maidoの”やたけた”(ブログ版)

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神さん-1/4-Xmasの妄言

2021-08-18 10:15:30 | 支離滅裂ー妄言虚説ー神さん

宇宙の秩序の源である、無限なる神は、人知の及ばぬ領域の象徴。
神は人の世に超越し、ただ存在するのみ。
人は不遜にも、神を敬う事に飽き足らず、無限であるべき神を、己が物として卑賤な知恵と未熟な言葉で創った。
人の心の平安の為にこそ存在するべき、人によって創られし神は、邪悪なる人間によって、己を正当化し、他人を苦しめる賎しき具に貶められた。


(こういう似合わん事を書くというのは、体の調子が悪いんかいな?)

日本の神さんと他国の神さんの違いは同じ「神」という言葉で表してるけど全く違うのとちゃうやろか?
ついつい字が同じなだけに、勘違いしてしまうけれど、狂信的な信者と言うのは日本の神さんに本来存在せぇへんのとちゃうかいな?
日本書記、巻第二十一、橘豊日(用明)天皇の段に「天皇信仏法尊神道」と書かれてますね。
読み下し文やと「天皇(すめらみこと)、仏法(ほとけのみのり)を信(う)けたまい神道(かみのみち)を尊(たふと)びたまう」となるそうです。

仏は信じて、神は敬う。
信じるのと、敬うのでは皆目意味が違いますやんか。
信じる事は自分の思考、行動の規範とする事につながりますわねぇ。
敬うというと「謹んで礼を尽くす」単にこっちが大事にするだけの一方通行、何の制約も受けません。
「論語、雍也編」にも「務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣」と取りようによっては「敬うふりをして、親しいお付き合いを避ける」と真に持って不遜不敬な事が書かれてますね。
してみると生贄に人間を殺してた商(殷)は兎も角として、昔の東アジアではこう言う神の捉え方が一般的やったんかいな?

もっとも、ヤマト政権の成立の過程では、同じ神を祭ることを服属の証にしてるようですねぇ。
同盟関係や素直に降参した部族、氏族の神は自分等の神話に組み入れて、抵抗してコテンパンにやっつけられた神は抹消されたか、化け物妖怪にされてしもたみたい。
大国主のように、部族、氏族、あるいはその指導者、首長が神として語られてる節も有るし、ゼウスやアラーとはかなり雰囲気が違いますなぁ。
神さんをめぐるゴタゴタが一応治まったと思ったら、舶来の仏さんが渡ってきて、又もや勢力争い。
トコトンやるのかと思えば、実は神さんは仏が姿を変えてるんや、てな上手い事というか、訳の判ったような判らんこじ付け詭弁で、両方の顔を立てて納めてしまうあたりが、何とも言えませんなぁ。
大儀と名分、建前を重視する国々から取り入れたものを、グダグダに揉み解して、言い換え、すり替えで角を取ってしまうのは、その頃からの得意技?
この辺の感覚が、宗教絡みの争いを「たかが神さんのことで何でそこまで?」と理解し難い原因の一つや無いかとも思いますね。

たかが神さん」てな事は相手を見て言わんと、怖~い事になるからご用心。
「神を冒涜した汚らわしき異教徒に死を」てな事言うて、アラムートからハシシュ中毒のアッサシンを派遣されたら大変やがな。
そういやぁ、日本の神社でお祓いの時に野州麻(大麻の繊維)を神主が振り回すのは、昔は日本でも神と交流するのに大麻を使うてたんやろかねぇ?
大麻を大騒ぎして取り締まってるのに、もっと強烈な幻覚症状を起すサボテン(多肉植物?)の仲間が園芸店で野放しで売られてるのは何でやろ?
オット、コースアウトしそう・・。

アルラーフ・アクバル、アルラーフ・アクバル、ラーイラーハ・イルラッラー(神は偉大なり、神は偉大なり、アルラーのほかに神はなし。)
と喚かれても、私の頭に浮かぶ神はニフの女神、アマテラスさんとかエベッさん、せいぜい気張ってもスサノオの命。
たまに、シバとかカーリ、ヴィシュヌ、ガネーシャが出てくるけれど、これはカレーを食べた後だけ。
豚まんを食べた後は天帝、天后、天聖娘娘が出て来やすい。

余談ですが「古事記」これはエエ本ですなぁ。
出来たら現代語訳してないのがよろしいでっせ。
何がエエというて、チョッコラ一寸何を書いてあるのかが判らん。
まるでクイズか判じ物。
すらすらと読めん上に、同じところを何回も読んでも、中々前にも読んだとは気付かん。
一回買うたら、長持ちする事この上なし。
書かれてる事がよう解らんから、妄想の背中に跨って、あらぬ方へ飛び放題。
何十年たっても新鮮。
「読了した、皆んな解ったもうエエわ」という気にはなりまへん。
前漢(初元12年=BC168)馬王堆漢墓の彩色帛画(ハクガ)に、神武東征に重要な働きをする八咫烏(ヤタガラス)が描かれていたように、相当大陸の神話の影響が見受けられますねぇ。

「日本書記」もそうですけど、こっちの方は官が目的をもって作ったいうのがそもそも胡散臭い。
ヤマト政権の補強の道具やろね。
明らかに中国の正史、高句麗史、その他諸々の文献の内容を後から取り込んで、それに有力な氏族の伝承を無理やり吸収合併したらしく、辻褄合わせをするのに見事に失敗。
ヤケクソになってしもたんか「こんな伝承もあるよ」と書いてあるから余計にややこしい。
内容に年代の明らかな矛盾や、事跡の重複、同一人格の別名登場等が沢山あって、どう言う意図でこの違いが生まれたんやろう?と考えるのも面白いですねぇ。
本文が愛想無いだけに、幾らでも枝葉が伸ばせて、これを発射台に、史記、魏志倭人伝、唐史、隋史と踏み迷って、帰って来れんほど遊べますなぁ。

それはそれとして、ぶっちゃけた話が、日本の神さんというのは、本来その存在を尊ぶもので、一部の仏教や耶蘇教、回教みたいに「ああしなさい、こうしなさい」と教え諭し導き、生活上の細々とした事に一々規則やら制限を設けて、はてはお節介にも「極楽、天国への道案内をしましょ、ただし条件があるよ、私の言う事を聞いてその通りしなさい。爆弾持っていって異教徒を殺しなさい。」てな指図は一切無し。

神に向かって又は神域に立って、一時(イットキ)なりとも厳粛な気持になって、ヘヘェ~、と敬うだけ。
あくまで透明で清浄な神域の中で、敬虔な気持になれるのが値打ちですなぁ。
出来たら神主、神職もウロウロして欲し無いくらい。

天神さんでも、クリスマスでも、楽しかったらOK!普段は仏教、道教、無神論でも「メリークリスマス♪」言うのは香港でも一緒。
実はそれが一番平和な、神さんとのお付き合いの仕方かも知れませんねぇ。


2003/12/25:初出(旧OCNホームページ)
2021/08/18:再録
【妄言虚説-神さん 2/4】



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