私のための覚書にもあるように、さまざまな研究発表を読むようにしています。
糖尿病患者の予後について調べた発表も、数多く、見聞きしています。
本日、亡くなった父の、元の通院先から、私の携帯へ電話が鳴った。
とある病院のセンセ 「20**年に、こちらの病院で診断させていただいて、お父様の、その後はどうしていらっしゃいますか?」
低姿勢の先生の口調だった。
亡くなった年月日を知りたいという。
「それは、病気の予後をお調べになっているわけですか?」
「ハイ、そうです。(父)さんは、肺がんと肺気腫を併発していらっしゃいましたから。」
肺がんで、肺気腫があれば、余命は短い。
何か月だったのかを知りたいのでしょう。
闘病中だった時の父の容態を尋ねてくることもなかったのに、亡くなった年月日だけを知りたくて、わざわざ、嫁いだ娘の携帯先まで、掛けてきたのか・・・。
弔辞もありませんでした。
正直、良い気持ちにはならなかったし。
私のところにまで電話しなきゃならないほど、聞き取りは難しい事なんだろうし。
それだけ、好事例(ドンぴしゃな研究対象という意味で・・)だと思われたのでしょう。
私自身、病気になって、そういうスタディやら、追跡調査のおかげで勉強させてもらっていることを、あらためて、逆の立場で知りました。
絶対、私の望む治療を、自分で選びたいです。
そのためにも、知るべきだし、知りたいし、知る必要がある、と、考えます。
絶対、ぜったい。
医学の発展のためには研究が必要なのは良くわかります。しかし遺された娘さんに対して、ただ自分の欲求だけのために、聞きたいことだけ聞いていく、そういう姿勢は納得いきません。
そうですか。。。
myさんすでにお父様いらっしゃらないんですか。。
COPDと肺がんの併発はかなりつらい思いをされたのでしょうね。
伯父がそうだったのでよくわかります。
私はまだ両親とも健在ですが、いつか送る日が来るのが怖いです。
友人の親の葬式にたまに出席することもあります。
年はとりたくないですね。
年々葬式が増えてくるのが嫌なので。
そーなんですよ。
今まで、一度も、父が亡くなったこともブログに書いたことなかったのですが、今回は、ちょっとだけ、心にひっかかるものがあったので、記事にしてみました。
ホントに、いい気分じゃなかったし。
たぶん、毎日、病気と暮らしている私じゃなかったら、ものすごーく憤慨していたとおもいます。
でも、今まで勉強してきたことの裏側事情っていうか、私も知りたかったことのために「必要な事」で、嫌な思いをする人たちもあったんだ・・と、初めて気が付きました。
名簿を見ましたら、この電話の先生は、平成17年に医学部卒業なので、きっと、若手の研究発表かもしれませんね。
せめて、そーゆー「研究発表」を、きちんと知り、正しく理解して、自分の治療のプラスにすべきだと考えました。だって、悔しいような、もったいないような・・。
katuodasinomotoさんのご両親さまは、ご健在でなりよりです。
まだ、若かった(平均よりも)父を思うと残念ですが、ヘビースモーカーでしたから、肺がんは、しょうがないですね。
>年はとりたくないですね。
あーんっ、ソレは、私こそ。
言わないでー!