1984年秋に会社の現場でシイタケを母に生まれ、同年12月からに我が家の一員となった、このブログの番犬どん命日。
2000年に大往生を遂げてから早21年、居らんようになって暫くは、思い出しては夫婦で涙にくれ、立ち直るまでが大変でしたわ。
目を覚ましたのは4時35分、起き立ては左程でも無かったけど、洗顔してると寒さが沁み込んで来てね。
先ずは暖かい格好に着替えにゃならん、ところで豊中4時の観測値は?と見ると0.0℃、うへ~、恐れ入りました。
空は晴れて、観てるだけで身震いが起きるそうな銀白色の半月が南東の空に輝いて、これは夜明けまでにまだまだ冷えそう。
庭や屋根に雪は全く積もって無いけど、カミさんの従妹がいてる彦根はどうやろ?とみたら雪深約70cm、国道では立ち往生発生やて。
従妹の家は表通りから少し入るから、道の除雪は自分等でせんとイカンのやろうなぁ、自動車も雪に埋もれてるやろうし大仕事でっせ。
朝食に目玉焼きでもと思たけど、卵を持ったらフレンチトーストにするか、割ったら又気が変わり、砂糖を入れてトーストに付け食べてしもた。
子供の頃は一個の卵に砂糖を入れて溶いたのを、妹2人と分けて食べてて、一人一個てな事は思いもよらん贅沢でしたなぁ。
何度も書いてるけど、当時の卵は今と値打ちが全く違う、卵一個にこの粉を入れたら3倍4倍になる、てな増量剤を売ってたくらい。
それも道端の出店なんぞや無い、れっきとした百貨店で実演販売してるのを何度か見たけど、ウチで使こてた記憶は無いなぁ。
近くの農家が毎日売りに来てたし、ウチでもニワトリを飼うてたよって、充分では無いにしろ自給出来てたからね。
9時頃から商店街へ買い物に行き、トンボシビの冊を3つ、コーンスターチ1袋、雪印6Pチーズ5箱を買い、南向いのスーパーへ。
此方では味醂2本、コーンフレークを買い帰宅、寒いやろうとゴツイ手袋、耳カバーをしてたけど、それでも冷たかったねぇ。
帰宅後は縁側で日向ぼっこ、お穂さんが出てると暖かいけど、翳ると一気に寒うなる、これって身体に悪いんちゃうかいな?
そう思いながらも、ズ~ッと寒いよりはエエわ、とヘタリ込んでると座敷でカミさんが何かしてますねん。
障子を開けてみると、床の間の牛さん御一行を、虎関連に入れ替え中、張り子の虎達に組体操のピラミッドをさせようと頑張ってました。
虎関連やったら、と昔々タイの奥地で居候した家のご主人、ブンヨンさんに貰った虎の牙も仲間に入れて貰い並べたら、チト異質やけどまぁエエか。
昼食は昨日いただいた登志島の生食用カキを使った、贅沢なカキフライ、物がエエとフライにしても嵩が減らんのやねぇ!
これはソースなんか付けたら勿体ないと塩を一寸だけ振って食べたら、まぁ美味しいこと、此の辺で売ってる牡蠣とはまるで違う。
暫くはどんな牡蠣を食べても、つい較べてしまうやろうから、舌の記憶がある程度薄れるまでは、間を置かなアカンなぁ。
午後はカミさんが拭き掃除をしてる間にシャワーでも、と思たけどこの気温では、幾らカセットストーブを駆使しても、応えませんやんか。
それなら出来るだけ着衣を脱がずに、部分洗浄で済ませんもんか?と色々考えて、ハチミツの空き容器に温水を入れる事で解決。
そうや、8月末からの入退院でご無沙汰してるけど、母方の従兄はどうしてるやろ?と電話したら目の癌が再発して手術したんやて!
それは大変やったなぁ、実はこっちも癌を相手にジタバタしてて、と経過とこれからの予定を報告「お互い負けんように頑張ろな、良いお年を!」
お茶を済ませてからは、大分の従兄嫁が送ってくれた銀杏の処理、プライヤーで殻に割れ目を入れ、紙袋に入れてレンジでチン。
殻から出して渋皮を剥き、冷ましてジップロックに入れて正月まで置いとこう、とやりだしたらこれが結構手間で、全部剥き終えたら夕方ですわ。
夕食は白菜、白ネギ、ニンジン、カシワ、竹輪、丁子麩、の鍋に鍋うどんを入れた大規模鍋焼うどん、ハフハフと暖まって満腹(腹12分目)。