいデス。


1回注射/DAY のmyは持ち歩きませんが、ちょっと、迷惑な大きさデス。



でも、レベミルはフレックスペンなので、カートリッジのランタスに比べて700円も高いそうです。






どっちがいいのかなー。




ランタス導入後、受診放棄や、が多すぎたのもあり、

コントロールは乱れまくり、体重もまっしぐらでございます。




レベミルの魅力は「体重増加」をしにくい。。。コレだけかな。


受診してまいりましたー。

2008年01月11日 | MY主治医と病院
今日はいいお天気でした。


そーんな中、 どよよーんと、受診してまいりました。

えー、皆様もご承知のように、ワタクシ、主治医とちょっとした行き違いがございまして・・・


受診をすっ飛ばしていたという経緯がございます。

その間にインスリンも底を付き、災害用の予備分まで手をつけて・・。



私たちは、いざと言う時のために、常に1本以上のストックを持つべきだと考えております・・・。



主治医とのいざごさは全く、解決せず、平行線のままであります。


アレが医者の常識なら、たぶん、ずっと、平行線のままだと思いました。



で、本日、センセとお目にかかったにも拘らず、つまらないやり取りで帰って来てしまいました。

思えば、ランタス導入直後から勃発し、ろくに診察もコントロールについても相談していない。

拗ねて可愛い年じゃなし、私に得になることは何もない。



諦めよう・・・。



少し前から気が付いていたのですが、MYブログの最初の方は「敬愛する主治医先生」だったのに・・・。


最近は「主治医」です。



医療従事者の方がおいででしたら、お聞かせ願いたいデス。

「代診(外科とか・・循環器内科とか・・)の先生には受診しない」私は考え違いをしているでしょうか・・・?

MY病院はとても小さいデス。

専門内科なんてありません。

MY主治医は一般内科医です。

でも、私は、主治医先生として、受診しています。



・・・私には主治医は無いのでしょうか?


いかん、いかん、すべてはコントロールのため。

拗ねるのはやめよう・・・。


最後の模試

2008年01月10日 | 家族 MY娘
年が明け、娘のお受験、最後の模試がありました。


今まで、合格圏内に入っていたのに。


今回、最後の最後で危ないような自己採点の結果である・・・。



第一志望の「伝統校」 ココは「MY病院に着任されたセンセのご子息」も第一志望だ。

比べるわけではないが、来週から始まる、選抜特別クラスでも一緒デス。

あちらは断トツ、トップ・・・・


MY娘は、なんとか、こうにか。。。定員ぎりぎりで。。。と言うレベル。


 くぅーー。




第二志望の『進学校』 これは何とか、合格圏をキープ。


第三志望の「お嬢様校」 読みが外れて、試験科目の少なさで人気が集中しやすいらしい・・・。危ないかも。



どちらにせよ、娘は医学部には進学しなさそう。。。

親の言う通りには育たない。・・・自分だってそうだったもんね。


発症時の記憶

2008年01月09日 | 発症時の記憶

2年前のことです。



お正月があけても、娘がお留守番出来ないので、学校が始まるまでは、私の仕事もお休みしていました。

始業式の金曜日に久しぶりに出勤しました。

ですが、半日で帰ってくるので、私も半日で退社しました。

(お気楽な職場であります。)



「その日」、朝から、なんか、体がだるかった。

目も見づらい。コンタクトが濁っているのだろうか。

風邪かなー。

・・この自覚症状が、あとから、散々な目にあうことの発端だった。・・・



午後、娘がそのころ習っていた新体操のお稽古へ送り、自分は久しぶりにスポーツジムへ行きました。



エアロビクスのレッスンに出たのですが、体が重くて重くて。

腕も足も上がらなかった。

重い体を引きずるように、シャワーを浴びた。

ロッカールームで着替える時、立っているのもしんどかった。



このとき、完全に「病気」だと自覚したのですが、風邪だろうと思っていたんです。




その夜、何度もトイレに行き、嘔吐した。

嘔吐するときは水分補給をしなくちゃいけない、そう考えて、ポカリやタリタTをガブ飲みした。

そのせいで、トイレが近いんだと思っていた。


翌、土曜日の朝、近くのクリニックに行っておいた。

病院は午前診だけで、日曜、そして月曜は祝日であるため、風邪でも掛かっておいた方がいいだろうと思って・・・。


「胃腸風邪ですね」

といわれ、点滴を(ブドウ糖入り)2本された。

どんどん、身体は重くなっていきました。



いつも、尿検査をするクリニックだったのに、その日はなかった・・。

あれば、発見が早かっただろうか?

どちらにせよ、今の私の状態が変わるわけではないし。




もうすぐ、2度目の「その日」を迎えることになる。。




発症時の記憶

2008年01月09日 | 発症時の記憶

金曜日に体調不良。

土曜日に最初の受診(近くのクリニック、MY病院ではない)をした、

吐き気止めとブドウ糖の点滴を受け、一向によくならなかった私の「胃腸風邪」



・・・・ますます、身体はしんどくなっていきました。


日曜日、ダーリンが消防署に電話して、救急診療を受け入れている病院を教えてもらった。

それが、今のMY病院である。



娘をお留守番させ、ダーリンに連れられ、受診した。

後から判明したが、その時の当直医は娘のクラスメートの父親でした。



「金曜日から、体がだるくて、なんか、目も見にくかったデス。」

「まったく、食事は摂れませんが、吐き続けています」

など、問診をした後、

「やっぱり、胃腸風邪だと思うよ。多めに点滴しておこうね。」

と診断されました。



点滴で1―2時間かかるといわれ、留守番させている娘が心配で、点滴を断ったら、

ダーリンが「したほうがいい、早く、治るから」と言うので、しぶしぶ。



翌日には、娘が習っている楽器のコンクールがあるから、早く治りたかった。


点滴を受けたけど、ちぃっとも、良くならなかった・・・。




その日の夜、

私の寝室は2階だが、ベッドまで戻れなくて、トイレとリビングの往復で一晩を過ごした。


何も食べていないのに、吐き気は強くなり、吐くために水分が欲しいのか、ペットボトルの水をトイレにおいて、飲んでは吐く、を繰り返していた。




もう、立ち上がれなかった。



トイレからリビングまで、よつんばで這って移動した。


翌朝は祭日で、娘のコンクールの日だった。




そして、私が入院した日、になった。


発症時の記憶

2008年01月09日 | 発症時の記憶
私が入院した日、

その日は娘のコンクールの日でもあった。

お弁当が必要だったけど、もう、私は立ち上がることすら出来なかった。



ダーリンが冷凍食品をつめて持たせてくれた。

娘ははじめて、おにぎりではなく、お弁当箱に平らにつめたご飯のお弁当を食べることになった(らしい)



ともかく、娘を会場入りさせたダーリンは、取って返し、私を抱えて病院へ行った。

病院に着くと、車椅子に乗せられた。



そのころ、既に意識朦朧としており、記憶が無い。


その日の当直は院長先生だった。



「奥さん、普段もこういう喋り方するの?」とダーリンに聞いたらしい。

私は舌がもつれて、肩ではぁーはぁーと大呼吸して、体温が33度の低体温だったらしい。


昨日の初診時のカルテから、

「目が見にくかった」、「吐く」 から

脳外科がご専門の院長先生は、脳出血を疑い、頭のCTを指示された。

だが、病変箇所が見当たらないので、何度も撮り直し、結局3回も撮った。

CTだけで何時間も費やした。



院長先生は、「イミダス」のような超分厚い本のページをめくりながら、

何度も首をかしげ。。。

ダーリンは不安でたまらなかったらしい。



たまたま、簡易測定器で血糖値を測ったら、(糖尿が出ていたのかもしれない)

HIをマークした。



MY病院は血液検査は外部委託であるため、私の発症時の正確な血糖値は判らない。



ここで、糖尿病昏睡、ケトアシードシスであることが判明した。


そして、そのまま、37日間の入院となった。





しかし、「劇症1型糖尿病」の診断が付くのは、もっと、後からである。

発症時の記憶

2008年01月09日 | 発症時の記憶

入院時、記憶が無い。


意識がほとんど無かった。



夢か現か、まぼろしか・・・。



私の脳裏には、砂漠のような荒野、極彩色の江戸小紋のような柄の服と、近未来のような機械、ロボットが見えた。


マッドマックスという映画のような光景である。



人は死に掛けると、あの世を垣間見るという。。。


では、私の夢に出てきたのは、地獄だったのか。

私がそういう人間である証明だ。。。






だんだん、周りの状況を、理解でき始めたころ、

ベットの上に主治医の名前を見つけた。



だが、主治医と対面するのには、数日かかった。




相手が主治医だったかどうか、記憶が定かではないが。

院長先生だったかも。

「ベットへ回診に行くと、『いつ、退院できますか?』って、そればっかり言ってた」・・・らしい。



ダーリンは何日か会社を休んだが、娘は休まなかった。

そして、娘は、4時に下校してから、ダーリンが帰宅するまでの3時間、はじめてのお留守番をすることになった。


私が退院を切望した理由である。







結局・・・・。

2008年01月09日 | 発症時の記憶

発症時の記憶をたどってみた。



忘れないように書き留めておくために、「私のための覚書」カテゴリーでしたが、無意味でした。



意識が無かった時を別として、私が、あの時、覚えていること、感じた事は一つも忘れていない。


忘れられない・・・。




きっと、一生、その日を受け入れられない。

結局、病気を受容することも無い、する気もないんだと思います。



私はDMが大っ嫌いだから。




こういう生き方や考え方が、自分自身を不幸にしているのかもしれません。

DM以外の部分では、十分、幸せを感じていますし、何より、正直な感情に偽りもありません。



いつか、受け入れられるかもしれないし、一生、できないかもしれません。

もう、受容するための努力はしないデス。

無理して得られるものじゃないから。。。。




こんな記事でも、読んでくださった方に感謝。

今、一番、MY主治医に読んで欲しいと思いました。


お楽しみの、そのあとは・・・。

2008年01月08日 | ダイエット、体重管理
最近、美味しいレストランをいくつも開拓いたしました。

自家製パンが美味しいお店だったり、

ワインや焼酎が豊富なレストランに、

泡盛の種類が半端じゃない琉球料理の店です。



その結果。。。

言わずもがな。。。。。の状態でございます。



体重はついに、大台を突破いたしました。


そりゃそうさ・・・

クリスマスに年末年始。羽目を外しすぎていたし・・・。

叱ってくださるセンセはいないし・・・。






あーん、

今日から、心入れ替えて、粗食に励むわっ。 

初詣

2008年01月02日 | 家族 MY娘
昨日、元旦は、里の近くの「受験の神様」と名高い神社へ初詣してまいりました。


娘の「お受験モード」はフル回転でございます。


神社にて、護摩木を書いて奉納しました。

お札も買おうとしたら、「5000円です」



えー、お札だけで5000円もするのかっ。 




迷ったが、やめた。   





うーん、my娘。


すまぬが、実力で頑張ってくれー・・。  



謹賀新年

2008年01月01日 | 私=my
 明けましておめでとうございます。


すでに、酔っ払っておりますmyです。

今年もよろしくお願いいたします。



さて、今日は元旦。1日デス。

月初めの恒例のご報告。


禁煙、頑張っております。


さて、今年は、さらに、課題を増やします。


ダイエットデス。



ランタスに替えて、月に1キロのペースで体重が増加しています。




「あっ、指折って、数えないで・・・」 

つまらん冗談で・・・。




2/1、次のご報告日までに、1キロの体重減を宣言いたします。


コレくらいの緩めペースで、いいのだ。

(バビさん、一緒にやらない?)



1キロくらいの増減はしょっちゅうなので、1/20―1/31までの平均値で実証いたします。



 ランタスなんかに負けるものかーっ。